安中散(5)の効果・適応症
安中散(あんちゅうさん)は、胃腸を温めて痛みを和らげる漢方薬です。胃が冷えたり弱ったりして起こる胃痛や腹痛、胸やけ、げっぷ、食欲不振などの症状に効果があります。体格はやせ型で腹筋がゆるみがちな人、ストレスや冷えで胃の働きが悪くなる人に向いており、古くから神経性胃炎や慢性胃炎、胃アトニー(胃の動きが低下した状態)などに用いられてきました。胃酸過多による胃もたれや胸やけを改善し、胃を穏やかに落ち着かせる作用があります。
よくある疾患への効果
安中散は主に次のようなよくみられる胃の疾患・症状に用いられます。
- 神経性胃炎(機能性ディスペプシア):ストレスや自律神経の乱れで起こる胃の不調に効果的です。みぞおちの痛みや違和感、胸やけ・げっぷ・吐き気などを和らげ、イライラや不安による胃酸分泌過多を抑えます。
- 慢性胃炎:胃の粘膜に慢性的な炎症がある状態で、胃痛や胃もたれ、食欲不振が続く場合に用います。安中散は胃粘膜を保護しつつ胃の血流を良くし、慢性的な炎症による不快症状を改善します。
- 胃アトニー(胃下垂・胃腸虚弱):胃の筋肉の力が弱くなり、食後に胃が重く感じたり消化不良を起こしやすい人に適しています。安中散は胃を温めて働きを高め、胃もたれや膨満感を軽減します。
- 胃酸過多症・胸やけ:胃酸が多く出すぎて起こる胸やけや酸っぱい液が上がってくる症状(呑酸)に用いることがあります。ただし、体力が低下して胃が冷えているタイプの胸やけに適し、逆に体力が充実して顔色が赤く熱っぽいタイプの強い胃酸過多には向きません。
これら以外にも、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の痛みが冷えや空腹時に強まる場合に、補助的に処方されることもあります(※潰瘍そのものの治療は別途必要です)。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
胃の痛みや胸やけに用いる漢方薬は安中散以外にもいくつかあり、患者さんの**証(しょう)**に合わせて使い分けられます。主な処方をいくつか紹介します。
六君子湯(43)
六君子湯(りっくんしとう)は、胃腸が弱く食欲不振や胃もたれがある人に処方される補助強壮的な漢方です。疲れやすく貧血気味で、手足が冷えるような虚弱体質の人に適し、胃の働きを高めて消化不良を改善します。安中散よりも食欲増進や全身の補益に重きを置いた処方で、胃痛よりも胃もたれや食欲不振が目立つ場合によく使われます。
半夏瀉心湯(14)
半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)は、みぞおちのつかえ感と腸のゴロゴロ(腹鳴)や軟便・下痢を伴う胃炎に用いられる処方です。胃の炎症と機能低下が同時に起こっている状態に適し、胃のつかえや胸やけ、吐き気を改善しつつ腸の調子も整えます。安中散が「胃を温める」処方なのに対し、半夏瀉心湯は胃腸の調和を図る処方で、ストレスで胃が痛み下痢もするようなケースに向いています。
半夏厚朴湯(16)
半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)は、喉や食道に何か詰まった感じ(梅核気)を訴えるタイプの神経性胃炎に使われます。精神的な不安・緊張で胃痛が起こりやすく、喉の違和感やゲップ、吐き気などを伴う場合に適した処方です。安中散と比べて心身のストレス症状への作用が強く、イライラや不安感が強く胃がシクシク痛むようなときに用いられます。食欲不振やつわり、せき、不眠症など幅広い症状にも応用される処方です。
大柴胡湯(8)
大柴胡湯(だいさいことう)は、安中散とは逆に体力が充実した実証タイプの胃痛に使われる処方です。がっしりした体格で便秘傾向、みぞおちから右わき腹にかけて張りや圧痛があるような場合に適しています。胸やけや胃酸過多を伴う胃炎・胃痛でも、ストレスや怒りで症状が悪化しやすい人や、便秘を伴う人では大柴胡湯が選ばれます。ただし体力のない人には負担が大きいため処方されません。このように、安中散は虚証~中間証向け、大柴胡湯は実証向けと覚えると分かりやすいでしょう。
副作用や証が合わない場合の症状
安中散は比較的安全な漢方薬ですが、まれに副作用が現れることがあります。含まれる甘草(カンゾウ)の作用により、長期大量服用で偽アルドステロン症(血圧上昇やむくみ、低カリウム血症)が起こることがあります。症状としては手足のだるさやこわばり、脱力感、血圧の上昇、むくみ、体重増加などが現れます。特に他の甘草含有薬との併用時や高齢者では注意が必要です。また、ごく稀に肝機能障害や間質性肺炎(せき・息切れが続く肺の副作用)など重篤な副作用の報告もあるため、服用中に異常を感じたらすぐに医師に相談してください。
証が合わない場合、安中散を服用しても十分な効果が得られないか、かえって症状が悪化することがあります。例えば、実証で熱症状が強い人が安中散を飲むと胃の灼熱感や口の渇きが増すことがあります。このように体質に合っていないと感じた場合も、早めに医師・薬剤師に相談しましょう。
併用禁忌・併用注意の薬剤
安中散は他の薬と併用する際にもいくつか注意点があります。特に問題となるのは甘草由来の作用による相互作用です。
- 他の甘草含有製剤との併用:漢方薬や健康ドリンクなど、甘草を含む製品を複数服用するとカンゾウの重複摂取となり、低カリウム血症や高血圧など偽アルドステロン症のリスクが高まります。併用はなるべく避け、やむをえない場合は医師の指示に従ってください。
- 利尿剤との併用:フロセミドなどの利尿薬や下剤(例えばセンナや大黄を含むもの)を使用中の場合、カリウムが失われやすくなります。安中散の併用でさらに低カリウム状態になると、筋力低下や不整脈の原因となる恐れがあります。必要な場合は定期的に血液検査を受けるなど経過観察が重要です。
- ステロイド剤との併用:プレドニゾロンなどのステロイド薬も、カリウム排泄や血圧上昇の作用があります。安中散と併用するとこれらの作用が相加的に強まる可能性があるため、高血圧や浮腫が出ないか注意します。
- ジギタリス製剤との併用:強心薬のジゴキシンなどを服用中の場合、低カリウム血症はジギタリス中毒を招きやすくなります。安中散を含む甘草製剤でカリウムが低下すると不整脈のリスクが上がるため、併用する場合は特に注意が必要です。
なお、安中散に含まれる牡蛎(カルシウム成分)は制酸作用があります。このため、同時に服用する他の薬の吸収に影響する可能性があります。抗生物質や甲状腺薬、鉄剤などを服用している場合は、安中散と1~2時間程度の間隔をあけて飲むようにすると安心です。
含まれている生薬とその役割
安中散は7種類の生薬から構成されています。それぞれの生薬がバランスよく組み合わさり、胃を温め痛みを取る効果を発揮します。
- 延胡索(エンゴサク) – 鎮痛作用を持つ生薬で、胃の痛みや腹痛を和らげます。古くから鎮痛剤として用いられ、胃の血流を良くして痙攣を鎮める効果があります。
- 良姜(リョウキョウ) – ショウガ科の高良姜(こうりょうきょう)という植物の根茎で、身体を温める作用があります。特に胃腸を温めて冷えからくる痛みや不調を改善し、消化を助けます。
- 茴香(ウイキョウ) – フェンネル(小茴香)の種子で、独特の甘い香りがあります。胃腸の働きを整え、ガスや膨満感を軽減します。お腹を温めて冷えによる痛みを和らげ、食欲不振や吐き気にも効果が期待できます。
- 桂皮(ケイヒ) – シナモン(肉桂)の樹皮で、身体を温め血行を促進します。胃腸の冷えを改善しつつ、痛みを鎮める働きがあります。また発汗や循環改善作用もあり、ストレスで滞りがちな気の巡りを良くする役割も果たします。
- 牡蛎(ボレイ) – カキの殻を用いた生薬で、主成分はカルシウムです。制酸作用があり、胃酸を中和して胃の粘膜を保護します。また鎮静作用もあり、神経の高ぶりを抑えて胃痛や胸やけを緩和します。牡蛎は漢方で「酸を収すう」(酸をおさえる)とも言われ、吐酸(酸っぱいゲップや嘔吐)を止めるのに用いられます。
- 甘草(カンゾウ) – 甘味のある生薬で、他の生薬の調和剤として配合されています。胃腸の粘膜を保護し炎症を抑える抗炎症作用があり、痛みや痙攣をやわらげます。また全体をまろやかにまとめ、副作用を緩和する役割も担います。
- 縮砂(シュクシャ) – ショウガ科シュクシャの成熟果実の果皮を除き、種子を乾燥したものです。辛みのある生薬で、身体を温め胃を労る作用や痛みを止める作用があります。
これらの生薬の組み合わせにより、安中散は「冷えを取り除きつつ痛みを止め、胃酸を調整して胃を守る」働きを発揮します。伝統的な処方設計に基づき、生薬同士がお互いの効果を高め合うように工夫されています。
安中散にまつわる豆知識
安中散は中国の宋代に編纂された『太平恵民和剤局方』という薬典に収載された処方で、日本には江戸時代までに伝わり広く用いられるようになりました。名前の「安中」は文字通り「中(腹部)を安んずる」、つまりお腹を落ち着かせる散剤という意味です。江戸時代から明治時代にかけて、胃腸薬の代表格として庶民にも親しまれ、多くの経験が積み重ねられてきました。
市販の漢方胃腸薬の多くは安中散を基本に作られているとも言われます。例えば有名な胃薬「太田胃散」は、生薬成分にウイキョウやケイヒ、カンゾウなど安中散と共通するものを含み、胃酸中和のための炭酸塩も配合しています。これは安中散の伝統を生かしつつ西洋医学の知見を加えた処方と言え、古来の知恵が現代の市販薬にも応用されている好例です。
安中散の味は、生薬を粉末にした散剤ではやや辛みと甘みが混ざった独特の風味があります。桂皮や良姜、乾姜などのスパイシーな香りと、茴香の甘い香りが感じられ、甘草の甘みで飲みやすく調整されています。牡蛎由来のミネラル分の影響で少しチョークのような舌触りを感じることもありますが、これが胃酸を和らげる成分でもあります。エキス製剤(顆粒)では苦味や辛味はマイルドになっていますが、飲むと体がポカポカ温まるのを感じる方もいるようです。
エピソードとしては、「胃の冷えからくる痛みに安中散あり」と言われるほど、冷え性の胃痛にはまず試される処方でした。江戸時代の文献にも安中散の記載があり、暴飲暴食や冷たいものの摂り過ぎで腹痛を起こしたときの救済薬として重宝されたと伝えられます。また、安中散は駆虫作用(虫下し効果)もわずかにあるとされ、江戸時代には腹痛の原因であった寄生虫症にも多少効いたのではないかとも言われています。このように歴史的にも興味深い側面を持つ漢方薬です。
まとめ
以上、安中散(5)について解説しました。安中散は胃の不調に悩む方にとって心強い味方となる漢方薬です。適切な証にもとづいて服用すれば、つらい胃の症状改善に大いに役立つでしょう。
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。