麦門冬湯の効果・適応症
麦門冬湯(ばくもんどうとう)は、漢方の咳止め薬の一つです。体力が中等度以下で、痰(たん)が切れにくく、ときに激しく咳き込む、あるいはのどに乾燥感があるような方の咳や咽喉炎に用いられます。気道を潤し、痰を出しやすくして咳を鎮める効果があり、空咳(からぜき)、気管支炎、気管支喘息、咽頭炎、しわがれ声(嗄声)など幅広い呼吸器症状の改善に適応があります。漢方医学的には、肺やのどの潤い(陰液)が不足した「陰虚」と呼ばれる状態の咳に対する代表処方です。
よくある疾患への効果
麦門冬湯は、現代臨床でも長引く咳によく処方されます。例えば、風邪後のしつこい空咳や慢性気管支炎で痰が少なく喉が渇くようなケース、軽度の喘息による乾いた咳、副鼻腔炎後の慢性咳嗽などで効果が期待できます。気道の炎症を鎮め、乾燥した粘膜を潤すことで咳き込みやのどの違和感を和らげる作用があります。特に夜間や明け方に出る乾いた咳に用いると、のどが潤って咳が落ち着きやすくなります。
また、声の使いすぎによる喉の不調にも麦門冬湯は有用です。例えば学校の先生や歌手、カラオケ愛好家などで声がかれやすく、喉がイガイガして咳込むような場合に、症状が出たタイミングで麦門冬湯を服用すると喉の潤いが補われ楽になります。公式な効能・効果に「しわがれ声」が含まれている通り、咽頭の乾燥による声枯れを改善する働きもあります。ただし効果の持続時間は長くないため、必要に応じて1日数回に分けて服用することになります。
なお、麦門冬湯の咳止め効果については、小規模ながら臨床研究で風邪後の咳症状が数日で改善したとの報告や、マイコプラズマ肺炎後の咳に抗生剤と併用して早期改善がみられた報告があります。エビデンスは十分ではありませんが、経験的に「咳が長引くときの漢方薬」として幅広く用いられているのが現状です。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
乾いた咳や痰の絡む咳に対しては、麦門冬湯以外にもいくつかの漢方薬が症状に応じて用いられます。患者さんの症状や体質(証)に合わせて、以下のような処方と使い分けられます。
小青竜湯(19)
小青竜湯(しょうせいりゅうとう)は、水っぽい鼻水や痰を伴う咳に用いる代表的な処方です。冷えによるクシャミや鼻水、透明な痰が出る湿性の咳に適しており、花粉症やアレルギー性鼻炎に伴う咳、気管支喘息の初期などにも使われます。身体を温めながら水分代謝を整える作用があり、麦門冬湯のように喉を潤すのではなく、余分な水分をさばいて咳を鎮める点が特徴です。痰がサラサラと多く出て鼻水もあるような方には麦門冬湯より小青竜湯が向いています。
麻杏甘石湯(55)
麻杏甘石湯(まきょうかんせきとう)は、ゼーゼーと喘鳴を伴う咳や黄色い粘稠痰を伴う咳に用いられる処方です。身体が中程度以上にしっかりした人向けで、麦門冬湯には含まれていない麻黄(マオウ)という生薬を含むため、気管支を拡張して呼吸を楽にし、炎症を冷ます作用が強いのが特徴です。気管支喘息の発作性の咳や、肺炎後期の残る咳、発熱を伴うような咳に適しています。ただし麻黄の刺激で発汗や動悸が出ることもあるため、体力のない方や心臓の弱い方には用いません。痰が熱で粘り強く、咳込みが激しい場合は麦門冬湯より麻杏甘石湯の方が効果的です。
五虎湯(95)
五虎湯(ごことう)は、麻杏甘石湯に桑白皮(そうはくひ)という生薬を加えた処方で、漢方の中でも最も強力な咳止めとされています。激しい咳発作や喘息発作時のゼーゼーした咳、黄厚い痰が絡む咳に用いられ、気管支を広げて痰を出しやすくする作用に優れます。体力中等度以上で咳嗽が非常に激しい場合に適し、気管支喘息や重めの気管支炎、小児喘息などにも処方されます。五虎湯は作用が強い反面、麻黄の量が多く含まれるため、心臓や高血圧の既往がある方には慎重に使われます。発熱や炎症が強く、麦門冬湯では咳が治まらないようなケースで五虎湯の出番となります。
柴朴湯(96)
柴朴湯(さいぼくとう)は、長引く咳にストレスや不安が影響している場合に用いられる漢方薬です。これは小柴胡湯と半夏厚朴湯という処方を組み合わせた処方で、気管支の炎症を抑えつつ気分の高ぶりや不安を鎮める作用があります。気管支喘息に伴う神経性の咳や、風邪が治った後も喉に何か引っかかった感じ(梅核気)が残って咳が続くような方に適しています。麦門冬湯との違いは、柴朴湯には痰を乾かす生薬(柴胡や黄芩など)が含まれるため湿った咳向きであり、喉の渇きが強い乾いた咳には用いない点です。精神的な要因で咳込みやすい人や、咳と一緒にイライラ感や胸のつかえを訴える人には麦門冬湯より柴朴湯が有効です。
副作用や証が合わない場合の症状
漢方薬全般に言えることですが、麦門冬湯は患者さん一人ひとりの「証(しょう)」(体質・症状)に合ってこそ十分な効果を発揮します。証が合わない場合には、期待した効果が得られないばかりか、時に体調不良を招くこともあります。
例えば、胃腸が極端に弱い方や冷え性の方が麦門冬湯を服用すると、まれに胃もたれや下痢など消化器系の不調を感じることがあります。また、体質に合っていないのに長期間服用を続けると、症状が改善しないだけでなく体がだるく感じたりする場合もあります。そのため、1ヶ月ほど服用しても効果が実感できない場合は、無理に続けず医師に相談することが望ましいでしょう。
麦門冬湯自体は比較的副作用の少ない処方とされていますが、全くリスクがないわけではありません。含まれている甘草(カンゾウ)の作用により、偽アルドステロン症と呼ばれる重篤な副作用が起こる可能性があります。これは体内のカリウムが低下することで血圧上昇、むくみ、脱力感などを引き起こす症状です。
特に麦門冬湯を大量かつ長期に服用する場合や、後述する他の薬剤との併用によって甘草の摂取量が増えている場合には注意が必要です。さらに、ごく稀ですが間質性肺炎や肝機能障害、薬疹(発疹・かゆみ)などの副作用報告もあります。服用中に息切れや発熱、全身のだるさが出たり、皮膚に異常が現れた場合は、すぐに服用を中止して医療機関を受診してください。
併用禁忌・併用注意な薬剤
麦門冬湯自体に絶対併用してはいけない薬剤(併用禁忌)は特にありません。西洋薬の咳止め(鎮咳薬)や去痰薬、気管支拡張薬と一緒に使われることも多く、これらとの併用で効果が弱まったり副作用が増えたりすることは基本的にありません。実際、麦門冬湯はムコダインのような去痰薬やアレルギーの薬と併用しても問題ないとされています。
ただし、いくつか併用時に注意が必要なケースはあります。まず、麦門冬湯と他の漢方薬を併用する場合です。複数の漢方薬を同時に服用すると、配合生薬が重複して思わぬ過剰摂取になる恐れがあります。
特に甘草(カンゾウ)を含む処方(例:芍薬甘草湯(68)や補中益気湯(41)、抑肝散(54)など)を麦門冬湯と併用する場合、甘草由来のグリチルリチンの総量が増えて偽アルドステロン症のリスクが高まります。同様に、市販の甘草エキス製剤(グリチルリチン製剤)や漢方入りのドリンク剤などを併用する際も注意が必要です。
また、甘草の作用で血中カリウムが低下しやすくなるため、利尿薬(フロセミドなど)やステロイド剤を服用中の方、あるいは下剤を常用している方が麦門冬湯を併用すると、低カリウム血症に陥りやすくなります。
低カリウム状態になると不整脈のリスクも高まるため、該当する薬をお使いの方は麦門冬湯を併用する前に主治医や薬剤師に相談してください。逆に、先述のように鎮咳薬や去痰薬、抗生物質などとは併用しても問題なく、治療効果を高める目的で一緒に処方されることも多いです。
含まれている生薬の組み合わせと役割
麦門冬湯は、麦門冬・半夏・粳米・大棗・人参・甘草の6種類の生薬から構成されています。それぞれの生薬が担う役割は以下の通りです。
- 麦門冬(バクモンドウ) – ユリ科ジャノヒゲ(別名リュウノヒゲ)の肥大した根(塊根)を乾燥させた生薬です。肺や喉の粘膜を潤す作用があり、乾燥で粘りついた痰を切れやすくして咳を鎮めます。本処方の主薬(メインの生薬)で、処方名「麦門冬湯」もこれに由来します。
- 半夏(ハンゲ) – サトイモ科カラスビシャクの球茎を加工した生薬です。痰をさばいて除去する(去痰)作用や咳を鎮める作用があります。また嘔吐を抑える働きも持ち、激しい咳込みで吐き気を催すような場合にも有効です。麦門冬で潤いを与える一方、半夏で余分な痰湿を取り除くことで喉の通りを良くする効果を狙っています。
- 粳米(こうべい) – いわゆるうるち米(精白していない玄米)です。漢方では珍しくお米が処方に含まれており、消化吸収を助けて胃腸を整える働きがあります。麦門冬湯は滋養強壮効果もあるため、粳米が胃腸の負担を減らしつつ体力を補うのに寄与します。また、喉の渇きを抑える作用もあり、口の中の乾燥感を和らげる助けとなります。
- 大棗(たいそう) – ナツメの実を乾燥させた生薬です。ほんのり甘みがあり、漢方では他の生薬の調和剤として頻用されます。筋肉のこわばりや緊張を和らげたり、神経の高ぶりを鎮める作用があるとされ、咳で疲弊した体をリラックスさせる効果が期待できます。麦門冬湯でも、甘味による飲みやすさの向上と全体の調和に寄与しています。
- 人参(にんじん) – 高麗人参(オタネニンジン)の根です。体力を補い、胃腸の働きを高める代表的な滋養強壮薬で、抗疲労・抗ストレス作用があります。激しい咳が続くと体力を消耗しますが、人参が配合されていることで気力・体力の消耗を補い、全身のエネルギーを底上げします。特に虚弱な方や高齢者の咳に麦門冬湯が使われる際、人参の存在が治療効果を支えます。
- 甘草(かんぞう) – マメ科の多年草カンゾウの根およびストロン(匍匐茎)を乾燥させた生薬です。甘みの主成分であるグリチルリチンには炎症を鎮める作用があり、喉の腫れや痛みを和らげます。また、他の生薬の調和剤として処方全体のバランスを整える役割も担います。さらに鎮咳作用も期待でき、古来から甘草単独でも咳止め薬(甘草湯)として利用されてきました。ただし、前述のように長期大量使用で偽アルドステロン症を起こす可能性があるため含有量には注意が必要です(麦門冬湯では1日量中に甘草約2g程度を含む)。
以上のように、麦門冬湯は潤す生薬(麦門冬)と痰を除く生薬(半夏)、そして胃腸を守り体力を補う生薬(粳米・人参)、調和し鎮静する生薬(大棗・甘草)がバランス良く組み合わされています。のどを潤しつつ不要な痰を取り除き、さらに咳で消耗しがちな体力を補えるよう設計された処方なのです。
麦門冬湯にまつわる豆知識
●歴史と処方名の由来: 麦門冬湯は、3世紀の中国の医師・張仲景(ちょうちゅうけい)が著した古典『金匱要略(きんきようりゃく)』に収載されている処方です。本来は「肺痿(はいわい)」と呼ばれる肺の慢性的な衰えによる咳嗽や喘息状の症状に対する処方として記載されました。
処方名は主薬である麦門冬から名付けられており、張仲景の処方命名の特徴である「主薬の名を処方名とする」典型的な例です。つまり麦門冬湯とは「麦門冬を主体とした煎じ薬」という意味になります。
●主薬「麦門冬」の植物学トリビア: 麦門冬(バクモンドウ)は生薬名で、その正体は日本にも自生するジャノヒゲ(蛇の髭)という植物の根です。ジャノヒゲは庭先や公園の植え込みにも使われる身近な常緑多年草で、夏に紫色の小さな花を咲かせ、冬には光沢のある藍色の実を付けます。地下には細長い根があり、一部が紡錘状(糸巻き状)にふくらんで栄養を貯えています。この膨らんだ部分を掘り出して乾燥させたものが生薬「麦門冬」です。
名前の由来には諸説ありますが、一説には麦のような小さな塊根を冬に収穫することから「麦門冬」と名付けられたとも言われます。乾燥した麦門冬はほんのり甘味があり、古くから滋養強壮や咳止めに使われてきました。
●麦門冬湯の味・香り: 漢方薬というと苦いイメージがありますが、麦門冬湯は比較的飲みやすい味をしています。甘草と大棗、粳米が入っているため甘みがあり、麦門冬自体も甘味とわずかな苦味を持つ生薬です。半夏が入る漢方薬はやや独特の刺激臭がありますが、麦門冬湯の場合は半夏の割合が多くないため匂いも強くありません。
総じて、少し甘くてかすかに渋みを感じる風味で、苦味の強い処方に比べれば抵抗なく服用できる方が多い印象です。小児でも比較的嫌がらずに飲めることが多く、粉薬が苦手な場合はお湯に溶かして少量ずつ飲んでもらうと良いでしょう。
●現代でのちょっとした活用法: 麦門冬湯は「咳止め」としてだけでなく、のどのコンディション調整にも使われます。先述のように、声を酷使する教師や歌手の方が喉を潤す目的で頓服的に服用したり、ドライマウス(口腔内乾燥)の傾向がある高齢者が就寝前に服用して夜間のから咳を防ぐ、といった使われ方もあります。
また、近年の研究では麦門冬湯が気道粘膜の水分輸送タンパク(アクアポリン)の働きを調整し、乾燥した気道細胞に水分を取り込ませることで咳を鎮める可能性が示唆されています。このように、古典から伝わる処方ながら現代的な解析も進められており、伝統と科学の両面から咳への有用性が注目されています。
まとめ
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。