茵蔯蒿湯の効果・適応症
茵蔯蒿湯(135)(いんちんこうとう)は、漢方の古典で黄疸(おうだん:皮膚や白目が黄色くなる症状)の治療薬として有名な処方です。主に肝臓や胆のうの炎症による黄疸に用いられ、現代でもウイルス性肝炎や胆石症による黄疸、肝硬変などに適応されます。特徴として、比較的体力があり、のどが渇くのに尿量が少なく、便秘傾向のある方の黄疸に効果的です。また、胸のあたりが張って苦しい胸脇苦満(きょうきょうくまん)といった症状を伴うこともあります。
この処方は体内の「湿熱(しつねつ)」を取り除く作用があり、皮膚や粘膜の炎症にも応用されます。例えば蕁麻疹(じんましん)や口内炎など、炎症により患部が赤く熱をもった状態にも使われることがあります。ただし、茵蔯蒿湯はあくまで患者さんの証(体質・症状のパターン)に合った場合に効果を発揮するため、黄疸以外の症状で使う際も、汗や尿の出方・体力など全身状態を見て処方されます。
茵蔯蒿湯がよく使われる疾患
茵蔯蒿湯は以下のような疾患・症状に対して用いられることがあります。それぞれ、患者さんの証が合致する場合に効果が期待できます。
- 黄疸(肝炎・胆石症など):皮膚や眼球の黄染。湿熱を除き、胆汁の流れを良くすることで黄疸を改善します。急性・慢性肝炎でのビリルビン上昇に用いることがあります。
- 肝硬変:腹水や浮腫を伴いやすい肝硬変の黄疸に。尿量を増やし、体内の余分な水分や熱をさばいて症状を和らげます。
- ネフローゼ症候群:むくみ・尿量減少など湿熱が関与する腎臓病の一部に応用されます。利尿作用によってむくみの改善を図ります。
- 蕁麻疹:比較的体力があり赤みが強い蕁麻疹に。体内の「毒」を冷まし、湿熱を取ることでかゆみ・発疹を鎮めます。
- 口内炎:繰り返す口内炎・舌の炎症に応用されることがあります。熱を冷まし炎症を和らげる作用で痛みを軽減します。
- 湿疹・アトピー性皮膚炎:皮膚がじゅくじゅくと湿って赤くなる湿疹に。近年、黄疸でなくても湿熱による皮膚炎(湿疹・アトピーなど)の改善に使われるケースがあります。皮膚の熱感や赤み、浸出液の多い場合に有効です。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
茵蔯蒿湯と似た症状・疾患に用いられる他の漢方処方もいくつかあり、患者様の状態に応じて使い分けが行われます。代表的な処方との比較ポイントを挙げます。
- 茵蔯五苓散(117):黄疸に使われる処方で、五苓散(17)に茵蔯蒿を加えた組み合わせです。茵蔯蒿湯と比べて利尿・水分調整作用が強く、むくみや胃内停水(胃に水が溜まる感じ)など水滞の症状がある黄疸に適します。逆に便秘や強い裏熱(体内のこもった熱)が目立たない場合はこちらが選ばれます。
- 越婢加朮湯(28):湿熱を取り除く別の処方です。全身から大量の発汗があるタイプの湿熱に使われ、腎炎や湿疹などむくみ・激しいかゆみを伴う場合に適します。茵蔯蒿湯が頭部のみ汗で体幹は無汗のケースに用いるのに対し、越婢加朮湯は全身的に汗が多いケースに向きます。黄疸様の症状(顔色がうっすら黄味を帯びる)を呈する湿疹などで、発汗過多・浮腫がある場合に茵蔯蒿湯との鑑別となります。
- 大柴胡湯(8):こちらも肝胆の炎症や胆石症、黄疸に用いられる処方です。体力が充実し胸脇苦満(みぞおちから脇腹の張り)が強く、便秘傾向の人に適しています。茵蔯蒿湯との違いは、柴胡という生薬を含み自律神経や気の巡りを整える点で、ストレスによる肝機能障害や胆石発作にも使われます。便秘がちで上腹部の張りが顕著な黄疸では大柴胡湯が選択されることもあります(茵蔯蒿湯は柴胡を含まず、水分代謝改善と熱除去が主体)。
- 竜胆瀉肝湯(76):泌尿生殖器の炎症や湿熱を取る代表処方です。下腹部(漢方でいう下焦)の熱を冷まし、排尿痛や陰部のただれ、帯下などに用いられます。茵蔯蒿湯と同様に実熱を冷ます作用がありますが、竜胆瀉肝湯は主に下半身の湿熱(膀胱炎や陰部湿疹など)に特化しています。黄疸というよりは、膀胱炎や尿の濁り、陰部湿疹で体力があり熱感が強い場合に使われ、茵蔯蒿湯がカバーする領域とは少し異なります。
これらの処方は症状が似ていても含まれる生薬や働きが異なるため、医師は患者様の細かな症状の違い(汗のかき方、腹部の張り具合、むくみの有無など)を見て処方を決定します。
副作用や証が合わない場合の症状
漢方薬も効果が高い反面、副作用や体質に合わない場合の症状に注意が必要です。茵蔯蒿湯の代表的な副作用・注意点は以下の通りです。
- 下痢・腹痛:配合生薬の大黄には緩下(便通を促す)作用があり、人によっては服用後にお腹が痛くなったり下痢を起こしたりすることがあります。特に処方量が多すぎた場合や胃腸が弱い方では顕著になるため、症状が強い場合は医師に相談してください。軽い軟便程度であれば薬効の現れとして問題ないこともありますが、水様性の激しい下痢が続く時は中止が必要です。
- 妊娠中の使用:大黄には子宮収縮を促す作用や骨盤内の充血を高める作用が報告されています。妊娠中に服用すると流産・早産のリスクを高める可能性があるため、妊婦への使用は避けるのが原則です。妊娠の可能性がある場合は必ず事前に医師と相談してください。
- 証に合わない場合の症状:茵蔯蒿湯は裏熱証(体内に熱がこもっている証)向けの薬です。そのため、もし患者様が脾胃の虚弱や体の冷え(裏寒)が強いタイプなのに誤って本処方を服用すると、かえって症状が悪化することがあります。具体的には、食欲不振や胃もたれ、下痢、体のだるさ・冷えなどが現れる可能性があります。このような場合は服用を中止し、医師に相談してください。
- 偽アルドステロン症の心配:漢方薬で注意すべき副作用の一つに偽アルドステロン症(低カリウム血症や高血圧、むくみ、筋力低下などを来す重篤な副作用)があります。これは甘草(カンゾウ)という生薬に含まれる成分によるものですが、茵蔯蒿湯には甘草が含まれていません。したがって、茵蔯蒿湯単独では偽アルドステロン症のリスクは基本的にありません。ただし、甘草を含む他の漢方薬と併用する場合や長期大量服用する場合は、念のため血圧や血中電解質の変化に注意しましょう。
併用禁忌・併用注意の薬剤
茵蔯蒿湯は比較的安全な漢方薬ですが、他の薬剤との併用により作用が強まりすぎたり、副作用リスクが高まることがあります。特に注意が必要な併用例を挙げます。
- 下剤・利尿剤との併用:茵蔯蒿湯に含まれる大黄の下剤作用や、茵蔯蒿・山梔子の利胆・利尿作用が、他の便秘薬や利尿薬と重なると効果が過剰になる恐れがあります。例えばセンナやピコスルファートなどの刺激性下剤、市販の漢方下剤(大黄甘草湯(84)など)との併用は下痢・腹痛を起こしやすくなるため注意が必要です。また、フロセミドなどの利尿薬と一緒に服用すると急激な水分・電解質喪失を招く可能性があります。併用する場合は医師の指示に従い、水分補給や体調の変化に注意してください。
- 心臓のお薬との併用:茵蔯蒿湯による下痢や利尿作用でカリウムが失われると、不整脈のリスクが高まることがあります。強心薬のジギタリス製剤などを服用中の方は、低カリウム血症になると副作用が出やすくなるため、茵蔯蒿湯の服用には慎重な判断が必要です。医師に現在服用中の薬を伝え、必要に応じて血液検査などで経過を観察します。
- その他の漢方薬との併用:他の漢方薬と一緒に服用する際は、配合生薬の重複に注意します。特に大黄や甘草を含む処方と茵蔯蒿湯を同時に使うときは、それぞれの生薬量の合計が多くなりすぎないよう留意されます。医師・薬剤師の指示のもと、安全な範囲で併用してください。
茵蔯蒿湯に含まれる生薬とその役割
茵蔯蒿湯はたった3種類の生薬から構成されています。シンプルな処方ですが、それぞれの生薬が明確な役割を持ち、組み合わさることで湿熱を効果的に取り除きます。
- 茵蔯蒿(インチンコウ):キク科のカワラヨモギ(またはヨモギ類)の幼植物です。本方の君薬(主役)で、強力な清熱利湿(熱を冷まし湿を除く)作用を持ちます。古くから「茵蔯(いんちん)は黄疸を治す要薬」とされ、肝・胆の熱を冷まし胆汁の排泄を促進することで黄疸を改善します。また、皮膚の湿熱をさばいて湿疹の赤みや痒みを和らげる働きもあります。
- 山梔子(サンシシ):アカネ科のクチナシの果実です。清熱瀉火(熱を瀉す=冷ます)と利湿に優れ、特に心胸部の熱やイライラを鎮め、尿から熱を排泄させる作用があります。茵蔯蒿湯では茵蔯蒿と共に体内の余分な熱を冷ましつつ、利胆作用によって胆汁のうっ滞を改善します。また、炎症によるほてり感や不眠傾向がある場合にも有効です。クチナシの色素により、生薬を煎じると鮮やかな黄色になるのも特徴です。
- 大黄(ダイオウ):タデ科のショウヨウダイオウなどの根茎で、生薬名は「だいおう」ですが食用のダイコンとは別物です。瀉下(下剤)作用を持ち、胃腸の余分な熱や滞った物質を排出させます。茵蔯蒿湯では、腸にこもった瘀熱(滞った熱)を取り除き、便通を促すことで身体に蓄積した「黄疸のもと」を外へ出す役割です。結果的に便が出ることで血中のビリルビン低下を助け、黄疸の改善につながります。なお、少量でも作用が強いため、用量には注意が必要な生薬です。
このように茵蔯蒿湯は、「茵蔯蒿+山梔子」で全身の熱と湿を尿に出し、「大黄」で腸から熱と滞りを排出するという二方向からのアプローチで湿熱を取り除きます。たった三味の処方ながら、上(尿)と下(便)から同時に体内の熱毒を取り去る絶妙な組み合わせになっています。
茵蔯蒿湯にまつわる豆知識
●歴史的背景と出典:茵蔯蒿湯は中国・漢代の医学書である『傷寒論』『金匱要略』に記載された由緒ある処方です。著者は漢方の祖といわれる医聖・張仲景(ちょうちゅうけい)で、西暦200年頃からこの薬が黄疸治療に用いられてきたことになります。当時から「陽黄(ようおう)」(体の熱が高く鮮やかな黄色になる黄疸)に対する第一選択薬として重宝され、日本の江戸時代の医師たちにも受け継がれてきました。
●生薬名の由来:処方名に冠されている茵蔯蒿(インチンコウ)という生薬名には興味深い逸話があります。中国では「三月茵陳、四月蒿」と言い、旧暦3月(春先)に芽吹いた若いヨモギを茵蔯と呼び薬用にしますが、4月以降に成長したものはただの蒿(ヨモギ)として薬効が落ちるとされます。**茵(しとね=敷物)**に使うほど柔らかい時期のヨモギが黄疸に効くという意味合いで、この名が付いたとも言われます。春に採取した茵蔯蒿は有効成分が豊富で、特に利胆・利尿作用が強いことが現代の分析でも示されています。
●味や飲み心地:茵蔯蒿湯を煎じた液は苦味が非常に強いのが特徴です。山梔子と大黄に含まれる苦味成分・渋味成分が前面に出るためで、初めて飲む患者様は「とても苦い!」と驚かれることがあります。ただ、その苦味こそが熱を冷まし、炎症を鎮める力のもとでもあります。現在はツムラなど各社からエキス顆粒剤が出ており、煎じ薬よりは服用しやすく改良されています(それでも若干の苦味は感じます)。どうしても飲みにくい場合は、水で薄めたり少量の蜂蜜を加えたりして服用する方法もあります。
●その他の豆知識:茵蔯蒿湯は古来より「黄疸の聖薬」と称され、多くの医師に用いられてきました。日本でも漢方医がウイルス性肝炎の黄疸に用いた記録があり、現代の研究では胆汁うっ滞性肝障害のモデル動物に茵蔯蒿湯を投与すると肝機能が改善したとの報告があります。また、中国では新生児黄疸の治療に茵蔯蒿や山梔子を含む「茵栀黄(いんしおう)」という漢方製剤が用いられることもあり、伝統の処方が形を変えて受け継がれています。こうしたエピソードからも、茵蔯蒿湯の有用性と奥深さを感じることができます。
まとめ
茵蔯蒿湯(135)は、肝臓・胆のう由来の黄疸をはじめ、湿熱による様々な症状に対応できる漢方処方です。ただし効果が高い分、適切な証にもとづいて使うことが大切で、体質に合わない場合は副作用に注意する必要があります。黄疸だけでなく皮膚疾患への応用など幅広い可能性を持つ一方、患者様一人ひとりの状態に合わせた細やかな処方選択が求められるお薬と言えるでしょう。
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。