当帰飲子の効果、適応症
当帰飲子(とうきいんし)は、皮膚が乾燥してかゆみが強い症状に対して用いられる漢方薬のひとつです。血液を補って巡りを改善し、乾燥した肌に潤いと栄養を届けることで「血虚(けっきょ」による皮膚のかゆみ(血虚生風のそう痒)を和らげる効果があります。分泌物が少なく発赤もあまり見られない乾燥性の湿疹・皮膚炎によく使われ、特に高齢者の皮膚そう痒症に対する代表的な処方です。体力があまり無く冷え症ぎみの方に向く処方とされ、以下のような症状・体質に効果が期待できます。
- 乾燥型のアトピー性皮膚炎:肌がカサカサに乾燥し、冬場に悪化しやすいアトピーで強いかゆみがある
- 高齢者の皮膚そう痒症:年齢とともに皮脂分泌が低下して肌が粉を吹いたように乾燥し、入浴後や就寝前に全身がむずがゆくなる
- その他の乾燥性皮膚疾患:皮脂欠乏性湿疹(ひしけつぼうせいしっしん)や慢性的な湿疹で患部の皮膚が肥厚しカサブタ状になっているが、ジュクジュクした湿りはなく表面が乾いている
このように、当帰飲子は肌の乾燥によって生じるかゆみに用いられる処方です。血液の不足により皮膚に栄養と潤いが行き届かなくなると、皮膚が乾燥して剥けやすくなり、その刺激で「風(ふう)」と呼ばれるかゆみの原因(体表の異常興奮)が生じると考えられます。当帰飲子は不足した血(けつ)を補いながら皮膚表面の風を取り除くことで、乾燥による皮膚のかゆみを根本から緩和することを目指した処方です。特に体質的に血色が悪く貧血ぎみ、冷え性で皮膚がカサカサする方のかゆみに適しています。ただし、アトピー性皮膚炎などの場合でも赤みやジュクジュクが強いタイプには向かないため、その場合は後述する別の処方が検討されます。
よくある疾患への効果
アトピー性皮膚炎(乾燥型)
アトピー性皮膚炎の中でも、肌の乾燥が目立ち赤みはそれほど強くないタイプの症状に当帰飲子が用いられることがあります。冬場の乾燥で悪化するアトピーや、ステロイド外用薬を塗って炎症は落ち着いたものの肌のバリアが弱くかゆみだけ残っている場合などです。当帰飲子を服用すると、皮膚に必要な栄養と潤いが補給されて肌質が改善し、ガサガサした痒みが徐々に和らぐ効果が期待できます。ただし、当帰飲子自体に強い抗炎症作用があるわけではないため、ジュクジュクとした炎症が残っている場合には他の漢方薬(例:温清飲(57)など)を併用することもあります。アトピー性皮膚炎は体質や症状によって処方の使い分けが重要であり、乾燥傾向の方には当帰飲子が適した漢方治療の選択肢となります。
皮膚そう痒症(高齢者のかゆみ)
加齢に伴う皮膚の乾燥(いわゆる乾皮症)によって生じる全身のかゆみ(皮膚そう痒症)は、高齢の患者さんに非常によく見られる症状です。秋から冬にかけて湿度が下がると皮脂や汗が減り、脚や背中、お腹などが粉を吹いたように白く乾燥して強いかゆみを感じます。こうした高齢者の乾燥性かゆみに対して、当帰飲子は体の内側から潤いを補給してかゆみを鎮める伝統的な処方として用いられてきました。四物湯(しもつとう)を中心に補血薬・止痒薬を配合した当帰飲子を服用することで、肌の乾燥そのものを改善し、夜間のムズムズする痒感を和らげる効果が期待できます。かゆみが軽減されると掻き壊しによる皮膚炎も予防でき、結果的に皮膚の状態改善につながります。高齢者の皮膚そう痒症は保湿剤など外用ケアも大切ですが、当帰飲子のような内服療法を併用することで頑固なかゆみに対応することができます。
その他の乾燥性皮膚疾患
上記以外にも、皮膚が乾燥して剥け落ち、かゆみが慢性的に続くような皮膚疾患に当帰飲子が応用されることがあります。たとえば皮脂欠乏性湿疹(老人性乾皮症のひび割れ湿疹)や貨幣状湿疹(皮膚が硬くコイン状に乾燥してかゆい湿疹)などです。これらはいずれも皮膚表面の潤い不足が関与する疾患であり、当帰飲子によって内側から血液循環と保湿力を高めることで症状の改善が期待できます。また、慢性蕁麻疹のように皮膚に明らかな発疹はなく「とにかく全身が痒い」というケースでも、体質が血虚傾向であれば当帰飲子が奏効する場合があります。ただし、乾癬(かんせん)など皮膚が乾燥しつつも炎症や厚みが強い病変では、当帰飲子単独では力不足なことが多いです。その場合は清熱作用のある漢方薬や西洋医学的な治療と併用し、症状に合わせて総合的に対処します。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
皮膚のかゆみや湿疹の症状には、当帰飲子以外にもいくつか漢方薬が用いられます。症状の性質や患者さんの体質によって処方を選び分けることが大切です。ここでは、当帰飲子と比較されやすい処方をいくつかご紹介します。
当帰芍薬散(23)
当帰芍薬散(23)(とうきしゃくやくさん)は、当帰・芍薬・川芎・白朮・茯苓・沢瀉の6種から成る処方で、血を補いながら余分な水分をさばく作用があります。本来は貧血気味で冷え性、むくみを伴う女性の体質改善や婦人科疾患に用いられる処方です。当帰飲子と同様に血を補う生薬(当帰・芍薬・川芎)を含みますが、かゆみを止める生薬は含まれていません。そのため、皮膚の乾燥を改善する力はあっても、痒みそのものに対する効果は当帰飲子ほど期待できません。また当帰芍薬散には利水作用のある白朮(びゃくじゅつ)・茯苓(ぶくりょう)・沢瀉(たくしゃ)が含まれており、むくみを取る一方で身体を乾かす方向に働きます。したがって皮膚が既に乾燥している方が当帰芍薬散を服用すると、かえって肌の潤いが不足してしまう可能性があります。一方、当帰飲子には利水薬が含まれず、代わりに防風や荊芥など風を散らす薬が入っているため、乾燥によるかゆみに特化している点が特徴です。同じ「当帰」が名前につく処方でも、当帰芍薬散は貧血・冷え・むくみ主体、当帰飲子は貧血・乾燥・痒み主体と覚えると使い分けが明確になります。
温清飲(57)
温清飲(57)(うんせいいん)は、四物湯(当帰・芍薬・川芎・地黄)に黄連解毒湯(おうれんげどくとう)を合わせた処方で、血を補いつつ体の余分な熱を冷ます作用を持ちます。湿疹・皮膚炎の治療でよく用いられ、皮膚の乾燥に加えて赤みや炎症が比較的強いケースに適します。例えばアトピー性皮膚炎で皮膚がカサカサしているものの掻き壊しによる赤み・炎症が残っている場合や、更年期以降の女性で肌が乾燥しつつのぼせやすい場合などです。温清飲には黄連(おうれん)・黄芩(おうごん)・黄柏(おうばく)・梔子(さんしし)といった苦味の清熱薬が含まれ、体内の「血熱(けつねつ)」を冷まして炎症やほてりを抑える働きがあります。一方で当帰飲子にはそうした清熱薬が含まれないため、赤みや熱感の強い湿疹には力不足です。**当帰飲子が「乾燥した肌を潤し痒みを止める処方」なら、温清飲は「乾燥もあるが炎症を伴う肌を冷まし潤す処方」**と言えます。ただし温清飲はやや体力中等度以上向きで、冷え性で虚弱な人には清熱薬が負担となる場合もあります。逆に体力が無く冷えが強い人には当帰飲子の方が安全で効果的です。このように皮膚の赤み・熱の程度や体質を見極めて、当帰飲子と温清飲を使い分けます。
消風散(22)
消風散(22)(しょうふうさん)は、体力中等度以上の比較的頑健な方向けの処方で、湿疹・皮膚炎で分泌物が多く、赤みや腫れ、熱感を伴うかゆみに用いられます。石膏(せっこう)や知母(ちも)などの清熱薬と、蒼朮(そうじゅつ)や木通(もくつう)などの利湿薬、さらに防風・荊芥・蟬退(ぜんたい)といった祛風止痒薬を組み合わせ、皮膚の炎症を冷ましながら湿気を取り、強いかゆみを発散させる処方です。ジュクジュクと汁が出ている湿疹や汗疹(あせも)、急性期の蕁麻疹などに第一選択されることが多く、乾燥よりも「湿熱(しつねつ)」が主体の皮膚トラブルに適しています。当帰飲子と比べると、消風散は体を乾かす方向に働くため皮膚を潤す作用はありません。したがって、もし皮膚の乾燥が強い人が消風散を服用すると、肌がさらにカサカサになり痒みが悪化する恐れがあります。逆に分泌物が多いウェットな湿疹に当帰飲子を使っても十分な効果は得られず、むしろ甘い補血薬が湿を滞らせて症状を長引かせる可能性があります。湿疹が「乾燥タイプ」か「湿潤タイプ」かで、当帰飲子と消風散は使い分けが明確になります。
荊芥連翹湯(50)
荊芥連翹湯(50)(けいがいれんぎょうとう)は、皮膚科領域ではにきびや慢性化した湿疹に用いられる処方です。本来の適応症は蓄膿症や慢性鼻炎・扁桃炎などの慢性炎症性疾患ですが、体力中等度で熱毒がこもりやすい体質の皮膚トラブルにも応用されます。黄連解毒湯に類似した黄連・黄芩・山梔子などの清熱解毒薬に加え、荊芥・防風・薄荷(はっか)など風を散らす薬、さらに当帰や川芎も含まれており、熱を冷ましつつ血行を促進して腫れや炎症・かゆみを改善する処方です。たとえば慢性湿疹で皮膚が厚く黒ずんできた方や、アトピー性皮膚炎で長年の経過により色素沈着や苔癬化(たいせんか:皮膚がゴワゴワ硬くなる)が見られる方に用いることがあります。荊芥連翹湯は皮膚症状だけでなく慢性的な副鼻腔炎や扁桃腺炎にも用いられることから、アレルギー性鼻炎を合併するアトピーにもマッチしやすい処方です。対して当帰飲子は鼻炎への効果は乏しく、皮膚の乾燥かゆみに特化しています。皮膚の状態が長期化して「瘀熱(おねつ:滞った熱)」を伴う場合には荊芥連翹湯、単純に乾燥と血虚による痒みなら当帰飲子と、症状の経過や随伴症状によってこれらを選択します。
副作用や証が合わない場合の症状
当帰飲子は比較的マイルドな処方ですが、体質に合わない場合や長期間・大量に服用した場合、副作用が現れる可能性があります。
- 消化器症状:胃もたれ・食欲不振・軟便・下痢など。地黄や何首烏といった滋養強壮薬を多く含むため、胃腸が弱い方では消化不良を起こすことがあります。服用中に胃の重苦しさや下痢が続く場合は減量または中止し、医師に相談してください。
- 皮膚症状:発疹、かゆみ、蕁麻疹(じんましん)などの過敏症状がまれに報告されています。服用後に皮膚の赤み・かゆみがかえって強まった場合や、発疹が出現した場合には服用を中止し、早めに医療機関へご相談ください。
- 重篤な副作用:当帰飲子には甘草(カンゾウ)が含まれています。甘草の成分を長期大量に摂取すると、偽アルドステロン症(低カリウム血症による脱力や高血圧、むくみ)を引き起こすおそれがあります【※甘草含有の他薬との併用時に注意】。手足のだるさ、著しいむくみ、血圧上昇や不整脈などがみられた場合はすみやかに専門医に相談してください。また非常にまれですが、何首烏(カシュウ)など一部生薬で肝機能障害が報告された例もあります。黄疸(皮膚や白目が黄色くなる)や倦怠感が出現した際にも念のため肝機能検査を受けることが推奨されます。
また、体質(証)が合わない場合、効果が十分得られないばかりか症状が悪化することがあります。例えば湿熱(しつねつ)が強く分泌物の多い湿疹に当帰飲子を用いると、滋養作用が裏目に出て湿気や熱がこもり、かゆみや炎症が悪化する可能性があります。同様に体力充実して赤ら顔で暑がりな実証の方には、当帰飲子の温補作用が逆効果になる場合があります。この処方は虚証かつ血虚傾向の乾燥性皮膚炎に適した薬であり、服用して数週間経っても症状改善がみられない場合は証のミスマッチが疑われます。その際は漫然と飲み続けず、医師と相談の上で別の処方への切り替えを検討してください。
併用禁忌・併用注意な薬剤
当帰飲子には麻黄や附子のような刺激の強い生薬は含まれておらず、絶対的な「この薬と併用してはいけない」という禁忌薬は比較的少ないとされています。ただし、以下のような場合には併用に十分な注意が必要です。
- 利尿薬や副腎皮質ステロイド剤との併用:当帰飲子に含まれる甘草の作用により、利尿薬(例:フロセミドなどループ利尿剤)やステロイド薬と一緒に服用すると低カリウム血症を生じやすくなる可能性があります。筋力低下や不整脈のリスクが高まるため、これらを服用中の方は医師に相談の上で慎重に使用してください。特にステロイド外用を広範囲に使用中のアトピー患者さんではカリウム低下に注意が必要です。
- 強心薬(ジギタリス製剤)との併用:上記の低カリウム状態になると、ジギタリス製剤の作用が増強され不整脈の危険性が高まります。心不全治療中でジギタリス系のお薬を内服している場合は、当帰飲子の併用について主治医と十分に相談してください。
- 抗凝血薬との併用:当帰飲子に含まれる当帰・川芎などの生薬は、血行を促進する作用があります。そのためワルファリンなどの抗凝血薬を服用中に当帰飲子を開始すると、出血傾向に影響を及ぼす可能性があります。実際の相互作用は個人差がありますが、併用する場合は定期的に血液凝固検査を受けるなど経過観察を行いましょう。
- その他の漢方薬やサプリメント:当帰飲子と作用や構成が似た漢方薬を自己判断で重複併用することは避けてください(例:四物湯や婦人科系の補血剤、甘草を含む他の漢方薬など)。生薬成分の重複により副作用リスクが高まる可能性があります。また、ハーブサプリメント類(例えば甘草エキス、ドング Quai=当帰サプリなど)との併用も注意が必要です。サプリメントも含め、現在服用中のものがあれば事前に医師・薬剤師に伝えておくことをおすすめします。
含まれている生薬の組み合わせ、なぜその生薬が選ばれているか
当帰飲子は10種類の生薬を組み合わせて作られています。基本処方は「四物湯」+「補気・祛風(きょふう)薬」と言える内容で、すなわち「当帰(トウキ)」「芍薬(シャクヤク)」「川芎(センキュウ)」「地黄(ジオウ)」の四物湯に、さらに「何首烏(カシュウ)」「蒺藜子(シツリシ)」「防風(ボウフウ)」「荊芥(ケイガイ)」「黄耆(オウギ)」「甘草(カンゾウ)」を加えた処方構成になっています。血を補う4つの生薬に、かゆみを止める生薬と気を補う生薬を加えた形で、乾燥した肌の痒みに対応する独特の組み合わせとなっています。それでは各生薬の役割について見てみましょう。
当帰(トウキ)
当帰は補血(血を補う)と活血(血の巡りを良くする)作用を併せ持つ代表的な生薬です。婦人科の要薬として有名で、血虚による諸症状(貧血・冷え・肌荒れなど)に広く使われます。皮膚においては血液を増やし循環を改善することで、乾燥した肌に栄養と潤いを行き渡らせる働きがあります。当帰飲子では主薬として位置づけられ、血を増やしつつ瘀滞を防ぐことで、肌のターンオーバーを正常化してかゆみを和らげます。また、血行促進によって冷え性の改善やホルモンバランス調整にも寄与し、特に女性や高齢者の体質改善に一役買っています。
芍薬(シャクヤク)
芍薬(ここでは白芍薬)は補血と緩和作用を持つ生薬です。当帰と組み合わせて四物湯の中核をなし、血虚状態の改善に働きます。芍薬は筋肉の緊張を和らげ痛みを止める作用もあり、「補血調経薬」として女性の生理痛や腹痛によく用いられます。当帰飲子では、不足した血を補いながら体のこわばりやイライラを鎮める役割があります。かゆみによるストレスで神経が高ぶりやすい状態を緩和し、自律神経のバランスを整えることで痒みの感じ方をマイルドにする効果も期待できます。また芍薬は収斂(しゅうれん)作用で汗や体液の漏出を防ぐ面もあり、乾燥肌の保水力アップに寄与しています。
川芎(センキュウ)
川芎はセリ科の根茎で、血行を促進し、痛みを止める作用を持つ生薬です。頭痛や月経痛の治療によく使われ、「血中の気薬」と称されるほど血の巡りを良くする力に優れます。四物湯では当帰・芍薬とともに血を補いつつ滞りを散らす役割を担っています。当帰飲子において川芎は、血液循環を高めて皮膚への栄養供給を改善し、慢性的な炎症や痒みで生じた微小な瘀血を解消する働きがあります。血行が良くなることで皮膚の隅々にまで薬効が届きやすくなり、また傷ついた組織の修復も促進されます。さらに川芎の持つ鎮静作用により、掻き毟りによる神経の高ぶりを鎮める効果も期待できます。
地黄(ジオウ)
地黄はアカヤジオウの根を乾燥させた生薬で、四物湯の構成生薬の一つです。一般には熟地黄(じゅくじおう)と呼ばれる蒸した地黄が補血薬として用いられ、血を増やし、身体に潤いを与える作用に優れます。地黄は粘性が高く胃腸に負担をかけやすい面がありますが、その強い滋養作用で枯れた身体を潤すことができます。当帰飲子では、乾燥した皮膚に水分と栄養を補給し、肌のカサつきを根本から改善する役割を果たしています。特に高齢者など血虚が進んで肌艶がなくなった状態に対し、地黄は必要な潤いを補充してくれます。また地黄には微熱を冷ます効果もあり、慢性湿疹でわずかに残る炎症熱を鎮めるのにも役立ちます(処方全体としては温性ですが、地黄の清熱作用がバランスを取っています)。
何首烏(カシュウ)
何首烏(カシュウ)は血を補い肝腎を滋養する生薬です。日本ではあまり馴染みがありませんが、中国では髪を黒くし若返らせる薬として古来有名です(※「首烏(しゅう)」という人がこの薬草で黒髪を取り戻したという伝説が名前の由来)。当帰飲子において何首烏は、四物湯で補いきれないさらなる補血・補益効果を追加する目的で配合されています。特に乾燥による皮膚の老化現象(ツヤの無さや粉吹き)を改善し、毛髪や爪など皮膚付属器の栄養状態も向上させる働きがあります。何首烏には緩下作用(便通を良くする)もあり、血虚で便秘傾向のある方には一石二鳥の効果が期待できます。ただし、まれに肝機能への影響が報告されているため長期連用時は注意が必要ですが、当帰飲子では通常量を守っていれば問題なくその滋養強壮効果を享受できます。
蒺藜子(シツリシ)
蒺藜子(蒺藜:じり、シツリシ)はハマビシの種子で、皮膚のかゆみを抑える代表的な生薬です。古くは目の充血やめまい、涙目など「上部の風熱症状」を治療する薬として知られますが、特に血虚による皮膚瘙痒に用いると効果的とされています。蒺藜子には皮膚表面の感覚異常を鎮め、掻痒感を減らす作用があり、現代薬理でも抗ヒスタミン様作用が示唆されています。当帰飲子では、乾燥でカサついた皮膚に生じた痒み(風)を収める要薬として配合されています。蒺藜子が加わることで、当帰飲子は補血による“潤す”効果だけでなく“痒みを直接止める”効果を持つ処方となっています。皮膚にポツポツと色調変化のない小さなブツブツ(風疹様丘疹)ができ、夜間に痒みが増すような血虚の症状に対し、蒺藜子は欠かせない生薬です。
防風(ボウフウ)
防風はセリ科の根で、その名のとおり風を防ぐ=外邪(風邪)を発散する作用を持つ生薬です。発汗させて表面の邪気を追い出す解表薬の一種ですが、特に風による痒みや痛みを和らげる効果があります。「風薬の代表」とされ、あらゆる皮膚疾患の漢方処方によく配合されています。防風は皮膚の痒みを表から発散させて鎮める働きがあり、蕁麻疹や湿疹、皮膚掻痒症など幅広い痒みに対応します。当帰飲子では、防風が入ることで皮膚表面に鬱積した乾燥によるかゆみ成分(風燥)を汗とともに追い出すことができます。また、防風にはわずかに利尿作用もあるため、補血薬である地黄や何首烏の重さを緩和し余分な水分代謝を促す調節役にもなっています。
荊芥(ケイガイ)
荊芥も防風と並ぶ代表的な止痒薬・解表薬です。シソ科の花穂で、粉末にして止血に使われることもありますが、主な作用は発散と消炎です。荊芥は皮膚の発赤や腫れを和らげ、痒みを散らす働きがあり、慢性湿疹やアレルギー性鼻炎などに幅広く使われます。当帰飲子に荊芥が加わることで、乾燥肌にわずかに残る炎症(赤み)やヒリヒリ感を鎮める安全弁の役割を果たしています。温補剤が中心の当帰飲子において、荊芥は清涼感を与えて熱のこもりを防ぎ、掻き壊しによる軽い化膿や腫れを防ぐ効果も期待できます。また、荊芥も解表発汗作用があるため、防風とともに体表の邪気を払い、皮膚のかゆみを表層から発散させる働きを担っています。
黄耆(オウギ)
黄耆はマメ科の根で、気を補い、体表の防御機能(衛気)を強める作用を持つ生薬です。免疫賦活作用があることからアレルギー体質の改善にも用いられ、「補気剤」の代表格として疲労や虚弱体質の処方によく配合されます。皮膚に対しては、汗腺や毛細血管の機能を調整して皮膚のバリアを強化する働きがあり、慢性的な皮膚炎の再発予防に有用です。当帰飲子では、補血だけで足りないエネルギー部分を補い、肌細胞に十分な栄養が届くようにサポートする役割があります。黄耆が加わることで、血だけでなく気の面からも皮膚の潤い保持力を高め、かゆみに対する抵抗力をつけてくれます。また黄耆は利尿作用も持つため、地黄や何首烏の滞りを防ぎつつ全身の巡りを底上げする働きも担っています。さらに創傷治癒促進作用も報告されており、掻き傷が治りにくい方にも有益です。
甘草(カンゾウ)
甘草は調和作用を持つ生薬で、ほとんどの複合処方に少量ずつ配合される「万能の調整薬」です。甘い味で胃を守りつつ、鎮痛・鎮痙・消炎など幅広い薬理作用を持ちます。当帰飲子では、複数の生薬の癖を丸くまとめ、副作用を抑える縁の下の力持ちとして機能しています。例えば、川芎や防風など発散薬の刺激性を和らげ、地黄や何首烏の消化への負担を軽減します。また、甘草自体にも軽い抗アレルギー作用があり、痒みによる皮膚の赤みやヒリヒリ感を鎮めるのに役立ちます。さらに筋肉のこわばりを緩める作用もあるため、掻き続けて緊張した皮膚や筋膜をリラックスさせる効果も期待できます。ただし甘草の過剰摂取は前述の偽アルドステロン症の原因となり得るため、当帰飲子を長期大量に服用する際は他の甘草含有製品との重複に注意が必要です。
当帰飲子にまつわる豆知識
- 名前の由来:「当帰飲子」の名前は、処方の中心生薬である当帰を含む煎じ薬(飲子)であることに由来します。「当帰」とは漢字のとおり“帰るべし”という意味を持ち、古くは産後に体調を崩した女性が当帰を服用して本来の健康状態に戻る(家に帰る)ことを期待して命名されたと言われます。当帰飲子は当帰の補血作用を存分に活かした処方であり、乾燥した肌を元の潤いある状態に「帰らせる」頼もしい効能につながっています。
- 血虚生風という考え方:漢方では「血(けつ)は肌の栄養源、血虚になると風を生ず(血虚生風)」とされます。血液が不足すると皮膚が養われず乾燥し、その結果として皮膚にかゆみ(風)が起こるという意味です。当帰飲子はまさに血を補って風を去る(養血去風〔ようけつきょふう〕)処方であり、血虚生風による皮膚瘙痒を治す古典的な治療法の一つです。江戸時代の漢方医も「皮膚が燥いて痒を発するには、まず血を補うべし」と述べ、当帰飲子のような処方を用いていました。現代医学的にも、貧血や栄養不足の人は皮膚バリアが弱まり痒みを感じやすいことが知られており、古来の知恵が現代の乾燥肌治療に活かされています。
- 何首烏の伝説:配合生薬の一つ「何首烏(カシュウ)」にはユニークな伝説があります。中国の伝説上の人物「何首烏」という老人が、この薬草を飲んだところ衰えて白髪だった髪が真っ黒によみがえり若さを取り戻したと言われています。それ以来この植物は彼の名を取って「何首烏」と呼ばれるようになり、滋養強壮・不老長寿の妙薬として珍重されてきました。当帰飲子に何首烏が加えられているのも、皮膚や髪の乾燥・老化を防ぎ若々しさを保つという目的があります。漢方の処方にはしばしばこのような興味深い故事由来の生薬が含まれており、服用する際に思いを馳せてみるのも一興です。
- 四物湯との関係:当帰飲子の処方構成を見ると、基本は四物湯(しもつとう)という補血の処方であることがわかります。四物湯は当帰・芍薬・川芎・地黄の4つからなる婦人薬として有名な処方です。当帰飲子ではこの四物湯に、かゆみ止めの蒺藜子・防風・荊芥、そして補気の黄耆を加えています。言わば「四物湯+止痒薬+補気薬」が当帰飲子の正体であり、皮膚を潤しつつ痒みを取るよう工夫されたアレンジ処方です。同様に、先述の温清飲(57)は四物湯に黄連解毒湯を合せた処方、消風散(22)は四物湯から地黄を除き清熱・利湿薬を加えた処方とも言えます。このように漢方では基本処方に加減を加えて応用することが多く、当帰飲子も四物湯という名方を発展させた好例と言えるでしょう。
まとめ
当帰飲子は、皮膚の乾燥による強いかゆみに適した漢方薬です。血虚(血の不足)を改善しながら皮膚表面の風(かゆみの原因)を除くことで、肌に潤いと栄養を届け、アトピー性皮膚炎や皮膚そう痒症など乾燥を伴うかゆみ症状を和らげる効果が期待できます。比較的副作用の少ない穏やかな処方ですが、湿潤傾向の強い湿疹や実証の体質には適さないため注意が必要です。患者さん一人ひとりの体質(証)と症状に合致した場合にこそ十分な効果を発揮する処方であり、漢方専門医による的確な証の見立てが重要になります。
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。