五淋散(56)の効果と適応症
五淋散(ごりんさん)は、尿路の炎症やむくみ(腫れ)をしずめ、痛みを和らげて排尿を改善する漢方薬です。頻尿(トイレが近い)、排尿痛(尿をするときの痛み)、残尿感(出しきれない感じ)などの症状を対象に使われます。尿が濁る、尿に血が混じる、尿道から膿が出る、といった場合にも効果が期待できます。臨床では膀胱炎、尿道炎、尿管結石などによる慢性的な排尿トラブルに処方されることが多いです。一般に体力中程度以上のしっかりした方で、尿路に「熱」(炎症)症状がある証(しょう)に適するとされています。
※ 「証(しょう)」とは:漢方医学での体質や症状の傾向を指す概念です。同じ頻尿や排尿痛でも、冷えが原因のタイプと炎症が原因のタイプでは選ぶ薬が異なります。五淋散は、とくに炎症や熱が原因で尿トラブルが起きているタイプの方に向いています。
五淋散がよく使われる疾患とその効果
五淋散は主に尿路に関わる次のような疾患・症状に対して用いられます。それぞれの疾患に対する五淋散の特徴を見てみましょう。
膀胱炎・尿道炎
五淋散は膀胱炎(膀胱の感染や炎症)による頻尿・排尿時の痛み・残尿感に用いられます。特に症状が長引いて慢性化しかけている膀胱炎に効果的とされ、抗生剤で急性期の感染は治まったものの「なんとなくスッキリしない」状態に適しています。尿路の熱を冷まし炎症をしずめる作用があるため、慢性膀胱炎や尿道炎で繰り返す違和感の改善に役立ちます。
実際、高齢の女性で糖尿病などの誘因がないのに再発を繰り返す膀胱炎の患者さんに五淋散を服用してもらったところ、自覚・他覚症状が改善し、抗生物質の使用頻度が減ったという報告もあります。
前立腺炎・前立腺肥大による排尿障害
五淋散は、男性の慢性前立腺炎や前立腺肥大症に伴う尿トラブルにも応用されます。前立腺の炎症が慢性化すると、頻尿・排尿困難・排尿時の違和感が続くことがありますが、五淋散は炎症を抑えて排尿障害を改善する作用が期待できます。尿が出にくくチョロチョロとしか出ない、残尿感が強い、といったケースで幅広く検討される処方です。
ただし、高熱が出るような急性前立腺炎(細菌感染による重症例)にはまず抗菌薬での治療が優先されます。また、前立腺肥大でも明らかな「冷え症」でむしろ温める治療が必要な場合は、別の漢方薬(後述の八味地黄丸など)を考慮します。
尿路結石(腎結石・尿管結石)
五淋散の名前の由来にもあるように、尿路結石(腎臓や尿管の結石)にも用いられることがあります。結石が小さい場合には、五淋散によって尿の通りを良くし痛みを緩和することで、石を排出しやすくする効果が期待できます。実験的な研究では、五淋散に含まれる山梔子(さんしし)や沢瀉(たくしゃ)に結石形成を抑制する作用が認められたとの報告もあります。石が原因で尿に血が混じる(血尿)場合にも、止血作用のある生薬が含まれているため有用です。
過活動膀胱・神経性頻尿
明らかな感染や結石がないのにトイレが近い、尿意切迫感があるといった過活動膀胱の症状にも、五淋散が適する場合があります。特に中高年の女性で「疲れるとすぐ尿意をもよおす」「緊張するとトイレが近くなる」などの症状には、漢方的にみて「労淋」「気淋」というタイプの尿トラブルと考えられ、五淋散が奏功することがあります。尿路の炎症を鎮めるだけでなく、自律神経のバランスを整え膀胱の過敏さを和らげる生薬(例:茯苓による精神安定作用)も含まれているためです。
五淋散と他の漢方薬との使い分け
頻尿や排尿痛といった似た症状に対しては、五淋散以外にもいくつかの漢方処方が使われます。症状の原因や患者さんの体質によって最適な処方が異なるため、以下のような漢方薬と五淋散を比較し、使い分けが行われます。
猪苓湯(40)〔ちょれいとう〕
猪苓湯は五淋散と同じく尿路の炎症や排尿困難に用いられる処方です。猪苓湯にも沢瀉や滑石など利尿作用のある生薬が含まれ、膀胱炎や尿路結石に昔から使われてきました。ただし口渇(口の渇き)や尿量減少など体の水分不足が見られる場合に適するとされ、組成中に阿膠(アキョウ)というゼラチン質の生薬を配合して体の潤いを補う点が特徴です。一方、五淋散は猪苓湯で十分改善しない慢性的なケースに用いることが多く、尿が濁る・膿や血が混じるといった症状がある場合や、炎症がもう少し強い場合に選択されます。
まとめると、猪苓湯(40)は「水分不足傾向の尿トラブル」に、五淋散(56)は「炎症が長引く尿トラブル」に向くと言えます。
竜胆瀉肝湯(76)〔りゅうたんしゃかんとう〕
竜胆瀉肝湯は、尿路や生殖器の強い炎症をしずめる代表的な処方です。下腹部に熱感や激しい痛みがあり、尿が黄色く濁り、排尿痛が顕著なような急性の膀胱炎・尿道炎に適しています。体力中程度以上で、のぼせ気味だったりイライラが強かったりする人に向く処方でもあります。五淋散と作用の面では重なる部分がありますが、竜胆瀉肝湯の方が清熱作用(熱を冷ます力)が強く、炎症が激しい急性期に用いられることが多いです。
逆に症状が慢性化してやや弱まった段階では、五淋散の方が合っていることがあります。また竜胆瀉肝湯は婦人科領域では帯下(おりもの)の炎症などにも使われますが、五淋散は主に尿路系に使う点でも使い分けられます。
清心蓮子飲(111)〔せいしんれんしいん〕
清心蓮子飲は、頻尿や残尿感を訴える方でも全身倦怠感が強く、口や舌の渇きがあり、疲れやすいといった場合に用いられる処方です。五淋散と同様に利尿・消炎作用の生薬を含みますが、清心蓮子飲には麦門冬や蓮肉(れんにく)などの滋養強壮系の生薬も含まれています。そのため体力があまり無くて弱っている方や高齢者で、なおかつ尿が出にくく軽い炎症があるようなケースに適しています。
簡単に言えば、五淋散が「炎症をしっかり冷ます」処方なのに対し、清心蓮子飲は「炎症をほどほどに抑えつつ元気も補う」処方です。例えば神経質で疲労しやすい人の頻尿や、更年期以降の虚弱な方の尿トラブルに清心蓮子飲(111)を選ぶことがあります。
八味地黄丸(7)〔はちみじおうがん〕
八味地黄丸は、尿トラブルの中でも加齢や腎機能の低下による症状に対して処方される代表的な漢方薬です。手足が冷える、疲れやすい、といった冷え症・虚弱体質の方で、尿量が少なかったり逆に多すぎたり(多尿)、夜間頻尿があるような場合に適します。五淋散とは対照的に、八味地黄丸は体を温めて腎臓の働きを助ける処方です。例えば、前立腺肥大症で尿のキレが悪く残尿がある場合でも、冷えを伴う高齢男性には八味地黄丸(7)がよく使われます。
一方、炎症による痛みや尿の濁りなどの「熱」の症状が見られる場合には八味地黄丸では不十分で、五淋散のような清熱利尿剤が検討されます。このように、同じ頻尿でも原因が“冷え”か“炎症”かで処方が異なることを理解しておくと、自分に合った漢方薬を見つけやすくなります。
副作用や証が合わない場合の症状
五淋散は比較的穏やかな処方ですが、いくつか注意すべき副作用や、体質に合わない場合の症状があります。
- 偽性アルドステロン症:長期間大量に服用した場合などにまれに起こる重大な副作用です。五淋散に含まれる甘草(カンゾウ)の成分により、体内のカリウムが減少して血圧上昇、むくみ、体重増加、脱力感などが現れることがあります。重症化すると手足のしびれや筋力低下(ミオパシー)を引き起こすおそれもあります。アルドステロン症、低カリウム血症、ミオパシーと診断されている方には五淋散を使用しません。服用中に筋力低下や著しいむくみを感じた場合はすぐに医師に相談してください。
- 間質性肺炎:漢方薬全般に言えることですが、ごくまれに肺に炎症を起こす間質性肺炎が報告されています。発熱、せき込み、息苦しさなどの症状が出た場合は、服用を中止してただちに医療機関を受診する必要があります。これも非常にまれな副作用ですが、念頭に置いておきましょう。
- 腸間膜静脈硬化症:五淋散を含め山梔子(さんしし)という生薬を長期連用した場合、腸の血管に変化をきたす腸間膜静脈硬化症という疾患が報告されています。5年以上といった極めて長期に及ぶケースが多いですが、腹痛・下痢・便秘が繰り返し起こる、あるいは便潜血検査で陽性が続くような場合は、この副作用の可能性も考慮し医師が検査を行います。長期間服用する際は定期的にお腹の症状にも注意が必要です。
- 消化器症状:五淋散に含まれる生薬地黄(ジオウ)は滋養強壮に良い反面、胃腸の弱い方には負担となることがあります。そのため、人によっては食欲不振、胃もたれ、軟便・下痢などの消化器症状が現れることがあります。これらは副作用というより「証が合っていない」場合に出やすい症状です。もともと胃腸が虚弱な方、あるいは五淋散のような清熱利湿剤を必要としない体質の方に投与すると、このような胃腸の不調をきたすことがあります。もし服用後に明らかな食欲低下や下痢が続く場合は、医師に相談して処方の見直しを検討します。
五淋散の併用禁忌・併用注意の薬剤
五淋散を安全に使うため、他の薬との飲み合わせにも注意が必要です。特に以下のような薬を服用中の方は、必ず医師・薬剤師に伝えてください。
- 甘草やグリチルリチンを含む薬剤:五淋散と同じ甘草成分を含む漢方薬(例:芍薬甘草湯(68)など)や、グリチルリチン製剤(肝臓病の薬に含まれることがあります)を併用すると、先述の偽性アルドステロン症を起こすリスクが高まります。重複して服用しないよう十分注意が必要です。
- 利尿薬(尿を出す薬):フロセミドなどのループ利尿薬、ヒドロクロロチアジドなどのサイアザイド系利尿薬を服用している場合も注意が必要です。これらの利尿剤は体内のカリウムを排出しやすくする作用があり、五淋散と一緒に飲むとカリウム低下が助長されるおそれがあります(低カリウム血症による筋力低下・不整脈などに注意)。医師の指示なく自己判断で併用することは避けてください。
- その他の薬剤:五淋散自体には明確な併用禁忌は多くありませんが、念のため他の漢方薬との重複生薬にも注意します。例えば五淋散と竜胆瀉肝湯を一緒に服用すると、黄芩や木通などが重複して含まれます。生薬の重複は予期せぬ副作用のリスクを高める可能性がありますので、複数の漢方薬を併用する場合は専門家の判断が必要です。
また、他に持病があり多数のお薬を飲んでいる場合も、一包ごとに薬局で相互作用チェックが行われますので、安心のため処方医や薬剤師に現在の薬歴を伝えておきましょう。
含まれている生薬の組み合わせ、なぜその生薬が選ばれているか
五淋散(56)は11種類の生薬から構成されており、それぞれが尿路の症状改善に役立つ役割を担っています。以下に主な生薬とその作用を簡単にまとめます。
- 沢瀉(タクシャ)、茯苓(ブクリョウ)、車前子(シャゼンシ)、滑石(カッセキ)、木通(モクツウ):体内の余分な水分を排出し、尿の通りを良くする生薬です。利尿作用によってむくみを取り、熱を冷ます効果があります。滑石は天然の鉱物(タルク)で、消炎・利尿・止渇の作用があり膀胱や尿道の炎症を鎮めるとされています。
- 黄芩(オウゴン)、山梔子(サンシシ):いずれも苦味のある清熱薬で、炎症や熱を冷ます働きがあります。尿路感染症などで起こる充血や発赤、痛みを和らげ、膀胱や尿道の腫れをひかせる作用があります。
- 芍薬(シャクヤク)、甘草(カンゾウ):この2つは併せて用いることで鎮痛と鎮痙(筋肉の緊張をゆるめる)効果を発揮します。芍薬甘草湯という処方があるほど相性の良い組み合わせで、五淋散では排尿時の痛みや不快感を和らげる役割を担っています。
- 地黄(ジオウ)、当帰(トウキ):どちらも血を補い巡りを良くする生薬です。炎症によって傷ついた粘膜の修復を助けたり、血尿がある場合の止血を助けたりすると考えられています。当帰は鎮痛作用も持ち、地黄は熱を冷ましつつ体に潤いを与えるので、尿路の炎症で失われがちな陰液を補う狙いもあります。
このように五淋散は、利尿で炎症を洗い流す生薬+熱を冷ます生薬+痛みをとる生薬+体を補う生薬をバランス良く組み合わせています。尿路系の症状を総合的に改善する処方と言えるでしょう。
五淋散にまつわる豆知識
● 五淋散の名前の由来:「五淋散」という名称は、「五つの淋症を治す散剤」という意味です。淋(りん)とは中医学で尿が出にくい、滴り落ちるようにしか出ない、排尿時に痛む等の泌尿器の病症を指します。古典では淋症を五種類に分類しており、石淋(せきりん)・気淋(きりん)・膏淋(こうりん)・労淋(ろうりん)・熱淋(ねつりん)が挙げられます。石淋は尿中の不純物が凝集して石のようになる状態(現代でいう尿路結石)、気淋はストレスや気滞による排尿障害、膏淋は尿に脂肪分が混じり白濁する状態、労淋は疲労により悪化する尿トラブル、熱淋は炎症(熱)による尿道の痛みを指します。五淋散はこれら様々なタイプの排尿障害に対応するよう考案された処方なのです。
実際、五淋散は中国・宋代の薬物書「和剤局方」に収載されており、古くから泌尿器系の万能薬として使われてきた歴史があります。
● 味や香り:五淋散に含まれる黄芩や山梔子などの生薬は強い苦味を持つため、エキス顆粒(粉薬)を水に溶かして飲むとやや苦みを感じる味です。ただし甘草も配合されているため、後味にほのかな甘みもあります。香りは漢方特有の薬草の香ばしさがありますが、黄芩のような苦味成分の匂いがやや勝っているかもしれません。どうしても飲みにくい場合は、水で服用せず白湯で溶いて飲むと多少まろやかになるという工夫もあります。
● 生薬の豆知識:五淋散の構成生薬には興味深い素材が含まれています。例えば木通(モクツウ)はアケビ科の植物のつるで、果実(アケビの実)は食用にもなる珍しい生薬です。また山梔子(サンシシ)はクチナシの果実で、古くから天然の染料としても使われてきました。クチナシの実を煎じると鮮やかな黄色になるため、食品の着色料(たくあんの黄色など)や衣服の染色に利用された歴史があります。五淋散にはこのクチナシの成分が含まれており、尿の黄濁や炎症を取る役割を果たしています。さらに滑石(カッセキ)は鉱物由来の生薬で、ベビーパウダーの原料にもなるタルクです。
飲み薬に鉱物?と驚くかもしれませんが、滑石は粉末状にして服用すると体内の余分な水分や熱を吸着・排泄してくれる働きがあるとされています。漢方の世界ではこうした植物以外の素材も巧みに利用してきたのです。
まとめ
五淋散(56)は、尿路の痛みや違和感、炎症をしずめてくれる伝統ある漢方薬です。しかし一口に排尿トラブルと言っても、その原因や体質(証)によって適切なお薬は異なります。
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。