八味地黄丸の効果、適応症
八味地黄丸(はちみじおうがん)は、中高年以降に現れやすい排尿トラブルや腰痛・下肢の痛み、さらには手足の冷えなどを改善する目的で用いられる漢方薬の一つです。いわゆる「腎虚(じんきょ)」と呼ばれる腎の機能低下(加齢による活力やホルモン機能の衰え)を補い、体を温めつつ全身の機能を底上げする働きがあります。古典『金匱要略(きんきようりゃく)』に「腎気丸(じんきがん)」という名で収載された処方で、腎(生命エネルギーの源)のエネルギーを補充する丸薬として古くから知られています。八味地黄丸では腎の陽気(体を温めるエネルギー)を高めつつ、同時に腎を滋養して身体に必要な水分(陰)を補うことで、加齢に伴う様々な不調を改善します。以下のような症状・体質に対して効果が期待できます。
- 排尿に関する症状:夜間頻尿(夜中に何度もトイレに行く)、残尿感がある、尿の出が悪い、軽い尿漏れ など
- 足腰の痛み・しびれ:慢性的な腰痛や膝の痛み、冷えによって悪化する坐骨神経痛、足のしびれ など
このように、八味地黄丸は体力が低下し、冷えを伴うような方の幅広い症状改善に用いられる処方です。特に「疲れやすい」「手足が冷える」といった傾向があり、「尿の量や回数の異常」「腰や下肢の痛み・しびれ」が見られる場合に適しています。
ただし、胃腸が極端に弱い方や、のぼせ傾向で顔色が赤く体力が充実しているような方には基本的に用いません(詳細は後述)。体質さえ合致すれば、加齢による諸症状の改善に役立つ頼もしい漢方薬です。
よくある疾患への効果
八味地黄丸は上記のような症状に対して用いられますが、実際の疾患名で言えば次のようなケースで補助的に使われることがあります。
夜間頻尿・尿失禁などの排尿トラブル
加齢や疾患により膀胱や前立腺の機能が低下すると、夜間に何度も排尿に起きる夜間頻尿や、トイレが近い頻尿、あるいはくしゃみや加圧時の軽い尿漏れといった症状が現れます。八味地黄丸(7)は泌尿生殖器系の機能を高めることで、これら排尿異常を正常な方向に調整する働きがあります。
実際、前立腺肥大症による尿トラブルに対して、その直接の治療薬ではありませんが、随伴する排尿症状の改善を目的に処方されることがあります。例えば夜間頻尿がひどく睡眠の質が落ちている高齢男性に八味地黄丸を用いると、体力や腎の働きを補い夜間の排尿回数が減少するケースがあります。
また、過活動膀胱の傾向がある方で体力低下と冷えを伴う場合にも、膀胱のコントロール機能改善を期待して用いることがあります。ただし、前立腺肥大そのものを小さくする作用はないため、必要に応じて西洋医学的治療と併用しつつ、症状緩和の一助として使われます。
慢性的な腰痛・坐骨神経痛
年齢とともに腰や下肢の筋力が衰え、血行も悪くなると、慢性腰痛や足の痛み・しびれが生じやすくなります。特に「冷えると痛みが増す」「疲れると足がだるい」といった症状は、漢方でいう「腎虚」による腰脚の不調と考えられます。
八味地黄丸は腎を温めて血流を促し、下半身の冷えを改善することで、このような腰痛や坐骨神経痛の症状緩和に寄与します。例えば、腰部脊柱管狭窄症や変形性脊椎症による坐骨神経痛がある高齢者で、冷えと足腰のだるさを訴える場合、八味地黄丸で血行を良くし痛みを和らげる効果が期待できます。
また、糖尿病性神経障害で足のしびれ・ほてりがあるようなケースでも、体質が腎虚に合致すれば症状軽減を図る目的で使われることがあります(より痛みが強い場合は後述の牛車腎気丸(107)を使うことが多いです)。八味地黄丸は神経や関節そのものの構造を治すわけではありませんが、体を温めて痛みの閾値を下げ、自己治癒力を高めることで慢性痛を和らげる手助けとなります。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
八味地黄丸と似た症状・体質に対して用いられる漢方薬がいくつかあります。症状の程度や体質の違いによって処方を選び分けることが大切です。ここでは、八味地黄丸と比較されやすい代表的な処方を紹介します。
六味丸(87)〔ろくみがん〕
六味丸(87)は、八味地黄丸から附子(ぶし)と桂皮(けいひ)などの温める生薬を除いた処方です。八味地黄丸の構成生薬8種のうち、体を温めて新陳代謝を高める2種を含まない6種で構成されているため、身体を温める作用はマイルドです。その分、のぼせやほてりのある方に適した補腎剤として使われます。
例えば、八味地黄丸や牛車腎気丸を服用してのぼせ感を訴えるような場合や、手足は冷える一方で上半身に熱感があるような陰虚(いんきょ)傾向の方には、温補薬を含まない六味丸に切り替えて様子を見ることがあります。六味丸は主に口渇やほてりを伴う頻尿、むくみなど、潤いを補いつつ余分な水を捌くことで整える処方として利用されます。
牛車腎気丸(107)〔ごしゃじんきがん〕
牛車腎気丸(107)は、八味地黄丸に牛膝(ごしつ)と車前子(しゃぜんし)という2つの生薬を加えた処方です。これらの追加生薬により痛みを和らげる作用と利尿促進作用が強化されているため、下肢の痛み・しびれが強い方や高度の頻尿に適用されることが多い処方です。
典型的には、糖尿病性末梢神経障害で足先の痛み・しびれが強い場合や、腰部脊柱管狭窄症で間欠性跛行(かんけつせいはこう:一定距離を歩くと脚が痛む)が顕著な場合に、八味地黄丸よりも牛車腎気丸が選択されます。また、八味地黄丸で頻尿の改善が不十分な場合に牛車腎気丸へ変更すると、追加生薬の利尿作用によって尿量の調節がさらに進むことがあります。牛車腎気丸は八味地黄丸と同様に腎虚を改善しつつ、痛みの緩和や下肢の血流改善効果が増強された処方と言えます。
真武湯(30)〔しんぶとう〕
真武湯(30)は、附子を主薬とした腎陽虚(腎の陽気不足)の代表処方です。八味地黄丸と同じく体を温める目的で用いられますが、構成生薬が大きく異なり、白朮(びゃくじゅつ)や生姜(しょうきょう)などで胃腸を温め水分代謝を整える処方となっています。下痢しやすく胃腸が弱い腎虚の方や、むくみ・めまいが強い場合には、滋養強壮薬の多い八味地黄丸よりも真武湯の方が適するケースがあります。
例えば、慢性腎不全で利尿力が低下し腹部膨満感や浮腫を呈する方に真武湯を用いると、胃腸に負担をかけずに体を温めつつ余分な水分を排出しやすくします。逆に言えば、真武湯には八味地黄丸に含まれる地黄など滋陰作用(体を潤す作用)のある生薬が含まれないため、乾燥感やほてりがある場合には八味地黄丸の方が適しています。このように、腎を温めることを重視するか、潤すことを重視するかで八味地黄丸と真武湯を使い分けます。
副作用や証が合わない場合の症状
八味地黄丸は比較的副作用の少ない処方とされていますが、体質に合わない場合や長期間・大量に服用した場合、副作用が現れる可能性があります。まず、本処方には附子(加工トリカブト根)という劇性の生薬が含まれているため、ごくまれに附子によるしびれや動悸が起こることがあります。服用後に口唇や舌のしびれ、心悸亢進(動悸)が生じた場合は、附子の刺激による副作用の可能性があるため直ちに服用を中止してください。
また、体質に合わない(証を誤っている)場合にはのぼせ、ほてり、発汗、不眠などの過剰な温めによる症状が出ることがあります。例えば、もともと熱っぽい傾向の強い人が八味地黄丸を服用すると、顔が火照ったり動悸・イライラ感が出ることがあります。一方で、胃腸が弱い人が服用すると食欲不振、胃もたれ、下痢など消化器症状が現れることがあります。八味地黄丸の主薬である地黄は滋養強壮に優れますがやや胃にもたれやすいため、胃弱な方には注意が必要です。
このほか、発疹・発赤、かゆみなどの過敏症状(アレルギー)が起こる可能性も少ないながらあります。いずれの場合も、副作用と思われる症状が出現した際は服用を中止し、医師・薬剤師に相談してください。また、1ヶ月ほど服用を続けても全く症状の改善が見られない場合、その方の証に合っていない可能性があります。その際も無理に飲み続けず、専門家に相談するようにしましょう。
併用禁忌・併用注意な薬剤
八味地黄丸には麻黄や甘草のような特に強い作用を持つ生薬は含まれておらず、絶対的な併用禁忌となる薬剤は少ないとされています。ただし、以下のような場合には併用に注意が必要です。
- 利尿薬との併用:八味地黄丸には茯苓や沢瀉といった利水作用(利尿作用)のある生薬が含まれています。そのため、フロセミドなどの利尿剤を服用中の方が併用すると、相加的に利尿が進み電解質バランス(とくにカリウム)の変動をきたす可能性があります。重大な低カリウム血症はまれですが、利尿薬をご使用中の方は医師と相談の上で慎重に併用してください。
- 降圧薬・強心薬との併用:八味地黄丸の服用によって血圧や循環動態が変化する場合があります。むくみの改善により血圧が下がる、夜間尿が減ることで利尿薬の効果が相対的に変化する、といったことが起こり得ます。高血圧治療薬や心不全の強心薬(ジギタリス製剤等)を服用中の方は、漢方薬服用開始後の体調変化に注意し、必要に応じて主治医に経過を報告してください。特にジギタリス系のお薬の場合、電解質変動による作用増強のリスクがあるため注意が必要です。
- 抗凝固薬との併用:八味地黄丸に含まれる牡丹皮(ぼたんぴ)には、血流を良くし瘀血を散らす作用があります。理論上、ワルファリン等の抗凝血薬との併用で作用に影響を及ぼす可能性が指摘されています。抗凝固療法中の方が八味地黄丸を服用する際は、定期的に凝固能検査を受けるなど念のため慎重な経過観察が望ましいでしょう。
- 他の漢方薬・サプリメントとの併用:八味地黄丸と類似の生薬を含む漢方薬を併用すると、生薬成分が重複して過剰摂取となる恐れがあります。例えば、牛車腎気丸や六味丸をすでに服用中に八味地黄丸を自己判断で追加すると、地黄など滋養強壮成分の重複摂取となり、副作用リスクが高まる可能性があります。
また健康サプリメントとの相互作用も考えられるため、自己判断で複数の漢方やサプリを組み合わせることは避けましょう。併用したい場合は必ず事前に医師・薬剤師に相談し、指示を仰いでください。
含まれている生薬の組み合わせ、なぜその生薬が選ばれているか
八味地黄丸は、その名の通り8種類の生薬を組み合わせて作られています。滋養強壮薬(身体に栄養と潤いを与える薬)と身体を温め機能を高める薬をバランス良く配合しているのが特徴です。それぞれの生薬が選ばれている理由を簡単に解説します。
- 地黄(じおう) – アカヤジオウの根(熟地黄)。腎の働きを補い、体に必要な水分(陰)と血をたっぷりと養う補陰薬です。八味地黄丸の中心となる生薬で、腎を潤し基礎体力を高めます。
- 山茱萸(さんしゅゆ) – グミ科サンシュユの果肉。腎や肝の機能を助け、精液や尿の漏れを防ぐ収斂作用を持ちます。体の潤いを保ちながら腎を強化し、頻尿やインポテンツなど腎虚による漏れ出る症状を防ぎます。
- 山薬(さんやく) – ヤマノイモのこと。脾(消化機能)と腎を補い、気力と滋養を与える生薬です。胃腸を整えつつ腎も強めるため、全身の疲労を回復させます。また収斂作用もあり、尿が出過ぎるのを抑える働きも期待できます。
- 茯苓(ぶくりょう) – マツホドという菌核。体内の余分な水分を排出する利水作用と、消化機能を助ける作用があります。むくみを改善しつつ胃腸を元気づけ、他の滋養生薬が消化不良を起こさないようサポートします。精神安定作用もあり、不眠や動悸の緩和にも寄与します。
- 沢瀉(たくしゃ) – サジオモダカの塊茎。体内の水はけを良くする利尿作用に優れ、腎臓や膀胱の機能を高めます。余分な水分を排泄してむくみや膀胱炎を改善するとされ、八味地黄丸では茯苓とともに腎・膀胱の水分調整役として働きます。
- 牡丹皮(ぼたんぴ) – ボタンの根皮。清熱作用と活血作用を持ち、体内の炎症やほてりを抑え血の巡りを良くする生薬です。地黄や山茱萸など滋養強壮薬を多く含む処方では、体内に余分な熱や滞りが生じないよう牡丹皮がバランスを取ります。八味地黄丸でも、補剤によるほてりの副作用を緩和しつつ血流を促進する役割を担っています。
- 桂皮(けいひ) – ニッケイ(シナモン)の樹皮。強い温裏作用(体を芯から温める作用)を持ち、血行を良くして冷えによる痛みを散らします。腎を温めて膀胱の働きを助け、排尿困難や腰痛を改善するのに寄与します。附子よりも穏やかな温め薬で、八味地黄丸では附子を補佐して全身の血流改善と冷えの緩和に貢献します。
- 附子(ぶし) – ハナトリカブトの加工根(毒抜きしたもの)。極めて強力な温補作用を持ち、腎陽(腎の陽気)を立て直す主薬です。冷えや痛みを速やかに改善し、衰えた代謝・循環機能を回復させます。八味地黄丸の中ではエンジン(命門の火)を再点火する要の生薬であり、少量でも体力増強に大きく寄与します。
以上のように、八味地黄丸は腎を補う3つの生薬(地黄・山茱萸・山薬)と、それを支える水捌けを良くする3つの生薬(茯苓・沢瀉・牡丹皮)、そして体を温める2つの生薬(桂皮・附子)を組み合わせています。これにより、「潤す」「引き締める」「巡らす」「温める」という作用がバランス良く発揮され、加齢による様々な症状をトータルにケアできる処方となっているのです。
八味地黄丸にまつわる豆知識
- 名前の由来:「八味地黄丸」の「八味」とは8種類の生薬を使っていることに由来します。地黄を主薬とする滋養強壮の丸剤で、生薬を8味配合しているためこの名があります。なお、中国の古典では「腎気丸」とも呼ばれており、腎の気(エネルギー)を補う薬という意味です。現代でも中国や英語圏では“八味丸”ではなく「八味地黄丸(Ba-Wei-Di-Huang-Wan)」や「腎気丸(Jin Gui Shen Qi Wan)」といった名前で呼ばれることがあります。
- 頻尿と排尿困難、両方に効くのはなぜ?:八味地黄丸の効能書きには「尿量減少または多尿」と、一見すると逆の症状に対する効果が記載されています。これは、本方が腎の働きを調節する作用を持つためです。腎の機能低下によって起こる排尿異常は、人によって「出にくい」か「出すぎる」か異なりますが、八味地黄丸は腎を補うことで膀胱機能を正常化し、出にくい場合には出やすく、出すぎる場合には抑える方向に働くと考えられています。そのため頻尿にも排尿困難にも使われるのです。
- 女性も服用できる?:八味地黄丸というと男性の前立腺や高齢男性の薬というイメージがありますが、女性でも症状が合えば服用できます。実際、更年期以降の女性で頻尿や冷え、腰痛に悩む方に処方されることも少なくありません。腎虚の症状(疲労感、冷え、浮腫み、頻尿など)は性別を問わず起こり得るため、現在の症状が効能・適応に当てはまれば男女ともに効果が期待できる漢方薬です。
まとめ
八味地黄丸は、加齢に伴う腎機能の衰え(腎虚)によって現れるさまざまな不調に適した漢方薬です。体を温めつつ腎を補い、全身の水分バランスや血流を整えることで、夜間頻尿や腰痛、むくみなどの症状改善が期待されます。比較的副作用の少ない処方ですが、体質に合わない場合や他の薬剤との併用時には注意が必要です。特に証(しょう)の合わない場合には効果が出にくいため、専門家による適切な証の見立てが重要になります。
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。