女神散の効果、適応症
女神散(にょしんさん)は、主に女性のホルモン変動に伴う不調に用いられる漢方薬です。血行不良によって血液の巡りが悪く滞った状態(漢方でいう「瘀血(おけつ)」)を改善し、体内の「気(き)」の巡りも整えることで、体と心の症状を和らげます。とくにのぼせ(顔がほてる感じ)やめまいなどの症状を伴うケースで効果が期待でき、以下のような場面で処方されます。
- 産前産後の神経症(妊娠中や出産後の不安、不眠、抑うつなど)
- 月経不順や月経前後の不調(PMSを含む月経周期に関連したイライラ、頭痛、めまい)
- 更年期障害(ほてり、発汗、動悸、不安感、不眠などの更年期の諸症状)
- その他の神経症(男女問わず、ストレスや自律神経の乱れによる不安・不眠・動悸など)
このように女神散は、「血の道症」とも総称される女性特有の精神神経症状(ホルモン変化に伴う不定愁訴)を改善する目的で用いられてきました。体力中等度以上で精神的な緊張とのぼせがある方によく適合するとされています。
よくある疾患への効果
更年期障害によるほてり・不安
更年期に差し掛かると女性ホルモンの急激な変動により、顔のほてり(のぼせ)、発汗、動悸、不安感、不眠といった症状が現れることがあります。女神散は、このような更年期障害の症状緩和にしばしば用いられます。体内の血液循環と気の巡りを良くすることで、のぼせや動悸を鎮め、精神面の不安定さを和らげる効果が期待できます。
たとえば、急にカッと熱くなって汗が出たり、動悸とともに不安に襲われるようなケースで、女神散がこれらの頻度を減らし日常生活を楽にしてくれる場合があります。
産後の精神不調(産後うつなど)
出産前後の女性はホルモンバランスや環境の変化により、心身が大きく揺らぎやすくなります。出産後に理由もなく不安になったり涙もろくなったり、眠れなくなるといった産後うつのような症状が現れることがあります。女神散は古くから産前産後の神経症に用いられてきた処方で、産後の情緒不安定や不眠を改善する一助となります。
実際に、産後にめまいやほてりを訴えつつ気分が落ち込みやすい方に女神散を服用してもらい、徐々に表情が明るくなり睡眠状態が改善した、といった臨床報告もあります。ただし産後は体力が消耗しがちなため、体質に応じて補血・補気の生薬が多い当帰芍薬散(23)など他の処方を選ぶ場合もあります。専門家が状態を見極めて使い分けます。
月経不順・月経前症候群(PMS)
月経不順や月経前症候群(PMS)に伴う不調にも、女神散が効果を発揮することがあります。月経周期に関連して頭痛、めまい、イライラ、抑うつ、不眠などが生じる場合、漢方では「血」の巡りや「気」の滞りが原因の一つと考えます。女神散に含まれる生薬が血行を促進し、滞った気を巡らせることで、月経リズムの乱れからくる諸症状を和らげる狙いがあります。
実際、月経前になると顔がほてって情緒不安定になる方や、生理不順で周期が大きく乱れている方に対し、女神散を服用して自律神経やホルモンのバランスを整えることで症状が改善するケースがあります。特にイライラと不安感が強く、のぼせや頭痛を伴うPMSタイプに適していると言われます。
その他の神経症状(自律神経失調症など)
女神散は「女性の薬」というイメージがありますが、本質的には気血の巡りを調える精神安定薬的な漢方です。そのため、更年期や産後以外でも、男女を問わずストレス性の不調に応用されることがあります。たとえば自律神経失調症でめまい・動悸・不安などがみられるケースや、強い緊張で顔が紅潮してしまうような場合です。現代では、試験前の極度のあがり症に対して女神散を用いることもあります。ある程度体力があり緊張すると頭に血が上りやすいタイプの方に合致すれば、気持ちを落ち着ける作用が期待できます。
ただし症状や体質によって他の処方の方が適切な場合も多いため、専門医の判断が重要です。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
女性のホルモン周期に伴う不調や精神神経症状に対しては、女神散以外にもいくつかの漢方薬が用いられます。症状の内容や体質(証)に応じて処方を選び分けることが大切です。ここでは、女神散と比較されやすい漢方薬を挙げ、その使い分けのポイントを説明します。
加味逍遙散(24)
加味逍遙散(24)(かみしょうようさん)は、更年期障害やPMSなど女性の情緒不安定に広く用いられる代表的な処方です。女神散と同様に不安感やイライラ、不眠などを改善しますが、適する体質に違いがあります。加味逍遙散はどちらかといえば体力中等度以下で疲れやすく、症状が日によって変動しやすい人に向くとされます。冷え性で肩こりや倦怠感があり、ストレスで気分の落ち込みと怒りっぽさが混在するようなタイプです。一方、女神散は体力中等度以上で症状が一貫して持続する人に向くと言われます。のぼせが強く、めまいや動悸、不安が慢性的に続く場合には女神散を選択します。同じような不定愁訴でも、日替わりで症状が揺れ動くような人には加味逍遙散、同じパターンの不調が慢性的に続く人には女神散と、症状の変動性で使い分けることがあります。
温経湯(106)
温経湯(106)(うんけいとう)は、冷え症で血行が悪く月経不順や更年期の症状がある女性によく使われる処方です。名前に「温」の字がある通り体を内側から温めて血の巡りを良くし、女性ホルモンのバランスを整える効果があります。冷え性で皮膚や粘膜が乾燥しやすく、唇がカサつきがちな虚弱体質の方に適しています。女神散と比較すると、温経湯はもう少し体力が低めで血虚(けっきょ:血の不足)傾向の方に向いています。例えば手足は冷えるのに顔だけほてるような陰虚の更年期障害(ほてりと乾燥が同時にあるタイプ)では温経湯が用いられることが多いです。逆に、体力がありイライラやのぼせが強いタイプには温経湯では力不足で、女神散の方が適す場合があります。このように、虚実(体力の充実度)や冷えの程度で両者を選択します。
桂枝茯苓丸(25)
桂枝茯苓丸(25)(けいしぶくりょうがん)は、下半身の血行不良(瘀血)による婦人科症状に使われる代表処方です。比較的体力があり、下腹部に抵抗感やしこりがあるような人(例えば子宮筋腫傾向や生理痛が強いタイプ)に適しています。のぼせて顔色が赤く、足は冷えるというような典型的な瘀血の体質改善に効果があります。女神散との違いは、桂枝茯苓丸は主に身体症状(下腹部痛や月経異常、肩こり、頭痛など)の改善が中心である点です。精神不安や不眠といった心の症状にはあまり作用しません。
一方、女神散には黄連や黄芩といった精神を安定させる生薬が含まれており、心身両面に働く点が異なります。例えば、更年期の症状でイライラよりも下腹の張り感や頭痛が主体である場合は桂枝茯苓丸が選ばれますが、不安感や不眠など精神症状が前面に出ている場合は女神散が検討されます。
甘麦大棗湯(72)
甘麦大棗湯(72)(かんばくたいそうとう)は、わずか3種の生薬(甘草・小麦・大棗)から成るシンプルな処方で、情緒不安定やヒステリー症状に古くから用いられてきました。泣きたくなるような不安や焦燥感、不眠に対し、身体を温めて緊張を緩め、心を安定させる働きがあります。特に小麦が精神を落ち着かせる作用を持つとされ、夜間の動悸や不眠、ささいなことで落ち込んでしまう状態に適しています。女神散と比べると、甘麦大棗湯は体力があまり無く、身体症状よりも精神症状が主体のケースで使われる点が異なります。例えば産後や更年期に限らず、若年女性でもストレスで情緒不安定になり泣きたくなるような不安が強い場合には甘麦大棗湯が処方されることがあります。
一方、のぼせやめまいなど身体症状も伴う場合や、もう少し体力がある場合には女神散の方が適するでしょう。両者を比較すると、甘麦大棗湯はより軽い心身の虚弱状態に対応した「心をなだめる薬」、女神散は心も体も積極的に調整する薬と言えるかもしれません。
副作用や証が合わない場合の症状
漢方薬の中でも女神散は比較的マイルドな処方とされていますが、体質に合わない場合や長期間・大量に服用した場合には副作用が現れる可能性があります。特に注意すべき副作用や、証が合わない場合の症状について解説します。
重篤な副作用: 女神散には甘草(カンゾウ)が含まれており、長期大量服用や他の甘草含有製品との併用により、偽アルドステロン症と呼ばれる重い副作用が起こることがあります。これは体内のカリウムが低下し、筋力低下や血圧上昇、むくみなどを引き起こす状態です。手足のだるさや酷いむくみ、原因不明の高血圧が現れた場合は、服用を中止しすみやかに専門医に相談してください。また、まれに肝機能障害や黄疸が生じたとの報告もあります。これは漢方薬全般に共通する副作用ですが、服用中に全身倦怠感や皮膚の黄色味など異常を感じた場合も注意が必要です。
軽度の副作用: 上記のような重大な症状以外では、胃腸の不調やアレルギー症状が挙げられます。食欲不振、胃部不快感、悪心(吐き気)、下痢などの消化器症状や、発疹、かゆみ、蕁麻疹といった過敏症状が報告されています。女神散には香りの強い生薬や苦味の強い生薬が多く含まれるため、人によっては胃にもたれたりゆるくなったりすることがあります。これらの症状の多くは軽微で一過性ですが、普段と違う体調不良を感じた場合は無理に飲み続けず医師に相談してください。
証が合わない場合: 漢方薬はその人の体質(証)に合ってこそ効果を発揮します。女神散の証は前述の通り比較的体力があり、のぼせ症状があるタイプです。したがって、もし虚弱で冷えが強い人や陰虚で潤いが不足している人(ほてりはあるが極端に痩せて喉が渇くようなタイプ)に女神散を投与すると、効果が出にくいばかりか症状が悪化する可能性もあります。
例えば乾燥感の強い人に女神散を用いると、黄連や黄芩の作用でかえって潤いが削がれ不眠が悪化する、といったことも起こりえます。また、症状に「のぼせ」がない人が飲むと頭痛を生じたり、胃腸が弱い人では香附子や檳榔の刺激で胃が痛くなることも考えられます。証が合わない服用は「毒」になるのが漢方の考え方ですので、自己判断で長く飲み続けることは避け、改善がみられない場合には処方を見直してもらいましょう。
併用禁忌・併用注意な薬剤
女神散は比較的安全に使える漢方薬ですが、他の医薬品やサプリメントとの飲み合わせには注意が必要な場合があります。特に以下のような薬剤を服用中の方は、女神散との併用に関して医師・薬剤師に確認してください。
- 他の甘草含有漢方薬やグリチルリチン製剤: 甘草を多く含む漢方薬(例:甘草湯、芍薬甘草湯など)や湿疹・肝炎治療に使われるグリチルリチン製剤(甘草エキス製剤)を女神散と併用すると、甘草の重複投与となります。結果として偽アルドステロン症のリスクが高まり、低カリウム血症や血圧上昇、浮腫など副作用が出やすくなります。同じ甘草含有でも少量であれば問題ないこともありますが、漢方薬同士を自己判断で複数併用するのは避け、必ず専門家に相談しましょう。
- 利尿薬や下剤: 高血圧や心不全の治療で使われる利尿剤(フロセミドなど)や便秘薬の中には、カリウムの排出を増やす薬剤があります。女神散に含まれる甘草もカリウム低下を引き起こす可能性があるため、併用により相乗的に低カリウム血症を生じるリスクがあります。低カリウムになると不整脈や筋力低下の原因となるため注意が必要です。医師が両方を処方する場合は、血液検査で電解質のモニタリングを行うなど対策をとります。
- 心臓病のお薬: 強心薬のジギタリス製剤などは血中カリウム濃度の影響を受けやすく、低カリウム状態になると薬の副作用(不整脈)が出やすくなります。女神散を含む甘草含有製剤と併用する際は、特に血中カリウム値の管理に留意する必要があります。また女神散に含まれる川芎や当帰にはわずかに抗凝固作用(血をサラサラにする作用)があるため、ワルファリンなど抗凝固薬を服用中の場合は念のため経過観察が必要です(通常の服用量で大きな問題となることは稀です)。
- アルコールやカフェイン: 薬剤ではありませんが、女神散服用中に過度の飲酒や濃いカフェイン摂取をすると、漢方の効果が感じにくくなることがあります。特にアルコールは血行を一時的に促進しますが後に滞らせてしまい、漢方の作用とチグハグになります。またカフェインは不安や不眠を悪化させる可能性があるため、女神散で症状を和らげようとしても効果が相殺されかねません。治療中はできるだけ嗜好品の摂取も適度に控えめにしましょう。
この他、特定の併用「禁忌」は知られていませんが、何か常用薬がある場合は念のため医師に伝えておくと安心です。
含まれている生薬の組み合わせ、なぜその生薬が選ばれているか
女神散は12種類の生薬を組み合わせて作られた処方です。血行を良くするもの、気の巡りを改善するもの、心身を落ち着かせるもの、胃腸を守るもの――様々な役割を持つ生薬がバランスよく配合されています。ここでは、女神散に含まれる主な生薬と、それぞれが選ばれている理由・役割について解説します。
当帰(トウキ)
トウキはセリ科の根で、補血・活血の代表的な生薬です。血を補いながら巡りも良くし、特に女性の子宮や卵巣の機能を改善するとされています。血行不良を是正し、月経を整え痛みを和らげる作用があり、「婦人の妙薬」と呼ばれるほど婦人科では頻用されます。女神散では、当帰が不足しがちな血を補充しつつ、産前産後や更年期で乱れたホルモン環境を安定化させる中心的な役割を担っています。他の生薬が気の巡りを促す中で、当帰は血の部分をしっかりと補い、心身に潤いと安定をもたらします。
川芎(センキュウ)
センキュウはセリ科の根茎で、当帰とともに活血剤(血行促進薬)として用いられます。独特の香り成分を含み、頭部の血管拡張や鎮痛効果も持つことから、頭痛やめまいの改善にも寄与します。女神散において川芎は、当帰とペアで血行を改善し月経リズムを調整する役割があります。また、川芎は気の滞りを解消する作用も併せ持ち、香附子との組み合わせで精神の抑うつ感を和らげるとされています。血と気の両面から流れをスムーズにし、ホルモン変動による鬱々とした状態を晴らす一助となります。
蒼朮(ソウジュツ)
ソウジュツはキク科の根茎(漢名: 蒼朮)で、身体の余分な水分や湿気を乾かして排除し、内臓を温めてくれる生薬です。女神散には直接「湿」を除く目的で入っているわけではありませんが、ソウジュツを加えることで脾胃(消化器)を健やかに保ち、他の生薬の吸収を助ける効果が期待できます。更年期や産後には消化機能が乱れ食欲不振になる方も多く、ソウジュツが胃腸をサポートすることで全体の力を底上げします。また適度に体を温める作用もあり、血行促進を後押しします。処方全体の調和剤として、そして体力維持のために選ばれている生薬です(処方によっては白朮を用いる場合もありますが、いずれも健脾作用を狙ったものです)。
香附子(コウブシ)
コウブシはハマスゲという植物の根茎で、理気薬(気の巡りを良くする薬)として重要な生薬です。特に女性の「肝気鬱結(かんきうっけつ)」を解消するとされ、月経不順や生理痛の処方によく含まれます。香附子はその芳香で肝の気を巡らせ、ストレスによるイライラや抑うつ感を取り除く効果があります。女神散では5種類もの理気薬が使われていますが、その要とも言える存在です。香附子が川芎や木香、檳榔子らと協力して気滞を散じることで、胸や腹のつかえを取り、精神的な抑圧感を和らげます。まさに女性のメンタルケアに欠かせない生薬として選ばれています。
桂皮(ケイヒ)
ケイヒは肉桂(ニッケイ、シナモン)の樹皮で、身体を温めて血行を促すとともに、腹部の冷えや痛みを取る生薬です。血行改善と鎮痛作用を持ち、漢方ではしばしば冷えによる停滞を解消する目的で使われます。女神散では、桂皮が入ることで体内の巡りを更に活発にし、特に下半身の血流を補助します。また、心下部(みぞおち)の痞えを取る効果も期待でき、ストレスで胸やお腹が締め付けられる感じを軽減します。さらに香り高いシナモンは中枢を刺激し元気づける作用もあり、気持ちが沈んだ状態に少し活力を与える狙いもあります。複数の理気薬に囲まれ、温めて巡らす桂皮が入ることで処方全体のパワーが底上げされています。
黄芩(オウゴン)
オウゴンはシソ科コガネバナの根で、苦味が強く清熱薬(熱を冷ます薬)として働きます。特に上半身のほてりや炎症、不安など「心火(しんか)」を鎮める効果があります。女神散において黄芩は、黄連とともに胸腹部の熱やのぼせを抑え、精神の高ぶりを落ち着ける役割を果たします。いわば、興奮した心にブレーキをかける成分です。また黄芩には消炎作用や利胆作用もあり、更年期にみられがちな肌のほてりや軽い炎症症状(例えばほてりによる湿疹など)を鎮める助けにもなります。苦味という点では飲みにくさにつながりますが、それを補って余りある精神安定と抗炎症の効果が期待できるため、処方に加えられています。
人参(ニンジン)
ニンジンは高麗人参の根で、強力な補気薬です。身体のエネルギーを補い、五臓六腑の働きを高める作用があります。女神散のように理気・活血薬が多く含まれる処方では、体力の消耗を防ぐために人参が配されています。ホルモン変動で疲弊した体に元気をつけ、免疫や消化をサポートします。また、人参は精神安定作用も有し、「気」を補うことで心の余裕を生むとされています。女神散では、人参と白朮(蒼朮)が脾胃を支え、当帰とともに体を養うことで、全体として攻めと守りのバランスを取っています。人参が入ることで、虚弱な方や産後の方でも女神散を安心して服用できるよう工夫されているのです。
檳榔子(ビンロウシ)
ビンロウシはビンロウ(檳榔、別名ベテルヤシ)の種子で、東南アジアでは嗜好品としても知られる生薬です。漢方的には理気行気薬で、さらに駆瘀血作用や緩下作用(穏やかな便通促進)も持ちます。腸の動きを適度に促進し、滞ったものを下ろす力があるため、下腹部の張り感や便秘傾向のある瘀血体質に有効です。女神散では、檳榔子が腹部の膨満感を取って気の巡りを下方向へ導く役割を担っています。更年期やストレスで胃腸にガスが溜まりやすい人の張りも和らげ、全体的に気の流れをスムーズにします。また、処方中にもし不要な「熱」や「瘀血」があれば、檳榔子がそれを下向きに動かして排出させる手助けをすると考えられています。
黄連(オウレン)
オウレンはキンポウゲ科オウレンの根茎で、非常に強い苦味を持つ清熱燥湿薬です。特に心胃部の熱や炎症、不安、不眠に効果があり、精神を鎮静させる作用が知られます。黄芩と組み合わせて用いることで、「瀉心湯(しゃしんとう)」といわれる心下部の熱を冷ます処方の役割を果たします。女神散では、黄連が胸のつかえや動悸、イライラした興奮状態を沈めます。不眠傾向のある人では、この黄連の苦味が心身をクールダウンさせてくれることでしょう。また、胃腸の調子を整える効果もあり、食欲不振や吐き気を伴う場合にも一役買っています。ただその苦さゆえ胃を冷やしすぎる恐れもあるため、他の温性の生薬や甘草と併せてバランスが取られています。心身の熱を冷まし安定させる要として選ばれた生薬です。
木香(モッコウ)
モッコウはオケラの仲間である木香(もっこう)の根を使った生薬です。芳香が強く、行気薬として胃腸の膨満感を除き、消化を助ける働きがあります。「木香が動けば十の気滞も下りる」とも言われ、それほど気の停滞を取る力が大きいのが特徴です。女神散では木香が胃腸を動かし、檳榔子・香附子と協力してお腹の張りや食欲不振を改善します。また、木香には鎮痛作用もあり、お腹のシクシクした痛みや不快感を和らげます。さらにその芳香は気分をスッキリさせる効果も持つため、精神面でもプラスに働きます。苦味の強い黄連・黄芩が処方に入っていますが、木香の香りがそれらのクセを緩和し飲みやすさにも貢献します。消化器を整え処方全体を円滑にする潤滑油として不可欠な生薬です。
丁子(チョウジ)
チョウジはクローブ(丁香)の蕾を乾燥させたもので、スパイシーな香りと強い温め作用を持つ生薬です。胃を温めて冷えによる痛みや吐き気を止め、また腎を温めて陽気を補う作用もあります。漢方では嘔吐やしゃっくりを止める薬として知られています。女神散では丁子が加わることで、胃腸を冷やさずに全体のバランスを取る効果が生まれます。黄連・黄芩といった冷やす生薬との配合で陰陽のバランスをとり、苦味の中にピリッとした辛味がアクセントとなって処方の調和を図ります。また、丁子の芳香は心を醒ませる働きもあり、沈みがちな気分を少し持ち上げる作用も期待できます。昔から歯痛止めに使われるほどの強い殺菌・鎮痛効果もあるため、口内炎やのぼせによる頭痛などにも有用です。冷えと痛みを防ぎ処方を引き締めるスパイスとして選ばれています。
甘草(カンゾウ)
カンゾウは甘草の根で、漢方処方の調和薬として頻繁に登場する生薬です。強い甘みを持ち、諸薬を調和し緩和する作用があります。胃を保護しつつ、鎮痛・消炎作用も併せ持つため、他の生薬の副作用を抑え全体をまろやかにまとめる役割を担います。女神散では、個性の強い生薬同士(例えば黄連の苦味や香附子・檳榔子の刺激)の調整役として甘草が働き、患者さんの胃腸への負担を軽減します。また、筋肉のこわばりを緩める鎮痙作用もあり、肩こりや背中の張りが強い更年期の方などでは甘草の力が症状緩和に寄与するでしょう。ただし甘草は過剰に摂取すると前述の偽アルドステロン症の原因となり得るため、必要最低限の量で配合されています。複数の生薬を一本のオーケストラのようにまとめ上げる縁の下の力持ちといえる生薬です。
女神散にまつわる豆知識
歴史と名前の由来: 女神散という名前から「女性のための薬」という印象がありますが、実は元々「安栄湯(あんえいとう)」という別名で戦場の精神不安(軍中七気)を治療するために考案された処方がルーツです。江戸時代の名医・浅田宗伯(あさだそうはく)が愛用した処方の一つで、戦場で恐怖や緊張状態に陥った武士の精神症状(喜怒憂思悲恐驚の七つの情動失調)を和らげる目的で使われていました。その後、この処方が産後や更年期の女性の神経症(血の道症)にも非常によく効くことがわかり、浅田宗伯が「まるで女神様の恵みのようだ」という意味を込めて「女神散」と命名したと言われます。まさに名前の通り女性特有の諸症状に用いられる処方として、現代まで受け継がれてきました。
エピソード: 女神散は歴史的には戦場由来ですが、現代では「女神」の名が示すように女性の更年期障害や月経トラブルに使われることがほとんどです。ただ、処方の理論上は男性でも症状が合致すれば効果があります。例えば更年期の奥様と同じようにストレスでのぼせと不眠を訴える中年男性に処方したところ、イライラが収まり熟睡できるようになったという報告もあります。また、受験やプレゼン前の極度のあがり症対策として、精神安定を期待してこっそり女神散を服用するケースもあるようです。「女神散」という名称から女性しか使えないと思われがちですが、証(しょう)が合えば性別を問わず恩恵をもたらすのが漢方薬の面白いところです。
含まれる植物と風味: 女神散に含まれる生薬は、その多くが植物由来です。当帰や川芎はセリ科、蒼朮はキク科、香附子はカヤツリグサ科、桂皮や丁子は樹木の香辛料、甘草はマメ科…とバラエティに富みます。これらを煎じた液は、非常に苦くて舌がしびれるような味になります。特に黄連・黄芩の苦味は強烈で、「良薬口に苦し」を地で行く処方です。ただし、スッと鼻に抜ける桂皮や丁子の芳香、仄かに感じる甘草の甘みが苦味を多少和らげてくれます。エキス顆粒剤(粉薬)でもやはり苦味は感じますが、慣れると心地よいスパイシーさにも思えてくる独特の風味です。苦い薬はそれだけ効き目がありそうだ、と前向きにとらえて服用を続けてみてください。
実例エピソード: 漢方の古い文献に「女神散は婦人の血狂を治す特効なり」といった記述があります。「血狂」とは女性ホルモンの変調で一時的に精神がおかしくなる状態を指す古い言葉ですが、現代で言う更年期の精神症状や産後うつに相当します。まさに女神散はその女性特有の“プチ狂乱”を鎮める妙薬だったのです。現代の臨床でも、たとえば閉経前後の女性で理由もなくイライラし涙が出てしまう患者さんに女神散を試したところ、「心の嵐が嘘のように静まった」と表現されるほど気分が落ち着いたケースがあります。漢方ならではの穏やかな効き目ですが、適合すれば劇的に効果を発揮することもあるのが女神散の魅力です。
まとめ
女神散は、女性ホルモンの変動による心身の不調(血の道症)に適した漢方薬です。血行を促進して滞った血(瘀血)を散らし、気の巡りを改善することで、更年期障害や産後の不安、不眠、のぼせ、めまいなどの症状を和らげる効果が期待できます。比較的副作用の少ない処方とされていますが、体質に合わない場合や他の生薬との重複使用には注意が必要です。特に甘草の長期大量服用による副作用や、陰虚など適応でない証では効果が出にくい点には留意しなければなりません。漢方では患者一人ひとりの証に合わせた薬選びが重要となるため、専門家による見立てのもとで安全に活用しましょう。
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。