麻杏甘石湯(55)の効果・適応症
麻杏甘石湯は呼吸器の諸症状を改善する効果で知られています。気管支を広げる作用と炎症や熱を抑える作用があり、激しい咳や喘息発作をしずめるのに有用です。具体的な適応としては以下のようなものがあります。
- 喘息(気管支喘息・小児喘息):ゼーゼーと喘鳴を伴う息苦しい咳発作に用いられます。気管支拡張作用によって呼吸を楽にし、炎症を鎮めて発作を抑えます。特に小児の喘息に処方されることが多く、夜間の咳込みなどを和らげる目的で使われます。
- 気管支炎(急性気管支炎・慢性気管支炎):熱っぽさを伴う咳や痰の症状に効果があります。石膏による解熱作用で発熱感を下げ、麻黄・杏仁の働きで粘りのある痰を出しやすくしつつ咳を沈めます。急性の気管支炎で痰がからむ咳に適し、慢性気管支炎でも体力が比較的ある方で咳が強い場合に使われます。
- 感冒(かぜ):かぜの初期というより、こじらせて気管支まで炎症が及んだようなケースで用います。熱はそれほど高くないが咳が長引いている時や、痰が切れにくい時に、この処方が症状を和らげることがあります。いわゆる「せき風邪」で、体力がある程度ある人に適しています。
- その他の適応:添付文書上は痔の痛み(痔疾の痛み)にも効果があると記載されています。これは麻杏甘石湯が体内の熱や炎症を冷まし、血行や水分代謝を調節することで、間接的に痔による熱感や腫れを鎮め痛みを軽減する働きが期待されるためです。ただし、痔の痛みに対して現代で第一選択となることは稀で、あくまで咳や喘息への効果が主目的の処方と言えます。
麻杏甘石湯が効果を発揮しやすいのは、比較的体力が中等度以上ある方です。典型的な患者像としては、咳嗽(がいそう:咳)の勢いが強く、痰が粘って絡みやすい(黄色く粘稠な痰が出る)、口渇があって喉が渇きやすい、体に熱感があり、汗が自然に出る傾向がある、といった症状を示す人です。ぜんそく発作時にはゼーゼーと喘鳴(ぜんめい:呼吸時の笛のような音)や呼吸困難感を伴うこともあります。
このように肺にこもった「熱」と「湿(痰)」による激しい咳が特徴のケースで、麻杏甘石湯は高い効果を発揮します。逆に言えば、寒気が強い風邪や、痰がサラサラとした水っぽい場合など「熱証」でない咳には適しません。証に合致する場合にのみ効果的である点は、漢方治療全般に共通する注意点です。
麻杏甘石湯がよく使われる疾患
上記の適応症の中でも、特に麻杏甘石湯がよく処方される代表的な疾患をいくつか取り上げてみましょう。それぞれの疾患で麻杏甘石湯がどのように役立つかを解説します。
- 気管支喘息(ぜんそく):気管支喘息の発作時に、気管支拡張剤のような役割を果たします。発作で気道が狭くなり息苦しい時に麻杏甘石湯を服用すると、麻黄のエフェドリン様作用で気管支が広がり呼吸が楽になります。同時に石膏が肺の炎症やほてりを冷まし、杏仁と甘草が咳を鎮めます。ステロイド吸入薬や気管支拡張薬(吸入薬)の補助として漢方的に用いられることもあります。特に小児喘息では、西洋薬だけでなく漢方を併用するケースがあり、麻杏甘石湯は子供の喘息発作を和らげる定番処方の一つです(ただし小児への使用経験は少なく安全性未確立とされるため、専門医の判断のもとで慎重に用います)。
- 急性気管支炎:風邪などから気管支炎に進展し、咳と痰、発熱感がある場合に処方されます。抗生物質が必要な細菌性の気管支炎もありますが、そうでない場合や補助的に、麻杏甘石湯が症状緩和に使われます。熱っぽい咳に対し石膏が熱を冷まし、麻黄と杏仁で気道の炎症を鎮め痰を出しやすくします。痰が切れにくくゼーゼーする咳に適し、比較的若くて体力のある人の急性気管支炎によく用いられます。
- 感冒後の咳:かぜ自体は治っても咳だけ長引く「咳喘息」や「感冒後咳嗽」といった状態に対して、麻杏甘石湯が奏功することがあります。特に夜間や明け方に咳込んで眠れないような場合に、咳止めシロップなどで効きが悪いとき、漢方的にこの処方を検討します。肺に残った熱や炎症を石膏で取り去り、麻黄と杏仁で残留した気道過敏性を鎮めることで、頑固な咳を和らげます。ただし咳が長引く場合は他の要因(喘息や副鼻腔炎など)の可能性もあるため、医師の判断が必要です。
- 慢性気管支炎・COPD:長年の喫煙などで慢性的に咳や痰が出る慢性気管支炎やCOPD(慢性閉塞性肺疾患)において、体質が合えば麻杏甘石湯が症状緩和に寄与することもあります。痰が絡んでゼイゼイするような慢性的な咳に対し、気道を広げ痰を出しやすくする効果が期待できます。ただし、これら慢性疾患では患者さんの体力や「証」に個人差が大きいため、麻杏甘石湯が合うケースは限定的です。他の漢方薬(後述)や西洋薬との併用も検討されます。
以上のように、麻杏甘石湯は喘息発作から気管支炎まで、主に「肺に熱をもった激しい咳」に幅広く使われます。逆に、寒気が強く痰がサラサラした咳(冷えによる咳)や、乾いた空咳で痰が少ない咳(陰虚や乾燥による咳)には適さないので注意が必要です。そのような場合は次に述べる別の漢方薬が用いられます。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
咳や喘息の症状に用いる漢方薬は麻杏甘石湯以外にも多数あります。患者さんの症状のタイプや体質(証)の違いに応じて処方が選択されます。ここでは、麻杏甘石湯(55)と似た症状に使われる代表的な漢方薬を3~5種類挙げ、それぞれとの使い分けポイントを解説します。
麻黄湯(27)との使い分け
麻黄湯(27)は麻杏甘石湯と同じく麻黄を含む処方ですが、適応はかぜの初期(寒気と発熱)や初期の喘息発作など、外部の寒邪が強い状態です。麻黄湯の構成生薬は麻黄・桂枝・杏仁・甘草で、麻杏甘石湯の石膏の代わりに桂枝(けいし、シナモン)が入っています。桂枝は発汗を促し体表の寒さを散らす作用があるため、麻黄湯は「悪寒がして汗が出ない高熱」のような表証(体表の症状)がある場合に用いられます。典型的にはインフルエンザの初期や寒冷刺激で誘発される喘息です。
一方、麻杏甘石湯は「汗が出て熱感が残る」ような表証のない状態(既に発汗があり、内部に熱がこもっている状態)で使います。したがって、発熱や頭痛などの風邪症状がまだ強く残っている場合は麻黄湯、発汗後も咳と熱が残る場合は麻杏甘石湯と使い分けます。両者は表裏の関係にある処方とも言われ、症状の経過に応じて切り替えて用いられます。
小青竜湯(19)との使い分け
小青竜湯(19)も麻黄を含み喘息や咳に使われる漢方薬です。ただし小青竜湯は水っぽい痰や鼻水が出る「寒冷型」の喘息・咳に適しています。構成は麻黄・桂枝・芍薬・甘草・乾姜・細辛・半夏・五味子の8味で、身体を温め水分代謝を促す生薬が多く含まれます。透明でさらさらした痰や、悪寒・鼻水など冷えの症状を伴う咳には小青竜湯を選びます。
一方、麻杏甘石湯は前述のとおり粘って黄色い痰や喉の渇きなど熱の症状を伴う咳に用います。また小青竜湯は体力中等度以下の比較的虚弱な人にも使えますが、麻杏甘石湯は体力中等度以上のしっかりした人向けという違いもあります。例えば、冷たい空気で悪化するアレルギー性の喘息や、寒い季節の夜間の咳込みには小青竜湯、暑がりで喉が渇く喘息発作には麻杏甘石湯という具合に、症状の性質(冷えか熱か、痰の質など)で使い分けます。
麦門冬湯(29)との使い分け
麦門冬湯(29)は空咳や喉の乾燥感が強い咳に用いられる漢方薬です。構成生薬は麦門冬(ばくもんどう)・半夏・人参・甘草・粳米・大棗で、喉や気管支を潤しつつ咳を鎮める作用があります。痰が少なく粘りもあまりない乾いた咳や、から咳で声が嗄れるような場合に適しています。肺を潤す生薬(麦門冬や大棗など)が含まれるため、慢性的な乾性咳嗽や、夜間に咽喉の乾燥で咳き込むようなケースによく効きます。麦門冬湯は麻杏甘石湯と違い麻黄を含まず刺激性が低いため、高齢者や体力のあまりない人にも使いやすい処方です。したがって、体力があまりなく乾いた咳の人には麦門冬湯、体力があり痰を伴う熱っぽい咳には麻杏甘石湯といった使い分けになります。
例えば、痰が絡むゼーゼーした喘息には麻杏甘石湯を、痰は少ないが長引く空咳で体力消耗がみられる場合には麦門冬湯を検討する、といった形で処方を選択します。
真武湯(30)との使い分け
真武湯(30)は一見麻杏甘石湯とは用途が異なりますが、冷えが強く水分代謝が滞っている場合に用いる代表的な処方であり、喘息や咳が実は「内側の冷え」が原因で起こっている時に用いられます。真武湯は附子・白朮・茯苓・生姜・芍薬の5味からなり、体を内側から温め水分代謝を促す作用があります。高齢者や虚弱な方で、冷えによる水滞がある(手足の冷え、むくみ、胃腸の機能低下など)場合、気管支にも水が滞ってゼーゼーすることがあります。このような「裏寒」(内側の寒)による咳喘息には麻杏甘石湯のような冷まし作用の処方は不適で、逆に真武湯のような温める処方が奏功することがあります。
例えば、一見喘息のようでも実際は冷え性で手足が冷たく、胃腸も弱い人には真武湯で体を温めると咳発作が改善するケースがあります。麻杏甘石湯は「熱証」、真武湯は「寒証」に使う処方として対極に位置しており、患者さんの冷え・熱の状態を見極めて選択されます。
以上のように、咳や喘息の漢方治療では「痰の性状(冷・熱・乾・湿)」や「患者さんの体力・冷えの有無」によって処方を使い分けます。麻杏甘石湯(55)は比較的体力があり、痰を伴う熱証の咳に用いる、という位置づけになります。適切な処方選択のためには専門家による証の見立てが重要です。
副作用と証が合わない場合の症状
漢方薬である麻杏甘石湯も、体質に合わない場合や長期服用時には副作用が現れることがあります。主な副作用と、もし証に合わない人が服用した場合に起こり得る症状について解説します。
主な副作用
- 偽アルドステロン症・ミオパチー:麻杏甘石湯に含まれる甘草(カンゾウ)の成分によって、稀に偽アルドステロン症という重篤な副作用が起こることがあります。これは体内の電解質バランスが崩れ、血圧上昇やむくみ、低カリウム血症を引き起こす症状です。手足のだるさや痺れ、筋力低下、筋肉痛などが現れ、進行すると横紋筋融解症(ミオパチー)に至る恐れもあります。長期連用や多量服用時にリスクが高まるため、定期的に血液検査でカリウム値を確認するなどの注意が必要です。
- 自律神経系の症状:麻黄の作用によって不眠、発汗過多、動悸、頻脈、血圧上昇、全身のふるえや興奮などが起こる場合があります。エフェドリン様の刺激作用があるため、特に就寝前の服用では眠れなくなったり、脈が速く感じられることがあります。これらの症状が強い場合は服用時間の調整や減量、必要に応じて中止が検討されます。
- 消化器症状:食欲不振、胃部不快感、悪心(吐き気)、嘔吐、軟便・下痢などの胃腸症状が出ることがあります。石膏のような寒性の生薬が胃腸を冷やしたり、麻黄が胃を刺激したりするためです。特に胃腸の弱い人では現れやすいため、そのような場合は食間ではなく食後に服用するなど工夫します。
- 排尿障害:麻黄の交感神経刺激作用により、尿が出にくくなる(排尿困難)ことがあります。前立腺肥大症のある方などは注意が必要です。
これらの副作用はすべての人に起こるわけではなく、適量範囲であれば比較的安全に使われる漢方薬です。しかし、服用中に普段と違う体調変化(特に脱力感や筋力低下、著しい血圧上昇など)を感じた場合は、自己判断で続けず早めに処方医に相談してください。また、小児への使用経験が少なく安全性が確立していないため、お子様に使う場合は医師の指示に厳密に従いましょう。
証が合わない場合の症状
麻杏甘石湯は前述のように適した証(熱がこもって痰が絡む咳)に用いると高い効果を発揮しますが、証に合わない場合は効果が得られないばかりか副作用が出やすくなります。例えば、虚弱で冷えが強い人(寒証の人)が麻杏甘石湯を服用すると、胃腸が冷えて下痢をしたり、逆に咳が悪化したりすることがあります。また、痰がほとんどない乾いた咳の人に投与すると、麻黄の刺激で喉が余計に乾き違和感が増す可能性もあります。
つまり、この漢方薬が合わないサインとしては、「飲んでみて余計に冷えを感じる」「胃が重たく感じる」「症状が改善しないどころか悪化する」などが挙げられます。そのような場合は無理に飲み続けず、中止・変更を検討します。一人ひとりの体質にあった漢方薬を選ぶことが大切です。
併用禁忌・併用注意な薬剤
麻杏甘石湯を服用する際には、他の医薬品との併用による相互作用にも注意が必要です。漢方薬だからといって他の薬と全く干渉しないわけではありません。以下に、麻杏甘石湯と特に併用に注意すべき薬剤・成分を挙げます。
- 他の甘草含有製剤との併用:麻杏甘石湯には甘草由来のグリチルリチン酸が含まれます。これを含む風邪薬や湿疹の飲み薬(甘草湯など)、あるいは他の漢方薬(例:芍薬甘草湯(68)や六君子湯(43)など甘草を含む処方)を同時に服用すると、グリチルリチン酸の総量が増えて偽アルドステロン症が起こるリスクが高まります。一般にグリチルリチン酸の1日上限量は約200~240mgとされており、複数の甘草含有薬を併用する場合は上限を超えないよう注意が必要です。医師・薬剤師に現在服用中の薬を伝え、甘草の重複を避けましょう。
- 利尿剤との併用:フロセミド(ラシックス)などの利尿薬や下剤を服用中の方は注意が必要です。これらの薬はカリウムを体外に排出しやすくする作用があり、麻杏甘石湯の甘草と併用すると低カリウム血症を起こしやすくなります。低カリウム状態になると不整脈が起きたり筋力低下が出やすくなるため、基本的に併用は避け、やむを得ない場合も厳重なモニタリング下で行います。
- 心臓薬(強心配糖体)との併用:ジゴキシンなど強心剤を服用している場合も要注意です。甘草による低カリウム血症が起こるとジゴキシンの副作用(不整脈など)が増強される恐れがあります。心疾患で治療中の方には麻杏甘石湯の使用自体慎重になりますが、もし処方される場合は医師が利点・リスクを十分考慮した上で行います。
- 交感神経刺激薬との併用:麻杏甘石湯の麻黄にはエフェドリン様の作用があるため、他に交感神経を刺激する薬(気管支拡張剤のテオフィリン、デコンジェスタント系市販薬のプソイドエフェドリンなど)を併用すると動悸や血圧上昇、不眠などが起こりやすくなります。ぜんそく治療で吸入薬や経口の気管支拡張薬を使っている方は、麻杏甘石湯を併用するとき医師が用量やタイミングを調整します。またカフェイン摂取も過度だと同様に中枢刺激が強まり不眠の原因となるため、就寝前はコーヒー等を控えるなどしましょう。
- その他の注意:高血圧症や心疾患のある方は、麻杏甘石湯で血圧や脈拍が上がる恐れがあるため慎重投与となります。妊娠中の方も麻黄の刺激作用を考慮し、自己判断での服用は避けましょう。さらに、稀な例ですがMAO阻害薬(古い抗うつ薬やパーキンソン病薬)を服用中の場合、エフェドリンとの相互作用で血圧が急上昇する危険が報告されています。このような特殊な併用はまず行われませんが、処方を受ける際には現在飲んでいる薬を必ず医師に伝えることが大切です。
以上のように、麻杏甘石湯を含め漢方薬でも西洋薬と同様に併用に注意すべき点があります。特に甘草成分による低カリウム血症と麻黄成分による交感神経刺激に関する薬剤との相互作用に気をつけましょう。疑問があれば調剤時に薬剤師に相談すると安心です。
含まれている生薬の組み合わせ、なぜその生薬が選ばれているか
麻杏甘石湯はその名の通り、麻黄・杏仁・甘草・石膏の4つの生薬を組み合わせたシンプルな処方です。それぞれの生薬がどのような役割を果たしているのかを見てみましょう。
- 麻黄(まおう):マオウ科の植物(エフェドラ)の地上茎を乾燥させた生薬です。身体を温め発汗を促す作用や、気管支を拡張して喘息発作や咳を鎮める作用があります。エフェドリンなどアルカロイド成分を含み、気道平滑筋を弛緩させて呼吸を楽にし、また中枢神経を刺激して代謝を高める効果もあります。本処方では閉塞した肺気を通し、喘鳴を止める主役の生薬です。ただし刺激が強いため、甘草や石膏との組み合わせでその作用をコントロールしています。
- 杏仁(きょうにん):バラ科の杏(あんず)の種子が原料の生薬です。苦味成分であるアミグダリンを含み、鎮咳・去痰作用を持ちます。杏仁は肺の気を下げて咳を沈め、痰を切れやすくする働きがあります。民間でも杏の種から作る杏仁水は古くから咳止めに用いられました(ただし大量摂取は有毒のため注意)。麻杏甘石湯では麻黄とともに咳や喘息症状の緩和に寄与する生薬です。なお、杏仁に含まれる脂肪油はポマード(ヘアクリーム)の原料に使われた歴史もあり、生薬としてだけでなく生活用品にも利用されてきました。
- 甘草(かんぞう):マメ科のカンゾウの根・茎からなる生薬で、その名の通り非常に甘い味が特徴です。消炎作用や痙攣を緩和する作用、そして他の生薬の調和作用(緩衝剤)があります。麻杏甘石湯では、麻黄の刺激を和らげ副作用を減らすとともに、咳そのものを鎮め喉を潤す補助的な働きをします。
また甘草は軽度のアルドステロン様作用(ナトリウム保持・カリウム排泄)を持つため、麻黄で発汗・利尿が起こりすぎないよう水分バランスを保つ役割もあるとされています。ただし過剰な量や長期服用で前述の偽アルドステロン症を起こすリスクがあるため、甘草を含む処方の併用には注意が必要です。
- 石膏(せっこう):硫酸カルシウム(水和物)からなる鉱物生薬で、白色の軟石を粉砕して用います。清熱作用(熱を冷ます)に極めて優れ、特に肺や胃の熱を鎮める効果があります。石膏は体内の余分な熱を吸収して体表から放散させ、また炎症を抑えることで、発熱感やのどの渇きを改善します。
麻杏甘石湯では肺の炎熱を取り去り、気道の腫れ(浮腫)を軽減する役割を担います。麻黄との組み合わせで発汗だけでなく利尿も促し、気道から余分な水分を除去する働きもあるとされています(麻黄+石膏の組み合わせは、麻黄+桂枝の組み合わせとは逆に、水分代謝を内側に引き込むといわれます)。
石膏自体は胃腸を冷やしやすいので、胃腸の弱い人には注意が必要ですが、甘草が配合されていることでバランスが取られています。また豆知識として、石膏は食品分野でも豆腐を固める凝固剤として利用されることがあり、昔から人の口に入る素材として安全性が高いことがわかります。
以上の4つの生薬の組み合わせによって、麻杏甘石湯は「肺の熱を冷ましつつ、気管支を拡げ、咳と痰を鎮める」効果を発揮します。たった4味の処方ですが、そのバランスは巧妙で、麻黄と石膏(熱と寒)、杏仁と甘草(苦と甘)の取り合わせにより、攻める作用と守る作用の両立が図られています。
すなわち、麻黄・杏仁で症状に積極的に対処しつつ、石膏で炎症を沈静化、甘草で緩和と調整をするという役割分担です。このシンプルながら理にかなった構成が、長きにわたり麻杏甘石湯が喘息や咳の特効薬として愛用されてきた所以と言えるでしょう。
麻杏甘石湯にまつわる豆知識
最後に、麻杏甘石湯に関する豆知識やエピソードをいくつかご紹介します。漢方に詳しい方もそうでない方も、話のタネとしてお楽しみください。
- 名前の由来と歴史:麻杏甘石湯という名前は、含まれる生薬「麻黄・杏仁・甘草・石膏」を繋げたものです。漢方薬の名称にはこのように主要な生薬名を列挙するケースが多く、麻杏甘石湯もまさにシンプルな命名です。その起源は中国東漢時代の古典『傷寒論』(張仲景 著)に記載されており、約1800年前から喘息様の咳症状の治療に使われてきました。原典では「汗出而喘、無大熱(汗出て熱無く、喘す)」という条文に基づき処方されるとされ、当時から発汗後に残った喘息発作のような症状を治す薬として位置づけられていたことが分かります。
- 味や飲みやすさ:麻杏甘石湯の煎じ液やエキス顆粒は、やや苦味のある味です。麻黄と杏仁に苦味成分が含まれるためですが、甘草の甘みによって多少緩和されています。実際に飲むと、最初にほのかな苦みを感じた後、後味に甘さが残る独特の風味です。石膏は無味に近い鉱物なので味への寄与はほとんどありません。
一般的に小青竜湯など他の咳の漢方と比べても、苦みは中程度と言われます。どうしても飲みにくい場合は、少し砂糖を足したり(処方自体に甘草が入っているので少量なら問題ないでしょう)、ぬるめのお湯で溶いてゆっくり服用するといった工夫もできます。
- エフェドリンと近代医学:麻杏甘石湯の主薬である麻黄から抽出されるエフェドリンは、20世紀初頭に西洋医学へ導入されました。中国人化学者の陳克恢(Chen Kekui)らによって麻黄からエフェドリンが単離され、その気管支拡張作用が注目されて1920年代には喘息治療薬として世界的に用いられるようになりました。これは漢方薬の有効成分が近代薬理学で証明され広く応用された例であり、麻杏甘石湯の効果メカニズムの一端が科学的に裏付けられたとも言えます。
ただしエフェドリン単剤は作用が強力な反面、副作用も問題となり乱用もあったため、現在ではより安全なβ2刺激薬(吸入薬など)に置き換わっています。それでも漢方処方中の麻黄は自然の組み合わせの中で穏やかに作用し、現在でも重要な生薬として使われ続けています。
- 五虎湯(ごことう)という処方:麻杏甘石湯に関連して、五虎湯という処方が漢方の古典に登場します。名前だけ聞くと勇ましいですが、実は麻杏甘石湯に桑白皮(そうはくひ:マルベリの根皮)を加えた処方です。桑白皮は強力な去痰・鎮咳作用を持つ生薬で、肺の熱を下す効果もあります。五虎湯は麻杏甘石湯よりさらに激しい喘息発作や咳に用いられ、小児喘息の重い発作時などに経験的に使われてきました。
「五虎」とは5つの勇猛な虎の意で、激しい症状を抑える力強い処方という意味合いがあります。麻杏甘石湯が効かない重症例では、医師が必要に応じて生薬を加減調整して処方することがあります。
- 石膏と豆腐の意外な関係:前述のように、石膏は豆腐を固める凝固剤(にがりの代用品)として利用されることがあります。特に中国では昔から石膏を使った豆腐作りが行われ、これで作った豆腐を「石膏豆腐」と呼びます。石膏豆腐はきめが細かく滑らかな舌触りになると言われ、広東料理などで親しまれています。漢方薬の生薬が食品加工にも使われている例として興味深いものです。
また、甘草も世界各地で甘味料やハーブティーとして利用されており、杏仁は中華スイーツの杏仁豆腐の香り付けに使われます。このように麻杏甘石湯の生薬は薬としてだけでなく食品や嗜好品にも幅広く活用されてきた歴史があります。
まとめ
麻杏甘石湯(55)は、喘息や気管支炎など「肺に熱をもった激しい咳」に対する代表的な漢方薬です。適切な証のもとで用いれば、現代の薬に匹敵する効果を発揮し、呼吸器症状の改善に大いに役立ちます。ただし、体質に合わない場合は効果が出ないだけでなく副作用のリスクもあるため、専門家の診断のもとで服用することが大切です。
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。