啓脾湯(128)の効果・適応症
啓脾湯(128)は、胃腸の働きを高めて消化吸収を助ける漢方薬です。特に胃腸虚弱で食欲不振や下痢をしやすい方に適した処方です。体質的には痩せ型で顔色が悪く、食欲がなくて下痢傾向がある患者さんによく用いられます。胃腸の機能低下(いわゆる「脾胃気虚」という状態)を改善し、消化不良や慢性の下痢を緩和する効果があります。また、胃腸の炎症を鎮めつつ体力を補う働きもあり、弱った消化機能全般を立て直すのに役立ちます。適応症としては胃腸の弱い人の胃腸虚弱、慢性胃腸炎、消化不良、下痢などが挙げられます。
よくある疾患への効果
啓脾湯はさまざまな消化器症状に応用されます。具体的には次のような疾患・症状で効果が期待できます。
- 胃腸虚弱・慢性胃腸炎:体質的に胃腸が弱く、長期間お腹の調子が悪い場合や慢性的な胃腸炎による下痢・腹痛に用いられます。胃腸の粘膜を保護しつつ機能を高めることで、症状を緩和します。
- 消化不良・機能性ディスペプシア:食後に胃もたれや膨満感が生じる消化不良の症状に対して、胃の運動を促進し消化を助けます。食欲不振や胃の重苦しさなどを改善し、胃腸をスッキリ整えてくれます。
- 過敏性腸症候群(IBS)(下痢型):ストレスなどで繰り返す慢性的な下痢や腹痛にも用いられることがあります。腸の働きを調節し、水分の吸収を促すことで、IBSに伴う下痢を和らげお腹の調子を整えます。
- 胃下垂・消化機能低下:胃下垂などで胃の位置や動きが低下し、食後すぐに膨満感や消化不良を起こすような場合に効果的です。啓脾湯は胃腸の筋力を高め、消化管の運動機能を改善することで症状の軽減に寄与します。
- 食欲不振・体力低下:病後や高齢者で食欲がわかず体重減少や栄養不良が見られるケースにも使われます。胃腸を元気づけることで食欲を増進させ、栄養吸収を改善して全身の体力回復をサポートします。なお、小児の慢性的な消化不良(昔でいう疳症)に対して、食欲不振や下痢を改善する目的で応用されることもあります。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
啓脾湯と同じような胃腸症状に用いられる漢方薬は多数あります。それぞれ特徴が異なるため、患者さんの症状や体質に応じて使い分けます。ここでは代表的な処方をいくつか挙げ、その違いを比較します。
六君子湯(43)
六君子湯(43)は胃腸を元気づける代表処方で、食欲不振や胃のもたれに幅広く使われます。啓脾湯と同様に胃腸虚弱に用いますが、六君子湯には半夏や生姜などが含まれ、胃の膨満感や吐き気を鎮める効果が強いのが特徴です。一方、啓脾湯には山査子や蓮肉が含まれ下痢を止める作用があるため、下痢を伴う場合は啓脾湯が選択されます。逆に下痢がなく胃もたれ中心の症状であれば六君子湯の方が適しています。また、六君子湯は食欲増進目的で癌患者の支持療法などにも用いられることがありますが、啓脾湯はそこまで汎用されず、より特定の症状(消化不良+下痢)に絞って使われる印象です。
補中益気湯(41)
補中益気湯(41)は強力な補気作用を持つ処方で、極度の体力低下や内臓下垂に用いられます。胃腸虚弱による倦怠感や脱肛・胃下垂などの症状が顕著な場合には補中益気湯が適しています。黄耆や人参などが多く配合され、虚弱で食欲がなく常に疲れているような人の気力を大きく引き上げます。ただし補中益気湯は消化促進の生薬(山査子など)を含まないため、食後の胃の重さや食滞感がある場合には啓脾湯の方が向いています。つまり、全身の疲労感が強い場合は補中益気湯、消化不良や下痢が主体の場合は啓脾湯といった使い分けになります。場合によっては両者を段階的に用いることもあります。
平胃散(79)
平胃散(79)は胃に停滞した湿(余分な水分)や食べ過ぎによる消化不良を取る処方です。蒼朮や厚朴などが配合され、胃の膨満感や食欲不振、下痢に用いられますが、体力中等度以上の比較的実証の人に向いています。つまり、平胃散は胃もたれや下痢はあるものの体力はそれなりにある人に適し、原因が飲食の不摂生や湿邪による場合に効果的です。これに対し啓脾湯は体力が低下した虚証の人の消化不良・下痢に用いる点で異なります。平胃散では少し強すぎるような虚弱な方には、補益作用もある啓脾湯が選ばれるでしょう。
副作用と証が合わない場合の症状
漢方薬全般に言えることですが、証(患者さんの体質・症状のパターン)に合わない漢方を服用すると、効果が得られないばかりか副作用が出やすくなることがあります。啓脾湯(128)にもいくつか注意すべき副作用がありますので確認しておきましょう。
まず、本方に含まれる甘草(カンゾウ)という生薬による副作用です。甘草の成分には体内の電解質バランスを変化させる作用があり、長期多量服用や他の甘草含有薬との併用で偽アルドステロン症を引き起こすことがあります。偽アルドステロン症になると、血圧上昇やむくみ、低カリウム血症によるだるさ・筋力低下などが現れます。重症化すると手足のしびれやこわばり、脱力(低カリウム性ミオパチー)を生じることもあります。これらの症状は非常にまれですが、啓脾湯を含め甘草を含む漢方薬を服用中に「手足がつる」「力が入らない」「急に体重が増える」といった変化に気づいた場合は速やかに医師に相談してください。
そのほかの副作用としては、頻度は高くありませんが発疹・蕁麻疹などのアレルギー症状が報告されています。お腹の張りや食欲不振の悪化などが見られる場合も、体質に薬が合っていない可能性があります。このような症状に気づいた際も、すぐに服用を中止し担当医に相談してください。
幸い、啓脾湯は比較的穏やかな処方であり、証さえ合致していれば長期間でも副作用少なく服用できるケースが多いです。ただし証が合わない場合は、期待した効果が得られないばかりか上述のような不調を招くこともあります。服用開始後しばらく飲んでも症状の改善が見られないときは、無理に飲み続けず主治医に相談しましょう。患者様の証に合った他の漢方薬への変更が検討されることもあります。
併用禁忌・併用注意の薬剤
啓脾湯(128)には特定の併用禁忌(絶対に一緒に飲んではいけない薬剤)は知られていませんが、含有成分の作用から併用に注意が必要な薬剤があります。とくに甘草由来の偽アルドステロン症を防ぐため、以下のような薬剤との併用時は注意が必要です。
- 甘草を含む他の漢方薬:六君子湯(43)、補中益気湯(41)など多くの漢方薬に甘草が含まれています。複数の漢方を併用すると甘草の総量が増え、副作用リスクが高まるため注意が必要です。医師の指示なしに自己判断で漢方薬を重複して服用することは避けましょう。
- グリチルリチン酸含有製剤:甘草の有効成分グリチルリチン酸を含む西洋薬との併用も注意です。例えば慢性肝炎の治療に用いられる製剤(強力ネオ民富注射液など)や、一部の咳止めシロップ・去痰薬にはグリチルリチンが含まれます。これらと一緒に服用すると偽アルドステロン症のリスクが上乗せされる可能性があります。
- 利尿薬:フロセミドなどの利尿剤を使用中の方は、低カリウム血症に特に注意します。利尿薬自体がカリウム排泄を促進するため、啓脾湯と併用するとさらに血中カリウムが低下しやすくなります。必要に応じて血液検査で電解質をモニタリングし、副作用症状に留意してください。
- ステロイド剤(副腎皮質ホルモン):プレドニゾロンなどステロイド系のお薬も、長期使用で浮腫や低カリウム血症を起こすことがあります。啓脾湯と併用することでこうした作用が強まる可能性があるため、併用下では血圧や電解質の経過に注意します。
- 心不全の強心薬:ジギタリス製剤(ジゴキシン等)を服用中の方は、低カリウム状態になるとジギタリスの副作用(不整脈など)が出やすくなります。上述の利尿薬やステロイドとも関連しますが、啓脾湯服用中は電解質異常によりこれら強心薬の作用が過剰にならないよう注意が必要です。
以上のように、啓脾湯を服用する際には現在飲んでいるお薬を医師・薬剤師に伝え、相互作用の有無を確認してもらうことが大切です。処方医の管理下で適切に使用すれば大きな問題はありませんが、不安な場合は自己判断で併用せず専門家にご相談ください。
含まれている生薬とその組み合わせ
啓脾湯(128)は9種類の生薬から構成されています。それぞれが胃腸の調子を整えるための役割を持ち、組み合わせることで総合的な効果を発揮します。主な生薬とその働きは次の通りです。
- 人参(にんじん、高麗人参) – 胃腸の機能を高め、全身のエネルギー(気)を補います。消化吸収力を底上げし、食欲不振や倦怠感の改善に寄与します。
- 蒼朮(そうじゅつ) – アトラクチロデス(南朮)の根茎。脾(消化機能)を強くし、胃腸に溜まった余分な水分や湿気を取り除きます。胃腸を温めて働きを良くし、消化不良や腹部膨満感を改善します。
- 茯苓(ぶくりょう) – マツホドというキノコ由来の生薬。利尿作用で体内の水分バランスを整え、胃腸の余分な水分(湿)を除きます。脾を健やかにして消化吸収を助ける働きがあり、胃もたれやむくみの改善に役立ちます。
- 山薬(さんやく) – ヤマイモのこと。胃腸を補い、下痢を止める作用があります。滋養強壮効果も持ち、脾胃の機能低下を改善して体力回復を助けます。
- 蓮肉(れんにく) – ハスの種子(蓮の実)です。脾を補いつつ収斂作用(引き締める作用)によって下痢を止めます。胃腸の調子を整え、食欲不振や下痢の両方にアプローチします。
- 山査子(さんざし) – サンザシの果実。消化薬であり、特に脂っこいものや肉類の消化を促進します。食べ過ぎや胃もたれを解消し、食欲増進にも有効です。胃腸の停滞感を取り除く役割を担います。
- 陳皮(ちんぴ) – ミカンの皮を乾燥させた生薬。胃の気の巡り(気滞)を改善し、胃もたれや吐き気、ゲップなどを和らげます。また、胃腸の湿気を飛ばす作用もあり、消化をスムーズにします。
- 沢瀉(たくしゃ) – サジオモダカの根茎。利尿作用によって体内の余分な水分を排出し、水分代謝を高めます。脾の弱りで生じたむくみや水っぽい下痢を改善し、胃腸の水はけを良くする働きがあります。
- 甘草(かんぞう) – 甘みのある生薬で、調和薬として配合されています。他の生薬の作用を丸くまとめ、胃腸を保護する作用があります。炎症を鎮める効果もあり、胃痛や喉の痛みなどを和らげる働きも期待できます(ただし前述のように大量摂取には注意)。
これらの生薬がバランス良く組み合わさることで、胃腸を元気づけつつ余分な湿を取り除き、食べ物の消化吸収を促進して下痢を改善するという多面的な効果を発揮します。例えば、人参・蒼朮・茯苓・甘草の組み合わせは古来「四君子湯」と呼ばれる基本の補胃腸処方で、これに消化を助ける山査子・陳皮、下痢止めの山薬・蓮肉、利水の沢瀉が加わることで、弱った胃腸を立て直しつつ滞った飲食物を捌き、余分な水分を捨て去るという総合的な働きが実現しているのです。
啓脾湯にまつわる豆知識
最後に、啓脾湯に関する興味深いトリビアや歴史的背景を紹介します。
●処方名の由来と歴史: 「啓脾湯」という名前には「脾(ひ)を啓(ひら)く」、すなわち「胃腸の働きを開いて良くする」という意味が込められています。実際、胃腸の機能を目覚めさせるような働きをする処方です。啓脾湯は中国の明代に書かれた医書『万病回春』(1587年刊行)に初めて登場した処方で、当時は丸薬(啓脾丸)として用いられていました。江戸時代には日本にも伝わり、現在のツムラ処方番号128番として医療用漢方製剤に採用されています。
●小児の疳積にも用いられた: 中国では古くから、食欲不振で痩せこける小児の慢性消化不良症状(疳積と呼ばれる)に対して啓脾湯(当時は丸剤)が用いられてきました。子供の消化機能を高め栄養状態を改善する目的で処方された歴史があり、現在でも小児科領域で応用されることがあります。お腹を温めて健やかにする穏やかな薬であるため、小児から高齢者まで幅広い年代に使えるのも特徴です。
●生薬にまつわる話あれこれ: 啓脾湯に入っている生薬の中には、日常的に食品として親しまれているものもあります。例えば山査子(サンザシ)はバラ科の果実で、そのまま乾燥させて漢方薬に使いますが、中国では砂糖漬けや餅状のお菓子(山査子のキャンディや山楂餅)としても古くから食べられています。消化を助ける果実として食後に楽しむ習慣もあり、胃もたれ予防のおやつだったわけですね。また蓮の実(蓮肉)は中華圏で蓮子羹などデザートの素材にもなっており、滋養強壮に良い食材です。こうした生薬由来の食品を見ると、啓脾湯の処方が「食べて治す」発想にも通じる面白さがあります。
●啓脾湯の風味: 啓脾湯を煎じたときの味は、ほんのり甘酸っぱさを感じるのが特徴です。山査子や陳皮が入っている影響でやや酸味・苦味がありますが、甘草の甘みも加わるため、全体としてまろやかな風味です。決して飲みにくい味ではなく、「少し酸味のある薬湯」といった印象でしょう。市販のエキス顆粒剤でも若干酸味が感じられるので、「あ、この酸っぱい感じはサンザシが入っているからなんだな」と生薬に思いを馳せながら服用すると漢方らしさを味わえるかもしれません。
まとめ
以上、胃腸を元気にする漢方薬・啓脾湯について解説しました。消化器のトラブルでお悩みの方には、一つの選択肢となり得る処方です。
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。