香蘇散の効果、適応症
香蘇散(こうそさん)は、風邪の初期症状やストレスによる不調に用いられる漢方薬の一つです。虚弱で胃腸が弱い体質の方に向いており、特に「かぜのひき始め」でよく処方されます。症状としては軽い悪寒(おかん)や頭痛、鼻づまり、食欲不振などがみられますが、多くの場合、高熱はあまりありません。体力が低下して冷えを感じやすい方の感冒(かぜ)の初期に適した処方であり、高齢者や妊婦の風邪にも用いられる穏やかな薬です。
香蘇散は「気の巡りを整えつつ体表の寒邪を発散する」作用があるとされます。緊張やストレスで滞った気の流れ(気滞〈きたい〉)をスムーズにし、軽い寒気や痛みを和らげる働きがあります。発汗作用の強い「麻黄(まおう)」などの刺激の強い生薬を含まないため、副作用が少なく、葛根湯(1)などを服用すると食欲低下や胃もたれを起こしやすい方にも使いやすい処方です。
実際に、麻黄の入った風邪薬が合わない方が代わりに香蘇散を服用し、症状が改善するケースもあります。風邪以外にも、緊張型の頭痛や更年期の不調など自律神経の乱れからくる症状にも適応し、心身両面に穏やかな効果を発揮します。
よくある疾患への効果
かぜの初期(感冒初期)
香蘇散は、風邪(感冒)の初期によく用いられます。ゾクゾクと寒気がするものの発熱は軽度で、頭痛や頭重感、鼻づまり、倦怠感などを伴うといった、比較的穏やかな風邪症状に適しています。特に胃腸が弱く食欲不振を伴う場合に有用で、体力のない高齢者や病後の方、妊娠中で強い薬を使えない方の「なんとなく風邪っぽい」初期段階でしばしば処方されます。香蘇散に含まれる生姜や蘇葉(ソヨウ:シソ葉)の発汗作用で体表の寒邪を追い出しつつ、胃腸を温めて食欲不振や吐き気を改善することで、風邪の悪化を防ぎ早期回復を促します。例えば妊娠中の女性で微熱と頭痛があり食欲が落ちている場合、葛根湯(1)や麻黄湯では刺激が強すぎるため、まず香蘇散が第一選択として用いられることがあります。
緊張型頭痛やめまい
精神的な緊張やストレスによって生じる緊張型頭痛やめまいに対しても、香蘇散が用いられることがあります。漢方では「気鬱(きうつ)」といって、ストレスによって気の巡りが滞る状態が頭痛やふらつきの原因になると考えます。香蘇散に含まれる香附子(コウブシ)や陳皮(チンピ)は、滞った気を巡らせる作用があり、肩こりを伴う頭痛やストレス性のめまい・耳鳴りを緩和するとされています。血行を改善し筋肉のこわばりを解消する効果も期待できるため、肩が重く頭が締め付けられるように痛むタイプの頭痛や、緊張するとフラッとするめまいに適しています。ただし激しい片頭痛発作(ズキズキする頭痛)には効果が十分ではなく、そうした場合には他の処方が検討されます。
更年期障害・血の道症
香蘇散は、女性ホルモンの変化に伴う更年期障害や血の道症にも用いられることがあります。血の道症(ちのみちしょう)とは、月経や出産、更年期など女性のライフサイクルに伴って現れる心身の不調のことで、ホルモン変動による頭痛、不安感、ほてり、動悸、不眠など様々な症状を指す漢方独特の概念です。香蘇散は気の巡りを改善しつつ身体を温めて冷えを取る作用があるため、更年期の肩こりや頭痛、不安神経症状などに対して用いられます。実際に、のぼせと冷えが混在する更年期の不定愁訴に香蘇散を服用し、気持ちの落ち込みや頭重感が和らいだという例も報告されています。ホルモンバランスの乱れに伴う自律神経失調症状を、身体の内外から調整する働きが期待できる処方です。
その他の症状への応用
以上のほか、緊張が引き金となる蕁麻疹(じんましん)や神経性胃炎に応用されることもあります。ストレスによる自律神経の乱れを漢方的に整えることで、こうした症状の再発予防に役立つ可能性があります。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
風邪の初期症状には香蘇散以外にもさまざまな漢方薬が使われます。症状の微妙な違いや患者さんの体質(証)に応じて処方を選び分けることが大切です。ここでは、香蘇散と比較されやすい処方をいくつかご紹介します。
葛根湯(1)
葛根湯(1)(かっこんとう)は、風邪のひき始めに最も有名な漢方薬です。発熱と悪寒があり、汗をかいておらず首や背中のこわばり(いわゆる「こり」)がある場合に用いられます。香蘇散と比べて体力中等度以上(実証寄り)の方向けで、発汗・解熱作用の強い麻黄を含むため、しっかり汗を出して熱を下げる効果があります。
一方で、胃腸が弱い人が葛根湯を服用すると人によっては食欲不振や胃部不快感を生じることがあり、そのような場合により穏やかな香蘇散が代わりに用いられることがあります。症状として鼻水や咳がほとんどなく、寒気と肩こりが主体の風邪であれば葛根湯が第一選択となりますが、虚弱な方や妊娠中の方では香蘇散を優先するなど使い分けがなされます。
桂枝湯(45)
桂枝湯(45)(けいしとう)は、虚証(体力が衰えている状態)の風邪に用いる代表的な処方です。汗が出て悪寒があり、脈が弱いというような「虚弱な体質のかぜ」に適しています。香蘇散と同様に体を内側から温めて汗を促す効果がありますが、桂枝湯は気の巡りを整える作用はそれほど強くありません。そのため、胃腸のつかえ感や精神的な不安を伴う場合には香蘇散の方が適することがあります。
一方、香蘇散よりもさらに体力が低下した高齢者で微熱と汗をかいているような場合には、香蘇散では発汗作用が弱すぎるため桂枝湯が選ばれることになります。両者は似た場面で使われますが、冷えの強さと精神神経症状の有無が使い分けのポイントです。
麻黄湯(27)
麻黄湯(27)(まおうとう)は、体力が充実した方向けの風邪薬です。悪寒が強く発熱し、咳や関節痛を伴い、まだ汗をかいていない初期の風邪に用います。麻黄湯は発汗発熱作用が極めて強く、短時間で体表から邪気(寒気やウイルス)を発散させる力がありますが、その分体力を消耗しやすい処方でもあります。香蘇散と比べると明らかに実証(じっしょう)向きで、健康な成人がインフルエンザにかかったようなケースに適しています。
逆に虚弱な人や妊娠中の風邪には刺激が強すぎるため使用できません。両者を比較すると、麻黄湯は「攻め」の風邪薬、香蘇散は「守り」の風邪薬と表現でき、患者さんの体力や症状の程度によって使い分けられます。
参蘇飲(66)
参蘇飲(66)(じんそいん)は、香蘇散に人参(にんじん)や半夏(はんげ)などを加えて全身の補いを強化した処方です。香蘇散と同様に虚弱な人の風邪に使われますが、参蘇飲は咳や痰、倦怠感が強く出てきた場合に適します。つまり、風邪の初期から中期に移行しつつある段階で、なおかつ体力が低い人に用いるイメージです。参蘇飲には人参で気力を補い、半夏や茯苓(ぶくりょう)で痰湿を取り除く効果があるため、長引く咳込みや食欲低下を伴う場合に有用です。
実際に、香蘇散で様子を見ていた風邪がこじれて咳が出始めた際に参蘇飲へ切り替えて症状改善を図る、というように段階に応じて使い分けることがあります。香蘇散が「虚弱な風邪の初期」に使われるのに対し、参蘇飲は「虚弱な風邪のこじれかけ」に威力を発揮する処方と言えます。
副作用や証が合わない場合の症状
香蘇散は比較的マイルドで副作用の少ない処方とされていますが、体質に合わない場合や長期・多量に服用する場合には注意が必要です。
まず、まれに消化器症状として胃もたれ、食欲低下、吐き気、下痢などが起こることがあります。胃腸の弱い方に使われる処方ですが、生姜や蘇葉による発散作用でごく稀に胃が刺激されることがあります。服用中に強い胃の不快感が続く場合は無理に飲まず、医師に相談してください。
また、皮膚症状として発疹、かゆみ、蕁麻疹などの過敏反応が起こる可能性があります。頻度は高くありませんが、服用後に皮膚の異常を感じた際には速やかに医療機関を受診しましょう。
特に注意すべき重篤な副作用は、香蘇散に含まれる甘草(カンゾウ)による偽アルドステロン症です。甘草を長期間大量に摂取したり、他の甘草含有製品と併用したりすると、カリウム欠乏による脱力感や血圧上昇、浮腫(むくみ)などが生じる恐れがあります。もし服用中に筋力の低下や著しいむくみ、高血圧症状(頭痛や動悸)が現れた場合は、ただちに専門医に相談してください。
なお、漢方薬は証(しょう)と呼ばれる体質・症状の適合が重要です。証が合わない場合、期待した効果が得られないばかりか症状が悪化することもあります。例えば、実熱(体に熱がこもっている)タイプの風邪に香蘇散を使ってしまうと、十分に熱を冷ますことができず病状が悪化する可能性があります。逆に、更年期でものぼせが強くイライラが主体で冷えを伴わない場合は、香蘇散では熱を煽ってしまい不眠やほてりが増悪することがあります。このように適応外の証では無効あるいは逆効果となるため、専門家による見立てに基づき処方を選ぶことが大切です。
併用禁忌・併用注意な薬剤
香蘇散には麻黄や附子といった強い興奮性の生薬が含まれておらず、絶対的な禁忌とされる薬剤は多くありません。しかし、他の医薬品と併用する際には以下の点に注意が必要です。
利尿薬やステロイド剤との併用:甘草の作用で体内のカリウムが減少しやすくなるため、フロセミドなどの利尿剤やプレドニゾロンなどの副腎皮質ステロイドと一緒に服用すると低カリウム血症を起こしやすくなります。筋力低下や不整脈のリスクが高まりますので、これらを服用中の方は併用前に必ず主治医に相談してください。
降圧薬や強心薬との併用:香蘇散を服用してむくみが改善すると、血圧や心臓の負担が変化することがあります。降圧薬(血圧の薬)や強心薬(心不全の薬)を服用中の場合、漢方開始後は血圧や脈拍の変化に注意が必要です。特にジギタリス製剤を使用中の方は、低カリウム状態になると薬の作用が強まり中毒症状を起こす恐れがあるため慎重な管理が求められます。
抗凝固薬との併用:香蘇散に含まれる生薬は比較的穏やかですが、漢方薬全般としてワルファリンなどの抗凝血薬との相互作用には注意が必要です。甘草による電解質変化や生姜の血行促進作用などが凝固系に影響する可能性があります。抗凝固療法中の方が香蘇散を併用する際には、念のため定期的に血液検査を受けたり、医師の指示のもと経過を観察することが望ましいでしょう。
他の漢方薬やサプリメントとの併用:香蘇散と作用の似た漢方薬(たとえば半夏厚朴湯(16)など気を巡らす薬)を安易に併用すると、生薬成分が重複して思わぬ副作用を招く可能性があります。また、市販のサプリメント類でも生姜やシソ由来の成分を含むものがあり、同様に作用が重なることが考えられます。複数の漢方薬やサプリを併用したい場合は、自己判断でなく必ず専門家に相談し、安全性を確認した上で使用するようにしてください。
含まれている生薬の組み合わせ、なぜその生薬が選ばれているか
香蘇散は全部で5種類の生薬を組み合わせて作られています。基本的な処方構成は「香附子(コウブシ)」「蘇葉(ソヨウ)」「陳皮(チンピ)」「甘草(カンゾウ)」「生姜(ショウキョウ)」の5味です。処方名の「香蘇」は、香附子と蘇葉という2つの主薬に由来しています。それぞれの生薬がどのような役割を果たしているのか見てみましょう。
香附子(コウブシ)
香附子(コウブシ)は気の巡りを良くし、痛みを和らげる作用をもつ生薬です。カヤツリグサ科の多年草(ハマスゲ)の根茎で、古来より女性の月経痛や情緒不安定に頻用されてきました。漢方のことわざで「一味香附子、婦人の七情を治す」と言われるほど、香附子は女性の精神神経症状に幅広く用いられます。香蘇散では、香附子が配合されることでストレスや不安による気滞を解消し、頭痛や腹部膨満感を軽減します。さらに、気の流れが整うことで他の生薬の働きも発揮されやすくなり、全体として症状の緩和につながります。
蘇葉(ソヨウ)
蘇葉(ソヨウ)は身体を温めて発汗を促し、気を巡らせる作用を持つ生薬です。シソ科植物(紫蘇)の葉で、独特の芳香があり鎮静や健胃作用も兼ね備えます。風邪の初期において、蘇葉は体表の寒邪を散らしつつ胃腸の働きを助ける役割を果たします。具体的には、軽い寒気や鼻づまりを和らげ、吐き気や食欲不振を改善します。香蘇散では、この蘇葉の作用により虚弱な患者さんでも無理なく汗をかけるようにサポートし、風邪症状の悪化を防いでいます。また蘇葉の芳香成分が精神を安定させる効果もあり、緊張でこわばった心身をリラックスさせる一助となっています。
陳皮(チンピ)
陳皮(チンピ)は気の巡りを整え、痰をさばき、消化を助ける作用を持つ生薬です。ミカンの皮を乾燥させたもので、温州みかん由来の爽やかな香り成分が胃腸を刺激して機能を高めます。香蘇散において、陳皮は胃の働きを底上げし、生薬の消化吸収を助ける「潤滑油」のような役割です。ストレスで胃が重苦しい方や食欲不振のある方に対し、陳皮が配合されることで他の生薬がスムーズに働き、全体的な効果を高めます。また陳皮には去痰作用もあるため、風邪に伴う痰っぽさや喉の違和感を軽減する効果も期待できます。
甘草(カンゾウ)
甘草(カンゾウ)は調和作用を持ち、他の生薬の効能をまとめる生薬です。甘味を持つ根で、古今東西あらゆる生薬の仲立ち役として使われてきました。香蘇散では、甘草が配合されることで生薬同士のバランスが整えられ、副作用の出現を抑える効果があります。例えば、生姜や蘇葉の発汗作用が過度にならないように調節し、胃腸への刺激を和らげています。また甘草自体に消炎・鎮痛作用があるため、喉の痛みや胃粘膜の炎症を鎮める働きも期待できます。ただし甘草の過剰摂取は前述の通り偽アルドステロン症のリスクがあるため、香蘇散を含め複数の甘草含有薬を併用する際は要注意です。
生姜(ショウキョウ)
生姜(ショウキョウ)は体を温めて発汗させ、胃腸を温める作用を持つ生薬です。新鮮な生姜の根茎を乾燥させたもので、漢方では発散薬兼健胃薬として位置づけられます。香蘇散では、生姜が配合されることで体内の冷えを追い出し、胃腸の機能を高める役割を果たします。特に蘇葉と協力して発汗を促し、悪寒や頭痛を改善します。同時に、生姜が胃腸を温めることでストレスで緊張した胃の筋肉をほぐし、食欲不振や吐き気を鎮めます。さらに生姜には抗菌・抗ウイルス作用もあるため、風邪の原因となる病原体に対する抵抗力を高める効果も期待できます。香蘇散において、生姜はまさに縁の下の力持ちとして全体の働きを底支えしています。
香蘇散にまつわる豆知識
名前の由来:「香蘇散」という名前は、主要成分である香附子(=香)と蘇葉(=蘇)を使った散剤であることにちなんでいます。香附子の「香」は芳香が高いこと、蘇葉の「蘇」は紫蘇に由来し、これらを合わせて「香り高い紫蘇の散剤」という意味合いを持ちます。別名「香蘇 powder」とも呼ばれ、中国語でも「Xiang Su San(香蘇散)」と表記されます。両生薬とも独特の良い香りを放つため、服用時にもふんわりとした爽やかな香りを感じられるのが特徴です。
歴史:香蘇散は中国の宋代に編纂された『太平恵民和剤局方(たいへいけいみんわざいきょくほう)』(1151年)に収載されている古い処方です。当時は四季を通じた温疫(おんえき:流行り病)の初期治療薬として使われていました。日本にも江戸時代までに伝わり、主に婦人科領域で活用されてきた経緯があります。しかし明治以降は葛根湯などの方が著名になり、一時期はあまり用いられなくなりました。近年になって、妊娠中の風邪やメンタルストレスに配慮した処方として再評価され、医療用エキス剤「ツムラ70番」として市販されるなど現代医療の中でも存在感を取り戻しています。
植物としてのエピソード:香蘇散に含まれる紫蘇(シソ)は、日本料理でも大葉(青じその葉)として親しまれる植物です。生の紫蘇葉は刺身のツマなどに利用され、古来より魚の生臭さを消し食中毒を防ぐ薬味として重宝されてきました。その薬効成分は漢方でも評価され、蘇葉として風邪や胃腸の薬に応用されています。香附子の原料であるハマスゲという植物は、日本では雑草扱いされることもありますが、地下茎には「ほのかな香り」があり乾燥させると線香の材料に用いられることがあります。
味や飲みやすさ:香蘇散の煎じた液は、ほのかに甘くスパイシーな味がします。甘草の甘味と陳皮・蘇葉の柑橘系の香り、生姜のピリッとした風味が調和し、漢方薬の中では比較的飲みやすい部類です。エキス顆粒剤(ツムラ70番)でも、溶かしたときにシソやミカンの香りが感じられ、多くの患者さんが抵抗なく服用できると報告されています。ただし、人によってはシソ独特の風味が苦手に感じる場合もあります。その際は無理せず医師や薬剤師に相談し、服用方法(お湯に溶かす、水で一気に飲むなど)を工夫すると良いでしょう。
まとめ
香蘇散は、虚弱な体質で風邪をひきやすい方やストレスで不調を来しやすい方に適した漢方薬です。体を内側から温めて発汗を促しつつ、気の巡りを整えることで、風邪の初期症状から更年期の不定愁訴まで幅広い症状の改善が期待できます。副作用が少なく穏やかな処方ではありますが、甘草による浮腫やカリウム異常など重篤な副作用の可能性や、証に合わない場合のリスクも念頭に置く必要があります。適切な証の見極めと用法用量の遵守のもとで、安全かつ効果的に用いることが大切です。
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
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