呉茱萸湯の効果・適応症
呉茱萸湯(ごしゅゆとう)は、体の内側を温めて胃腸の機能を高めることで、頭痛や吐き気などを改善する漢方薬です。特に、冷えによって起こる片頭痛や慢性的な頭痛、胃の不調を伴う吐き気に効果があるとされています。身体の体力が中等度以下で、手足が冷えやすい方に適しており、伝統的には習慣性の片頭痛・頭痛、嘔吐、さらに脚気による心臓症状(脚気心)の改善に用いられてきました。現代では脚気は稀ですが、冷え性で胃腸が弱く、繰り返す頭痛や吐き気があるような場合にこの処方が検討されます。
呉茱萸湯の主な作用は、胃を温めて機能を回復させ、逆上した気を下げて嘔吐を止めることです。それによって頭に十分な血流とエネルギー(気血)が巡るようになり、冷えが原因で起こる頭痛が和らぎます。また、胃腸の働きを助けることで食欲不振や胃もたれを改善し、吐き気を抑える効果もあります。漢方医学の観点では、体内の「冷え」を取り除き「虚弱(虚証)」を補うことで、頭痛や嘔吐といった症状の根本原因に対処すると考えられています。
よくある疾患への効果
片頭痛(偏頭痛)で冷えが関与するタイプの頭痛に対して、呉茱萸湯はとても有名な処方です。典型的なのは、発作的で激しい頭痛で、しばしば片側のこめかみから頭頂部にかけて痛み、頭痛時には吐き気や嘔吐を伴うケースです。このような場合に呉茱萸湯が奏功することがあります。実際に、冷え症の方の慢性片頭痛が、本処方の服用によって発作の頻度が減少したり、軽くなったりすることが報告されています。頭痛の発作中に首筋や肩がこわばる(項部硬直)傾向や、みぞおちのあたりの張り感(心下部の膨満)が見られる方にも適しています。これらは漢方でいう「証(しょう)」の目安で、呉茱萸湯が合うか判断する手がかりになります。
また、天候の変化(低気圧や雨の日)で起こる頭痛に対しても、体質的に冷えや水分停滞が関与する場合には有効です。たとえば雨の日に頭が痛くなりやすく胃がムカムカする人が、呉茱萸湯で症状が改善した例もあります。ただし頭痛と一口に言っても原因や体質は様々で、すべての頭痛に本処方が適するわけではありません。熱っぽさやのぼせを伴う頭痛では逆効果になることもありますので、適切な診断が重要です。
頭痛以外では、慢性的な胃の不調や嘔気にも用いられることがあります。例えば、胃が冷えて食後すぐに吐いてしまうような場合や、胃酸過多・逆流性食道炎のうち体質的に冷えが原因と考えられるケースで処方されることがあります。また、古い文献には妊娠悪阻(つわり)への使用例もありますが、妊娠中の服用は安全性が確立していないため慎重な判断が必要です。このように、呉茱萸湯は主に「冷え」に起因する吐き気や頭痛に幅広く応用されてきました。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
呉茱萸湯と同じように、頭痛や吐き気の症状に用いられる漢方薬はいくつかあります。症状や体質に応じて使い分けることで、より効果的な治療が可能です。ここでは、代表的な処方を挙げてその特徴を比較します。
五苓散(17)
五苓散(ごれいさん)(17)は、水分バランスの乱れ(水滞)による頭痛に用いられる処方です。頭痛とともにめまいやむくみ、尿量の減少などが見られる場合に適しています。特に、雨の日や梅雨時に頭痛が悪化する人、二日酔いや水分の摂りすぎで頭が痛い人には五苓散が選ばれることがあります。
呉茱萸湯が「冷え」に重点を置くのに対し、五苓散は体内の余分な水分(痰湿)をさばいて症状を改善する点が特徴です。もし頭痛の原因が水分代謝の滞りによるものであれば、冷えがなくても五苓散の方が適するケースがあります。
苓桂朮甘湯(39)
苓桂朮甘湯(りょうけいじゅつかんとう)(39)は、めまいや立ちくらみ、動悸を伴うような頭痛に用いられる処方です。五苓散と同様に体内の水分バランスを整える生薬(茯苓や白朮など)を含みますが、桂枝や甘草も配合されており、めまいとともに感じるふらつきや不安感を和らげる効果があります。
比較的体力が低下していて、顔色が冴えないような人の頭痛・めまいに向く処方です。冷えによる頭痛でも、特にめまいが主体の場合には苓桂朮甘湯(39)が候補になります。ただし甘草を含むため長期連用には注意が必要です(偽アルドステロン症のリスクについては後述)。
葛根湯(1)
葛根湯(かっこんとう)(1)は、風邪の初期や肩こりのある頭痛に使われる有名な漢方薬です。首の後ろから後頭部にかけてのこりと痛み(いわゆる緊張型頭痛)や、寒気を伴う頭痛に適しています。体力が比較的ある方で、急に寒さに当たったり寝違えたりして起こる頭痛には葛根湯が第一選択となります。
一方、呉茱萸湯は慢性的で内因性の頭痛(体の中の冷えや虚弱が原因の頭痛)に使われ、急性の外感(外からの原因)による頭痛には向きません。つまり、同じ頭痛でも、外因性なら葛根湯(1)、内因性の冷えによるものなら呉茱萸湯(31)というように使い分けます。
釣藤散(47)
釣藤散(ちょうとうさん)(47)は、慢性的な頭痛や高血圧傾向の頭痛に用いられる処方です。頭痛に加えて肩こりやイライラを伴うようなタイプで、比較的体力があり、のぼせ気味の中高年の方に向いています。構成生薬には、血行を良くする釣藤鈎(ちょうとうこう)や鎮静作用のある菊花などが含まれ、ストレスや緊張を鎮めて頭痛を改善します。
冷えによる頭痛には適しませんが、ストレスや血圧上昇による頭痛では呉茱萸湯より釣藤散が適しています。このように、頭痛ひとつとっても呉茱萸湯以外に原因別の漢方処方が存在し、症状の特徴に応じて処方を使い分けます。
副作用や証が合わない場合の症状
漢方薬も薬ですので、副作用が生じる可能性があります。呉茱萸湯は比較的副作用の少ない処方とされていますが、体質に合わない場合や過量摂取の場合には以下のような症状が現れることがあります。
- 消化器症状: 服用初期に一時的に胸のむかつき、めまい、頭痛が強まることがあります。これは呉茱萸(生薬)の刺激による一過性の反応で、通常30分程度で治まります。症状が強い場合は一度服用を中止し、医師に相談してください。
- 体のほてり・違和感: 本来冷えた体を温める薬なので、証(体質)が合わず元々熱のこもっている人が飲むと、逆にのぼせや口の渇き、動悸、不眠などの過剰な温めによる症状が出ることがあります。このような場合も中止が必要です。
- アレルギー反応: まれに発疹、かゆみ、発赤などの皮膚症状が現れることがあります。これは生薬に対するアレルギー反応の可能性があるため、その際も服用を中止し、医療機関を受診してください。
以上のように、副作用は稀ではありますが起こり得ます。特に「証」が合っていない場合(例えば実際には体に熱がこもっているのに誤って呉茱萸湯を服用した場合)には効果がないばかりか不快症状が現れることもあります。漢方薬でも体質に合ったものを適切な用量で服用することが大切です。
併用禁忌・併用注意な薬剤
呉茱萸湯は単独では大きな相互作用の報告はありませんが、他の薬剤と併用する際はいくつか注意点があります。
- 他の漢方薬との併用: 漢方薬同士を併用する場合、含まれる生薬が重複することがあります。呉茱萸湯は身体を温める生薬のみで構成されており、他にも身体を温める効果を発揮する生薬(附子など)を含む漢方薬を併用すると過剰に身体が温まってしまい思わぬ副作用が出る可能性もあります。
複数の漢方薬を組み合わせる場合は、処方全体で生薬の量や作用が過剰にならないよう専門家が調整する必要があります。
- 西洋薬との併用: 現時点で呉茱萸湯と特定の西洋薬の重大な相互作用は知られていません。しかし、一部の成分(例えば人参)はワルファリンなどの抗凝固薬の作用を弱める可能性が報告されています。抗凝固療法中の方が漢方を併用する場合は、医師の監督下で凝固能のチェックを行うことが望ましいです。また、利尿剤やステロイド薬を服用中の方は、甘草含有処方との併用で低カリウム血症が悪化する恐れがあるため注意が必要です。
- インターフェロン製剤との併用: 呉茱萸湯固有の問題ではありませんが、漢方の小柴胡湯(9)とインターフェロンを併用した際に間質性肺炎を起こした例があることから、漢方薬全般でインターフェロン製剤との併用は慎重に判断されます。呉茱萸湯自体は小柴胡湯とは構成も作用も異なりますが、念のためインターフェロン治療中の漢方併用は主治医と十分相談してください。
このように、漢方薬だからといって他の薬との相互作用が皆無なわけではありません。特に持病でお薬を飲まれている方は、呉茱萸湯を含め漢方薬を自己判断で併用せず、医師・薬剤師に必ず相談するようにしてください。
含まれている生薬の組み合わせとその理由
呉茱萸湯はわずか4種類の生薬からなるシンプルな処方ですが、その組み合わせには緻密な理由があります。各生薬の役割と、なぜ選ばれているかを見てみましょう。
- 呉茱萸(ごしゅゆ): ミカン科サンショウ属の植物であるゴシュユの未熟な果実です。本処方の君薬(メイン)であり、強力にお腹(肝・胃)を温めて寒さを散らし、痛みを止め、胃の気の上逆(嘔吐)を抑える作用があります。頭痛の原因物質とされた「寒飲(胃内に停滞した冷たい水)」を取り除き、痛みを鎮めます。ただし刺激が強いため、後述のように他の生薬でその鋭さを和らげています。
- 生姜(しょうきょう): ショウガの新鮮な根茎で、胃を温めつつ嘔気を鎮める作用に優れます。呉茱萸とともに胃腸を温め、逆上した気を下げて吐き気を止める働きをします。また、生姜には他の生薬の吸収を助け、胃への刺激を緩和する効果もあります。呉茱萸の強い作用による胃の負担を、生姜が和らげてくれるのです。
- 人参(にんじん): 高麗人参(オタネニンジン)の根で、胃腸を補い全身の気を補充する役割があります。頭痛や吐き気を起こす方は胃腸が虚弱なことが多いため、人参で胃の機能と気力を高め、体力を底上げします。これにより、呉茱萸や生姜の温める作用を受け止めるだけのエネルギーを患者が確保でき、効果が発揮しやすくなります。
- 大棗(たいそう): ナツメの実で、脾胃を補い血を養う穏やかな補血薬です。ほんのり甘味があり、処方全体の調和をとる緩和剤(佐薬)の役割を果たします。呉茱萸湯では、大棗が消化器を労わり、人参とともに患者の体力を支えます。また、呉茱萸や生姜の辛味・苦味を飲みやすくする効果も期待できます。
これら4つの生薬の組み合わせにより、「温める」「降逆する」「補う」「調和する」という作用がバランスよく実現されています。つまり、呉茱萸湯は単に頭痛を抑えるだけでなく、「なぜ頭痛や嘔吐が起こるのか」という根本に対処するために生薬が選ばれているのです。
胃腸を温めつつ、弱った消化機能と気力を補充し、全体のバランスを整えることで、持続する効果を狙った処方設計になっています。
呉茱萸湯にまつわる豆知識
最後に、呉茱萸湯に関連する興味深いトピックをいくつかご紹介します。
- 歴史的背景: 呉茱萸湯は、中国の古典『傷寒論』(東漢時代・3世紀頃)に記載された処方です。原文では「乾嘔、吐涎沫、頭痛者、呉茱萸湯主之」と記され、乾いた吐き気や涎の混じった嘔吐、頭痛を呈する患者に用いるとされています。古来より頭痛と嘔吐の組み合わせに対する代表的処方だったことが伺えます。また、日本では漢方の大家・大塚敬節医師がその臨床価値を高く評価し、片頭痛の治療薬として世に広めました。
- 生薬名の由来: 処方名の由来にもなっている呉茱萸という生薬名は、中国の「呉」(古代の地域名、現在の江蘇省一帯)で産出した良質な茱萸という果実に由来します。「茱萸(しゅゆ)」とはグミ科の植物の赤い実を指す漢字で、同じ名前を持つ生薬に山茱萸(さんしゅゆ)があります。呉茱萸はミカン科の植物で、山茱萸(サンシュユ)はミズキ科と全く別物ですが、どちらも果実を薬用にします。「呉茱萸」は呉の国(現在の中国南部)から伝わった茱萸という意味で名付けられました。
- 植物としての特徴: ゴシュユの木(呉茱萸の基原植物)は東アジアの暖かい地域に自生する落葉小高木です。雌雄異株で、日本へは江戸時代に雌株だけが導入されたため、国内では結実はするものの種子ができません(受粉に必要な雄株がいないため)。そのため、日本国内では地下茎や挿し木で繁殖しています。樹全体に強い匂いがあり、生薬部位である果実も特有な香りと強い苦味を持っています。
- 味と服用法: 味は非常に苦く辛いのですが、大棗の甘みや生姜の香りで多少は飲みやすくなります。それでも服用が辛い場合、少し冷ましてから服用すると吐き気を催しにくくなります(古くから、嘔吐が激しい時には煎じ薬を冷まして服用する工夫があります)。ただし冷ましすぎると薬効が弱まるため、人肌程度の温度で飲むのが良いでしょう。
- 「六陳」の概念: 古典には「六陳(りくちん)」といって、生薬は長期保存した古いものの方が良いとされるものがあります。呉茱萸もその一つです。収穫したての呉茱萸は作用が強すぎて嘔吐を誘発しやすいため、1年以上寝かせたものの方が胃への刺激が穏やかになり、薬効も高まると言われます。このように、生薬の扱いにも昔からの知恵があり、処方の効果を高める工夫がなされています。
- 現代研究: 現代の医学研究でも、呉茱萸湯の有用性が探求されています。例えば、慢性頭痛や片頭痛の発作予防に関する臨床研究では、呉茱萸湯の継続投与で頭痛発作の頻度が減ったという報告があります。また、呉茱萸湯に含まれる生姜の成分(ショウガオールやジンゲロール)や呉茱萸の成分(エボジアミンなど)が、血管の収縮拡張や神経伝達物質に作用して鎮痛・制吐効果を発揮するメカニズムも検討されています。ただし、効果には個人差があるため、研究結果をもとに服用を自己判断することは避け、専門家の診断に基づいて使用してください。
まとめ
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。