当帰建中湯の効果・適応症
当帰建中湯(とうきけんちゅうとう)は、古典医学書『金匱要略(きんきようりゃく)』に記載されている漢方処方で、体を温めて血行を促進し、痛みを和らげる効果があります。桂皮や生姜など体を温める生薬と、当帰や芍薬など血行を良くし痛みを緩和する生薬が組み合わされており、虚弱で冷え症の方の腹痛や月経痛などによく用いられます。特に体力がなく疲れやすい、顔色が悪いといった血虚(けっきょ)の傾向があり、手足が冷える体質の方に適しています。こうした体質に伴う下腹部痛、腰痛、月経不順や月経困難症、痔による痛み、脱肛の痛みなど幅広い症状の改善に使われます。また、病後や術後の体力低下にも用いられており、体力を建て直して痛みや不調を和らげる処方です。
よくある疾患への効果
当帰建中湯は以下のようなよくみられる疾患・症状に対して効果を発揮します。
- 月経痛・月経困難症:虚弱で冷えや貧血傾向の女性の生理痛に用いられます。体を内側から温めて血行を促し、下腹部の冷えによる痛みを和らげます。月経不順や産前産後の下腹部痛にも適しています。
- 痔核(いぼ痔)・脱肛の痛み:血行不良や体力低下が背景にある痔の痛みや脱肛による痛みに効果があります。患部の血流を改善し、痛みや不快感を軽減します。
- 慢性の下腹部痛・腹部症状:胃腸が弱く慢性的な腹痛に悩む方にも処方されます。例えば過敏性腸症候群や慢性胃腸炎で、緊張や冷えによりお腹が痛くなる場合に、当帰建中湯が胃腸を温めて痛みを和らげます。炎症性腸疾患(潰瘍性大腸炎やクローン病)のように体力が落ちて冷えを伴うケースで腹痛に用いられることもあります。
- 体質虚弱の改善:術後や病後の体力回復、貧血気味で疲労しやすい体質の改善にも使われます。冷え性で疲れやすい方に服用すると、徐々に体力がつき冷えにくくなる効果が期待できます。また、体質改善の一環でアトピー性皮膚炎に応用されることもあります(虚弱で血色が悪く冷えがあるタイプの皮膚炎に用いることで皮膚の治癒力を高める狙いがあります)。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
当帰建中湯と似た症状に用いられる他の漢方薬との違いを押さえておきましょう。症状や体質に応じて、以下の処方と使い分けられます。
- 小建中湯(99):当帰建中湯のベース処方である小建中湯(桂枝加芍薬湯に膠飴を加えた処方)には当帰が含まれていません。虚弱でお腹が冷えやすい体質に用いる点は共通しますが、月経痛や貧血傾向など血虚による症状がそれほど強くない場合はこちらが選択されます。主に小児の虚弱体質の改善や、疲れやすく頻尿・夜尿がある子どもの腹痛などに処方され、当帰建中湯よりもさらに軽い虚証の人向けです。月経痛や痔出血などの症状が顕著でない場合には小建中湯が適します。
- 黄耆建中湯(98):小建中湯に黄耆(おうぎ)を加えた処方です。当帰建中湯と使用目標は似ていますが、汗をかきやすく疲労が激しいなど気虚(ききょ)の症状が強い場合に黄耆建中湯が選ばれます。例えば、盗汗(寝汗)や皮膚のただれ・潰瘍を伴うような極度に体力が低下したケースに適します。逆に月経不順・月経痛といった血虚の症状は当帰建中湯ほど顕著でない場合に用いられます。
- 大建中湯(100):お腹を温める代表的な処方ですが、組成が異なり山椒・人参・乾姜・膠飴からなります。冷えによる激しい腹痛や腹部膨満感に用いる処方で、当帰建中湯と比べて痛みや腹部の張りが強く、腹部を触ると腸の動きが亢進しているような場合に適します。月経痛や出血など婦人科症状がなく、単純にお腹の冷えと強い痛み(しぶる腹痛や腸の鼓動感)が主体の場合は大建中湯が選ばれます。術後の腸管癒着による痛みやイレウス傾向の張った腹にも用いられる処方です。
- 当帰四逆加呉茱萸生姜湯(38):こちらは当帰四逆湯にさらに呉茱萸(ごしゅゆ)と生姜を加えた処方で、手足の末端が氷のように冷えるタイプの冷え症に用いられます。冷えによる痛みをとる作用が非常に強く、四肢の冷えが顕著で下腹部痛や腰痛がある場合に適します。寒がりで冷えが痛みを悪化させるような人には当帰四逆加呉茱萸生姜湯が第一選択となり、冷え症の女性の月経痛にも効果を発揮します。ただし胃腸を温める力は当帰建中湯より強い反面、血を補う力は当帰建中湯の方が勝ります。極度の冷えによる痛みには当帰四逆加呉茱萸生姜湯、冷えと血虚が絡む痛みには当帰建中湯、と使い分けます。
副作用や証が合わない場合の症状
漢方薬も体質に合わないと副作用が出ることがあります。当帰建中湯は比較的穏やかな処方ですが、注意すべき点を挙げます。
- 偽アルドステロン症:配合生薬の甘草(カンゾウ)にはグリチルリチン酸が含まれます。長期間大量に服用した場合、体内の電解質バランスが崩れ、むくみ、手足のしびれ、血圧上昇、低カリウム血症などの症状が出ることがあります。これを偽アルドステロン症と呼び、重篤な副作用です。定期的な血液検査や症状のモニタリングが必要です。万一、足がつる・しびれる、著しいむくみや倦怠感が出た場合は服用を中止し、医師に相談してください。
- 証に合わない場合の反応:当帰建中湯は虚弱で冷えがある人向けの処方です。そのため、実証(体力が充実して熱感がある)タイプの人が服用すると効果が現れないばかりか、のぼせ感やほてり、胃部不快感などが出る可能性があります。このように「証(しょう)」が合わない場合は無理に続けず、処方を見直すことが大切です。漢方薬は症状だけでなく体質に合わせて選ぶものなので、適切な証に基づいて使用しましょう。
併用禁忌・併用注意の薬剤
当帰建中湯には明確な併用禁忌(一緒に使ってはいけない薬剤)は知られていませんが、いくつか併用に注意が必要な薬剤があります。
- 甘草を含む他の薬との併用:すでに述べたとおり甘草由来の成分には偽アルドステロン症のリスクがあります。市販の風邪薬や去痰薬、のど飴などにグリチルリチン酸が含まれている場合があります。同じ甘草成分を含む漢方薬(例:芍薬甘草湯(68)、補中益気湯(41)、抑肝散(54)など)を複数併用すると、グリチルリチン酸の摂取量が増えて副作用リスクが高まります。必ず医師・薬剤師に現在服用中の薬を伝え、自己判断での重複服用は避けてください。
- 利尿薬・ステロイド剤との併用:利尿薬(尿を出す薬)や副腎皮質ステロイド剤を服用中の方は注意が必要です。これらの薬はカリウムの排泄を促進したり、電解質バランスに影響を与えたりするため、甘草との併用で低カリウム血症や血圧上昇が生じやすくなります。医師の指示のもと、血圧や血液中のカリウム値をモニターするなど慎重に経過を見る必要があります。
- その他の注意:漢方薬同士を自己判断で併用することは避けましょう。漢方薬は単独でも複数の生薬が組み合わさって作用しています。複数の漢方薬を併用すると作用が過剰になったり思わぬ相互作用が起こる可能性があります。当帰建中湯を含め、併用について不安な場合は処方医に必ず相談してください。
含まれている生薬とその役割
当帰建中湯には6種類の生薬が含まれています。それぞれが協調して作用し、虚弱な体を補い痛みを和らげます。
- 当帰(とうき):セリ科のトウキの根。補血作用があり、血液循環を促進して痛みを鎮めます。特に女性の血の道症状(月経痛や産後の回復)に効果を発揮するため加えられています。
- 桂皮(けいひ):クスノキ科ニッケイの樹皮(シナモン)。体を芯から温める作用があり、血行を良くして冷えによる痛みを和らげます。また上半身のほてりや不眠、動悸を鎮め自律神経を調える作用も持ちます。
- 芍薬(しゃくやく):ボタン科シャクヤクの根。筋肉の緊張をほぐし鎮痛作用を発揮します。芍薬は血行を改善し、こわばった下腹部の筋肉を弛緩させることで、月経痛や腹痛をやわらげます。
- 甘草(かんぞう):マメ科カンゾウの根。調和作用があり、他の生薬の働きをまとめる役割をします。また鎮痛作用・抗炎症作用も持ち、腹痛や胃痛を和らげます。ただし前述のとおり長期大量使用には注意が必要です。
- 生姜(しょうきょう):ショウガ科ショウガの根茎。身体を温め胃腸の働きを高める作用があります。冷えで弱った消化機能を立て直し、吐き気を抑える働きもあります。桂皮とともに体を温めて冷えを改善する要です。
- 大棗(たいそう):クロウメモドキ科ナツメの果実。胃腸の機能を補い、緊張を和らげて精神を安定させる作用があります。甘味成分が多く含まれ、胃腸にエネルギーを与えるとともに、生薬の味をまろやかに調整してくれます。
※当帰建中湯の原典処方では、上記に加えて膠飴(こうい)という麦芽糖の飴が加えられています。膠飴はエネルギー補給と胃腸を温める目的で用いられ、煎じ薬で服用する際には甘く飲みやすい薬汁になります。現在のエキス顆粒製剤では膠飴は含まれませんが、必要に応じて蜂蜜などを加えて服用するとより胃腸を労わることができます。
当帰建中湯にまつわる豆知識
歴史と名前の由来:当帰建中湯は、約1800年前の中国・漢の時代に張仲景(ちょうちゅうけい)によって著された『金匱要略』が出典です。その処方名は、主要生薬の「当帰」と「中(腹部)を建て直す湯」という意味から名付けられました。「建中湯」とは胃腸虚弱を改善する一群の処方名で、小建中湯や大建中湯も同じ系列に属します。当帰建中湯は小建中湯に当帰を加えた処方で、文字通り当帰によって腹部(中焦)の機能異常を立て直すことを目的としています。
誰が使ったか:古くは産科婦人科領域の漢方薬として用いられ、産後の肥立ちが悪い女性や虚弱な体質の婦人の「血の道症」に対する妙薬として重宝されました。江戸時代の漢方医も、冷え性で貧血気味の女性の下腹部痛に処方した記録が残っています。現代でも婦人科だけでなく、消化器内科や肛門科領域(痔の痛み)などでも幅広く使われています。
生薬の由来と味:当帰は「当に帰るべし」という意味の名を持ち、古来より女性にとって欠かせない補血薬でした。当帰建中湯に含まれる生薬は桂皮・大棗・甘草など風味の良い甘みのあるものが多く、煎じるとほんのり甘く飲みやすい味になります。小建中湯は「一杯の甘い漢方スープ」のような味わいで、小児にも好まれやすい処方です。当帰建中湯でも同様に、大棗や甘草の甘みがあるおかげで服用しやすく、続けやすいのが特徴です。ただし独特の薬草臭もありますので、苦手な方は冷ましてから蜂蜜を混ぜるなど工夫すると良いでしょう。
まとめ
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。