人参湯(にんじんとう)は、冷え症で体力の落ちた方の胃腸の不調に用いられる漢方薬です。虚弱な体質でお腹をこわしやすい人の下痢や腹痛、胃もたれなどに効果があり、古くから用いられてきました。本記事では、人参湯(ツムラ32番)の効果・適応症、よく使われる疾患例、他の漢方薬との使い分け、副作用や注意点、処方生薬の意味、豆知識まで幅広く解説します。
人参湯の効果・適応症
人参湯(32)は「補気剤(気を補う漢方)」の一種で、特に胃腸を温めて機能を高める効果があります。体を内側から温めつつ消化吸収力を高めることで、胃腸の弱った状態(漢方でいう「脾胃虚弱」)を改善し、下痢や嘔吐などを鎮めていきます。患者さんの手足やお腹が冷えやすく、疲れやすいといった虚弱・寒証の「証」に適合する処方です。
具体的には体力が虚弱で、冷えを伴う消化器症状全般に用いられます。代表的な適応として、胃腸の機能低下による諸症状(食欲不振、消化不良)、急性・慢性の胃腸炎(昔は「胃腸カタル」と呼ばれた状態)、胃アトニー・胃下垂(胃の動きや位置が低下し胃がもたれる)、胃拡張、つわり(妊娠悪阻)などが挙げられます。古い文献では腎臓の萎縮疾患(萎縮腎)にも使われた記録がありますが、現代では主に胃腸症状に対して用いられる処方と言えるでしょう。
よくある疾患への効果
人参湯は、日常臨床で次のような疾患・症状によく処方されています。
- 慢性胃炎・胃腸虚弱:慢性的な胃の不調で食欲不振や胃もたれが続く方に。胃粘膜の炎症を和らげ、胃腸の働きを高めることで症状改善が期待できます。冷たいものをとるとすぐ下痢するような「胃腸が冷えて弱い」タイプに適します。
- 過敏性腸症候群(IBS)の下痢型:ストレスや冷えでお腹を下しやすいIBSの方に用いられることがあります。人参湯は腸を温めて余分な水分をさばき、腹痛や下痢の発作を抑えるのに役立ちます。体力がなく神経質で冷えがちなIBS患者さんにマッチすると、症状緩和に効果的です。
- 胃下垂・胃アトニーによる消化不良:細身で胃下垂傾向があり、胃の動きが悪くなっているケースに処方されることがあります。人参湯は胃腸の筋力を補い、胃の運動機能を改善して消化不良や膨満感を軽減します。疲れやすく冷え性の人の機能性ディスペプシア(機能性胃腸症)にも適する処方です。
- 冷えによる下痢(いわゆる「冷え腹」):冷たい飲食物や冷房でお腹を下してしまうような場合に効果があります。特に朝方や寒い時期に起こる下痢に対し、人参湯で体を温めることで下痢を止め、腹部の冷え痛を和らげます。
- 妊娠初期のつわり:古くは妊娠悪阻(つわり)に対する処方例もあります。生姜(しょうが)が嘔気を鎮め、人参が体力低下を補うため、食欲不振や吐き気が強い妊婦さんの体調改善に寄与します。ただし妊娠中の漢方薬使用は慎重を要するため、服用は必ず専門医の指示のもとで行ってください。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
人参湯と似た症状に用いられる他の漢方薬もいくつかあります。それぞれ含まれる生薬や作用の違いから、患者さんの状態に応じて処方が使い分けられます。ここでは代表的な処方を3〜4種類取り上げ、人参湯(32)との違いを解説します。
六君子湯(43)〔りっくんしとう〕
六君子湯も胃腸虚弱を改善する有名な処方です。人参や白朮、甘草など人参湯と重なる生薬に加えて、半夏(はんげ)や陳皮(ちんぴ)など胃もたれや嘔気を取る生薬を含みます。そのため食欲不振や胃の膨満感を伴う場合に適しています。
人参湯との違いは、六君子湯の方が胃のつかえ感・痰湿(胃内の水分停滞)を解消する力が強い点です。一方で、人参湯は六君子湯より体を温める力が高く、下痢や冷え症状の改善に優れます。胃の重さ・ムカムカが主なら六君子湯、冷えと下痢が主なら人参湯というように使い分けられます。
補中益気湯(41)〔ほちゅうえっきとう〕
補中益気湯は全身のエネルギー(気)を大きく補う代表的な補剤で、人参湯と同様に人参や白朮などを含みますが、黄耆(おうぎ)や当帰(とうき)など補気・補血作用の強い生薬が加わっています。長期間の病後の衰弱や倦怠感、内臓下垂(胃下垂・子宮下垂・脱肛など)の改善に用いられ、虚弱体質全般を底上げする処方です。
人参湯と比べると、補中益気湯の方が全身的な体力増強が目的で、発熱後の体力低下や夏バテ、慢性疲労に向いています。一方、人参湯はより消化器症状に特化しており、急性の胃腸症状(下痢や嘔吐、腹痛)を止める力に優れます。全身の疲労が強く食欲不振もあるような場合は補中益気湯、胃腸症状がメインの場合は人参湯といった使い分けになります。
真武湯(30)〔しんぶとう〕
真武湯は、冷えによる下痢やむくみに用いられる処方です。附子(ぶし)という強力な温熱作用をもつ生薬が主役で、腎陽虚(腎の陽気不足)による冷え症状を改善します。下痢に対するアプローチとしては人参湯と一見似ていますが、真武湯は手足の冷えが極端に強く、めまいやむくみ、水滞を伴うようなケースに選ばれます。
例えば高齢者で腎機能が低下し足がむくむような慢性下痢には真武湯が適し、胃腸だけでなく全身の陽気を振興する処方です。これに対し人参湯は、そこまで陽気を補う力は強くなく、主に胃腸の機能改善と局所的な冷えの改善に焦点を当てた処方と言えます。
したがって、冷えが中程度で胃腸症状中心なら人参湯、著しい冷えと水滞があれば真武湯というように使い分けられます。
半夏瀉心湯(14)〔はんげしゃしんとう〕
半夏瀉心湯は胃腸の炎症や不調を「寒熱入り混じった状態」で持つ患者に用いる処方です。人参湯と異なり、黄連(おうれん)・黄芩(おうごん)といった苦寒性の生薬を含み、胃腸の余分な熱や炎症を鎮める効果があります。同時に半夏や乾姜で胃を温めもするため、下痢と胃もたれ・吐き気が同時にあるような場合に適しています。
人参湯との使い分けとしては、例えばストレスによる胃炎・下痢で口の渇きや舌の炎症など「熱症状」も見られる場合、半夏瀉心湯の方が適切です。逆に明らかな冷え症で炎症の兆候がない場合は人参湯が選ばれます。このように、患者さんの舌の状態や冷え・ほてりの有無を見極めて、半夏瀉心湯と人参湯が使い分けられます。
副作用や証が合わない場合の症状
漢方薬にも副作用はありますが、人参湯の場合、特に注意すべきは甘草(カンゾウ)による副作用です。甘草に含まれるグリチルリチンの作用で、長期大量服用時にまれに偽アルドステロン症という副作用が起こることがあります。偽アルドステロン症になると、血圧上昇、むくみ、体重増加、低カリウム血症に伴う倦怠感・筋力低下(ミオパシー)などの症状が現れます。これらは重篤な副作用ですので、人参湯を服用中に「手足がつる」「力が入らない」「異常にむくむ」といった症状が出た場合は、直ちに服用を中止し医師に相談してください。
そのほか、発疹・蕁麻疹などのアレルギー反応がごくまれに報告されています。また、人参湯の適応する証(しょう)に合わない人が服用した場合、期待する効果が得られないばかりか体調がかえって不調になることもあります。例えば実証で熱っぽい体質の方が飲むと、のぼせ(顔のほてり)や胃部の膨満感を感じる場合があります。このように「証が合っていない」と感じた時も、自己判断で続けず処方医に相談しましょう。
併用禁忌・併用注意の薬剤
人参湯に含まれる甘草の影響で、生体内の電解質バランスが変化することがあります。そのため、他のお薬との併用には注意が必要です。特に次のような薬剤とは一緒に服用しないか、服用する場合は慎重な経過観察が求められます。
- 甘草含有製剤:他の漢方薬や市販薬で甘草を含むもの(例:芍薬甘草湯(68)など)を人参湯と併用すると、グリチルリチンの総量が増えて偽アルドステロン症のリスクが高まります。複数の漢方薬を併用する際は、それぞれの処方中に甘草が含まれていないか医師・薬剤師に確認してもらいましょう。
- グリチルリチン製剤:甘草由来のグリチルリチン酸を主成分とする薬剤(肝疾患の治療薬など)との併用も注意が必要です。作用機序が重複し、副作用が出現しやすくなります。
- 利尿薬(ループ利尿薬・チアジド系利尿薬):フロセミドやヒドロクロロチアジド等の利尿剤はカリウム排泄を促進するため、人参湯と併用すると低カリウム血症に陥りやすくなります。低カリウム状態になると筋力低下だけでなく、心不全の患者ではジギタリス製剤の毒性が増す危険があります。
従って、利尿薬や強心配糖体を服用中の方が人参湯を併用する場合は、担当医の指導のもとで血中カリウム値のモニタリングなど十分な注意が払われます。
以上のように、人参湯を服用中は他の薬剤との相互作用にも留意が必要です。特に自己判断で市販薬やサプリメントを併用することは避け、併用薬がある場合は必ず医療従事者に相談してください。
含まれている生薬とその役割
人参湯は4つの生薬だけで構成されたシンプルな処方です。それぞれの生薬が持つ意味と役割を確認してみましょう。
- 人参(にんじん) … オタネニンジン(高麗人参)の根を乾燥させた生薬です。名前のとおり本処方の主役で、気を補い脾胃(消化機能)を強める作用があります。消化吸収力を高め、下痢による脱水や栄養不良を改善します。また全身の虚弱を補い、疲労回復にも寄与します。
- 白朮(びゃくじゅつ) … ホソバオケラなどの根茎が原料です。脾(消化機能)を健やかにし、湿気を除く作用があり、胃腸の水分バランスを整えて下痢を止める効果があります。人参と共に消化機能を高め、食欲不振や下痢を改善する働きを担います(なお、製薬会社によっては類似生薬の蒼朮を使用する場合がありますが、目的は同様です)。
- 乾姜(かんきょう) … ショウガの根茎を乾燥または炮製(加熱加工)したものです。体を温めて冷えを散らし、胃腸を温める作用があります。お腹を内側から温めることで腹痛や吐き気を鎮め、胃腸の働きを活発にします。人参湯では生姜を生ではなく乾姜として用いることで、より強い温め効果を発揮させています。
- 甘草(かんぞう) … ウラルカンゾウなどの根を乾燥した生薬です。調和剤として処方全体のバランスを整える役割があり、他の生薬の作用を緩和・増強します。胃腸を保護する消炎作用や、痙攣を鎮める鎮痙作用も持ち合わせており、腹痛や下痢の症状緩和に寄与します。また、甘みのある生薬で服薬時の味を飲みやすくする効果もあります。
以上のように、人参湯の4つの生薬はそれぞれ「補気」「健脾」「温中」「調和」の働きを担い、組み合わさることで胃腸機能を立て直し冷えを改善する効果を発揮します。非常に無駄のない組み合わせで、虚弱な胃腸を温めて元気づける漢方の知恵が凝縮されています。
人参湯にまつわる豆知識
●歴史と由来:人参湯は中国の古典医学書『傷寒論』『金匱要略』にその原型が記載されており、約1800年前の漢代に張仲景によって生み出された処方です。原典では「理中湯(りちゅうとう)」あるいは丸薬形態の「理中丸」と呼ばれていました。「中(腹部・消化器)を理(おさ)める湯」という名のとおり、当時から脾胃虚弱による下痢や嘔吐の治療に用いられてきました。この処方が日本に伝わり、江戸時代以降は主要成分である人参(高麗人参)の名をとって「人参湯」として知られるようになりました。人参は当時非常に高価で貴重な薬材だったため、人参湯は富裕層や特別な場合に使われる贅沢な処方でもあったようです。
●名前に関する豆知識:日本語で「ニンジン」というと一般的には野菜の人参(ニンジン=Carrot)を連想しますが、漢方でいう人参はオタネニンジン=高麗人参(Panax ginseng)を指します。同じ言葉ですが全く別物ですので混同に注意が必要です(ちなみに高麗人参の根の形が人の形に似ていることから「人参」という漢字が充てられました)。人参湯は「高麗人参のお湯」という意味合いですが、もちろんニンジン(野菜)を煮出したものではないのでご安心ください。
●処方のバリエーション:人参湯はシンプルがゆえに他処方への応用もなされています。たとえば桂枝人参湯は人参湯に桂枝(けいし、シナモン)を加えた処方で、感冒(風邪)後などで胃腸が弱りつつ軽い悪寒が残るような場合に用いられます。また附子理中湯は人参湯に附子(ぶし)を加えた処方で、人参湯では温め力が足りない重度の冷え症状や下痢に対応します。これら派生処方も含め、人参湯の系統は虚弱な患者さんを立て直すための重要な方剤群として漢方医学の中で位置づけられています。
●服用時の味・飲みやすさ:人参湯の煎じ液やエキス顆粒は、生薬特有の苦味が少なくほんのり甘みがある味です。甘草と人参由来の甘さに加え、乾姜のピリッとした風味が感じられ、漢方薬の中では比較的飲みやすい部類と言われます。生姜の香りも手伝って、冷えた体に染み渡るような温かい味わいです。服用の際は白湯などで温かくして飲むとより効果的でしょう。
まとめ
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。