温経湯の効果、適応症
温経湯(うんけいとう)は、主に婦人科系の不調に用いられる漢方薬のひとつです。体を内側から温めて血行を良くし、血(けつ:血液のこと)の巡りを整える処方で、冷えによる生理不順や月経痛、不妊症、更年期の不調などによく使われます。特に下腹部が冷える方、貧血気味で顔色が優れない方、手足は冷えるのに手のひらはほてるような方(いわゆる「陰陽両虚(いんようりょうきょ)」と呼ばれる状態)に適しています。口唇の乾燥や肌のカサつきが見られる場合にも効果的とされ、身体を温めながら不足した潤いも補う特徴があります。
温経湯は古くから「子宮を温める漢方薬」として知られ、東洋医学では「瘀血(おけつ)」(古い血の滞り)と「血虚(けっきょ)」(血の不足)を改善することで女性特有の症状を和らげると考えられてきました。適応となる代表的な症状・体質は次のとおりです。
- 月経不順・月経困難症:生理周期が不規則で来たり来なかったりする、経血量が少ないまたは多すぎる、経血に塊が混じる、生理痛がひどい、といった場合。
- 不妊症:冷え性で基礎体温が低め、排卵障害や黄体機能不全があり月経周期が乱れがちな場合。
- 更年期の症状:更年期に入りホルモンバランスの乱れから、ほてりと冷えが混在し、のぼせる一方で手足が冷える、月経が乱れがち、といった場合。
- その他の婦人科系の不調:慢性的な下腹部の痛みや違和感、産後の体調不良(悪露がだらだらと続く場合)など、冷えと血行不良が関与している症状。
このように、温経湯は「冷え」と「血の不足」が絡んだ婦人科症状に幅広く適応されます。個々の患者様の体質(証)を見極めて用いることで、体を内側から温めつつ血液循環を改善し、生理機能を正常化する効果が期待できます。
よくある疾患への効果
月経不順(生理不順)
月経不順とは、生理の周期や持続日数、経血量が安定しない状態です。例えば生理が数ヶ月来ない状態や、逆に頻繁に少量の出血が続く状態などが含まれます。温経湯は、こうした月経不順の改善によく用いられます。体を温めて血行を促進し、子宮を取り巻く血流を改善することでホルモンバランスを整え、生理周期を正常化させると考えられています。
実際に、冷え性で貧血傾向のある方が温経湯を服用することで、滞っていた月経が再び順調に来るようになったケースがあります。子宮への血流が増すことで卵巣や子宮の働きが活発になり、月経が予定通りに来やすくなるのです。また、温経湯には潤いを補う生薬(麦門冬・阿膠など)も含まれるため、経血量が極端に少ない、経血が粘り気なくサラサラし過ぎているといった乾燥傾向のある月経にも有効です。
ただし月経不順にも原因はさまざまで、体質によっては別の漢方薬が適する場合もあります。例えばストレスによる月経不順では、温経湯よりも加味逍遙散などの方が効果的なケースもあります。温経湯は冷えと血行不良が主因の月経不調に適した処方であり、症状に合わせた見極めが重要です。
月経困難症(生理痛)
月経困難症は、いわゆる生理痛が強く日常生活に支障をきたす状態です。下腹部の激しい痛みや腰痛、吐き気、頭痛などを伴うこともあります。温経湯は冷えによって生理痛が悪化するタイプの月経困難症に効果が期待できます。
具体的には「お腹や腰を温めると痛みが和らぐ」「経血に塊(血の塊)が混ざり、排出されると痛みが軽減する」といった特徴がある場合、温経湯の適応と考えられます。温経湯は体を内側から温めることで子宮の血行を良くし、経血をスムーズに排出させる働きがあります。その結果、子宮の収縮が穏やかになり、月経中の下腹部痛や腰の重だるさが和らぎます。
患者様からは「温経湯を飲み始めてから、生理中にカイロを貼らなくても過ごせるようになった」「痛み止めの服用回数が減った」という声もあります。ただし、子宮内膜症や子宮筋腫など器質的な原因で痛みが生じている場合は、温経湯だけでなく病態に即した治療が必要です。そのようなケースでは、桂枝茯苓丸(25)など瘀血を散らす力が強い処方を用いることもあります。温経湯は、特に冷えによる血行不良が痛みの主因となっている生理痛に有効な漢方薬です。
不妊症
不妊症(妊娠しづらい状態)の漢方治療においても、温経湯は重要な選択肢の一つです。東洋医学では子宮や卵巣の冷え込みや血不足が妊娠しにくさに繋がると考え、温経湯によって子宮を温めながら血を補い、受胎環境を整えることを目指します。
例えば、基礎体温が低めで高温期(黄体期)にしっかり体温が上がらない方、排卵が不規則な方、月経周期が安定せずタイミングが取りづらい方などに温経湯が用いられることがあります。温経湯は骨盤内臓器への血流を増やし、子宮内膜の状態を改善するとされるため、着床しやすい環境づくりに寄与します。また、冷え症の方では子宮への血行不足が解消されることで卵巣機能が活発化し、排卵障害の改善につながる可能性があります。
臨床的にも「温経湯を服用して冷え性が改善した結果、月経周期が整い妊娠に至った」という報告があります。ただし、不妊の原因は多岐にわたり、すべての不妊症に温経湯が万能というわけではありません。甲状腺機能や男性側の要因など、漢方では対応しきれない場合もあります。また、温経湯に限らず妊娠が判明した時点で血の巡りを良くする漢方薬の服用は中止する必要があります(後述します)。不妊治療に漢方を併用する際は、専門医の指導のもと安全に進めることが大切です。
更年期障害
更年期障害の症状緩和にも、温経湯が役立つケースがあります。更年期の女性はエストロゲン低下に伴い自律神経の乱れや血行不良が生じやすく、「ほてり(のぼせ)と冷え」が同時に起こることがあります。例えば顔や上半身はカッと熱くなるのに、下半身や足先は冷たいといったアンバランスな状態です。温経湯は、このような上半身のぼせ・下半身の冷えを調整する処方として用いられます。
温経湯に含まれる桂皮や呉茱萸が体の下部を温め血流を促すことで冷え症状を改善し、同時に当帰や芍薬が血を補うことでホルモン低下による不調を緩和します。また、牡丹皮や麦門冬がほてり感や口渇などの虚熱(きょねつ:体力低下によるほてり)症状を抑えるため、更年期特有のホットフラッシュや発汗のコントロールにも有用です。
更年期の漢方治療では、他にも**加味逍遙散(24)や八味地黄丸(7)**など体質に応じた処方選択があります。イライラや不眠が主症状の方には加味逍遙散を、むくみや尿トラブルを伴う方には八味地黄丸を、といった使い分けがされます。その中で温経湯は、冷えを伴う更年期症状全般をバランスよく改善する処方として位置付けられます。「更年期に入ってから急に手足が冷えるようになった」「月経は乱れているが汗はあまりかかず、どちらかというと乾燥する」といった場合に、温経湯が適することが多いです。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
女性の月経不順や月経痛の症状には、温経湯以外にも複数の漢方薬が用いられます。それぞれ症状や体質の違いによって処方を使い分けることが大切です。ここでは、温経湯と比較されることの多い処方をいくつかご紹介します。
当帰芍薬散(23)
当帰芍薬散(23)(とうきしゃくやくさん)は、貧血気味で冷えがあるが、むくみやすい体質の女性によく用いられる処方です。6種の生薬(当帰・川芎・芍薬・茯苓・白朮・沢瀉)から成り、血を補いながら余分な水分を排出して体を温める働きがあります。妊娠中のむくみや腹痛の予防薬として古くから有名で、婦人科では「妊娠中でも飲める貧血・冷え改善薬」として重宝されてきました。
温経湯との違いは、当帰芍薬散が「水滞(すいたい):水分代謝の滞り」を改善する点にあります。当帰芍薬散はどちらかというとぽっちゃり体型でむくみがちな虚弱体質に向き、顔色が青白くめまいや立ちくらみを起こしやすい人に適します。一方、温経湯はむくみよりも乾燥やほてりを伴う冷え性に焦点を当てた処方です。例えば、同じ生理不順でも足のむくみやすい人には当帰芍薬散、唇の乾燥が気になる人には温経湯というように使い分けます。また、当帰芍薬散は妊娠中にも用いられますが、温経湯は牡丹皮など活血薬(血の巡りを良くする生薬)を含むため妊娠が判明したら服用中止となります。このように、体質と状況に合わせて選択されます。
加味逍遙散(24)
加味逍遙散(24)(かみしょうようさん)は、精神的ストレスやホルモンバランスの乱れによる症状に広く使われる漢方薬です。イライラ、不安、不眠、のぼせ、ほてり、肩こりなど、いわゆる「PMS(月経前症候群)」や更年期障害の代表的な処方として知られています。体質的には比較的体力があり、怒りっぽい・ほてりやすい傾向の方に向いており、肝臓の解毒作用を助ける生薬(柴胡・牡丹皮など)や鎮静作用のある生薬(釣藤鈎など)を含みます。
温経湯との違いは、加味逍遙散が「肝気鬱結(かんきうっけつ):ストレスによる気の停滞」や「熱症状」の改善を重視している点です。加味逍遙散には身体を冷ます生薬(牡丹皮、山梔子)が含まれるため、のぼせやすく顔色が赤い人には適しています。しかし、手足の冷えが強い人や極端に体力が落ちている人には薬効がマイルドすぎることがあります。逆に温経湯は冷えを取ることに優れていますが、精神神経症状(イライラや抑うつ)への直接的な効果は加味逍遙散に比べて穏やかです。そのため、ストレスが主因の月経不順なら加味逍遙散、冷えが主因の月経不順なら温経湯というように、原因に応じて処方を選び分けます。両者は更年期の治療でも併用されることがありますが、その場合も専門家が症状の出方を見極めながら調整します。
桂枝茯苓丸(25)
桂枝茯苓丸(25)(けいしぶくりょうがん)は、下腹部における瘀血(血行不良のかたまり)を改善する代表的な漢方薬です。比較的体力があり、下腹部に触れると塊状の抵抗(腹部の凝り)を感じるような体質の女性に用いられます。子宮筋腫や子宮内膜症など婦人科系の腫瘤(しゅりゅう)にも処方されることが多く、慢性的な生理痛や月経不順、更年期の症状改善に幅広く用いられています。
温経湯との違いは、桂枝茯苓丸の方が「瘀血」を直接取り除く力が強い点です。桂枝茯苓丸には桃仁や牡丹皮といった強力な駆瘀血薬が含まれ、子宮筋腫による過多月経や慢性的な骨盤痛など、明確に血の滞りが原因の症状に適します。一方、温経湯は瘀血を改善する生薬も含みますが(牡丹皮や川芎など)、その作用は穏やかでどちらかといえば体を温めて貧血を改善することに重きが置かれています。例えば、生理痛に塊が多く見られ子宮に腫れ物が疑われる場合は桂枝茯苓丸を優先し、そこまで瘀血が強くなく冷えと血虚が主体であれば温経湯を使う、という判断になります。
また、桂枝茯苓丸は比較的「実証」(体力が充実したタイプ)向きであるのに対し、温経湯は「虚証」(体力不足なタイプ)向きとも言われます。虚弱な方に桂枝茯苓丸を用いると負担が大きい場合がありますし、逆に丈夫な方に温経湯では力不足な場合があります。患者様一人ひとりの体力・体質を考慮して、これらの処方は使い分けられています。
副作用や証が合わない場合の症状
温経湯は比較的マイルドな処方ですが、体質に合わない場合や長期間・大量に服用した場合、副作用が現れる可能性があります。
- 消化器症状:食欲不振・胃もたれ・吐き気・下痢など。温める作用のある生薬(桂皮や呉茱萸、生姜など)は、本来胃腸を助けますが、人によっては刺激となる場合があります。とくに胃弱の方は注意が必要です。服用中に強い胃の不快感や下痢が続く場合は、いったん服用を中止し医師に相談してください。
- 皮膚症状:発疹、かゆみ、蕁麻疹(じんましん)などのアレルギー反応がまれに起こることがあります。服用後に皮膚の異常(赤みやかゆみ)が見られた際も、早めに医療機関へご相談ください。体質的に漢方薬でかぶれやすい方は、初めは少量から試すなど慎重な対応が望ましいです。
- 重篤な副作用:温経湯には甘草(カンゾウ)が含まれます。甘草に含まれるグリチルリチンという成分は、長期大量服用や他の甘草含有製品との併用により、偽アルドステロン症(低カリウム血症を伴う筋力低下や高血圧、むくみ)を引き起こすおそれがあります。実際に「漢方を長期間服用していたら力が抜ける感じがした、血圧が上がった」といったケースでは甘草の影響が疑われます。温経湯服用中に手足のむくみが強く出る、脱力感や血圧上昇がみられるといった場合は、すみやかに専門医に相談してください。
また 体質(証)が合わない場合、十分な効果が得られないばかりか症状が悪化することがあります。例えば体内の陰液が不足している陰虚(いんきょ)の方や、実熱(じつねつ:はっきりした体のほてり)がある方に温経湯を用いると、かえってのぼせや口の渇きが増すことがあります。そのため、「のぼせが強い」「乾燥感が強く冷えはあまりない」タイプの婦人科症状には適さない処方です。このような場合には別の漢方薬(例:ほてりが強ければ当帰芍薬散や加味逍遙散、乾燥感が強ければ潤いを補う婦宝当帰膠など)が検討されます。
さらに、明確な瘀血の塊(しこり)がある場合も温経湯では改善が不十分なことがあります。前述のように、その場合は桂枝茯苓丸など他の処方へ切り替えることが大切です。漢方薬は証に合ってこそ効果を発揮するものですので、症状の陰に隠れた体質傾向を見極める必要があります。
併用禁忌・併用注意な薬剤
温経湯には麻黄や附子のような刺激の強い生薬は含まれておらず、絶対的な併用禁忌薬は比較的少ないとされています。ただし、以下のような場合には併用に注意が必要です。
- 利尿薬や副腎皮質ステロイド剤との併用:温経湯に含まれる甘草の作用により、利尿薬(例:フロセミドなどループ利尿剤)やステロイド剤(プレドニゾロン等)と一緒に服用すると血液中のカリウムが失われやすくなる可能性があります。カリウム低下は筋力低下や不整脈を招くリスクがあるため、これらの薬剤を服用中の方は、漢方併用について必ず主治医と相談し、定期的に血液検査で電解質のチェックを受けるようにしてください。
- 強心薬(ジギタリス製剤)や降圧薬との併用:温経湯の服用によって体内の水分バランスが変化し、浮腫の改善や血圧変動が起こることがあります。強心薬(ジゴキシン等)を使用中の場合、低カリウム血症に伴い薬の作用が強まる可能性があるため特に注意が必要です。また降圧薬を服用中の方は、漢方開始後の血圧変化に留意し、必要に応じて主治医に経過を報告してください。体調の変化によっては西洋薬の調整が必要になる場合もあります。
- 抗凝血薬(抗血栓薬)との併用:温経湯に含まれる当帰や牡丹皮などの生薬には、血液の流れに影響を及ぼす可能性が指摘されています。ワルファリンなど抗凝固薬を服用中の方が温経湯を併用する際は、PT-INRなど血液凝固能の定期検査を受けるなど、慎重な経過観察が望まれます。場合によっては漢方薬側の量調節や休薬を検討することもあります。
- その他の漢方薬・サプリメント等との併用:温経湯と作用や構成が似た漢方薬を併用すると、生薬成分が重複し副作用リスクが高まる可能性があります。例えば、甘草を含む他の漢方薬(例:小柴胡湯など)や、川芎・当帰を含む婦人薬(例:婦人宝など)と長期併用する際は総甘草量・総駆瘀血薬量に注意します。また、市販のサプリメントでもニンジン(高麗人参)や生姜など温経湯と共通する成分を含むものがあります。同じ成分の過剰摂取とならないよう、心配な場合は医師・薬剤師に相談しましょう。
- 妊娠中の服用:薬剤に関してではありませんが重要な注意点として、温経湯は妊娠中の使用が推奨されません。牡丹皮や川芎など活血作用のある生薬が含まれるため、妊娠が成立した後も服用を続けると流産につながる恐れがあります。実際には、妊活中に温経湯を服用して妊娠に至った場合、判明次第ただちに中止し安胎目的の処方等へ切り替えるのが一般的です。安全のため、妊娠の可能性がある段階で温経湯を服用している方は、こまめに妊娠検査を行い、妊娠が分かった時点で必ず医師に報告してください。
以上のように、温経湯は比較的安全な漢方薬ではありますが、他の医薬品との相互作用や特殊な状況下では注意が必要です。複数の薬を服用している場合や持病がある場合は、漢方薬といえど自己判断で開始・中止せず、専門家に相談しましょう。
含まれている生薬の組み合わせ、なぜその生薬が選ばれているか
温経湯は、その名の通り体を「温め経脈を通す」ための生薬を中心に、全部で12種類の生薬を組み合わせて作られています。構成生薬は以下のとおりです。
半夏(ハンゲ)、麦門冬(バクモンドウ)、当帰(トウキ)、川芎(センキュウ)、芍薬(シャクヤク)、人参(ニンジン)、桂皮(ケイヒ)、牡丹皮(ボタンピ)、甘草(カンゾウ)、生姜(ショウキョウ)、呉茱萸(ゴシュユ)、阿膠(アキョウ)
温経湯の処方構成は、女性の冷え症や血行不良を改善するために多方面からアプローチするよう設計されています。それぞれの生薬(またはグループ)の役割を簡単に解説します。
- 血を補い巡らせる生薬(当帰・芍薬・川芎・阿膠)
当帰、芍薬、川芎はいずれも婦人薬の要とされる生薬で、いわゆる「四物湯(しもつとう)」の構成要素です。当帰は血を補いながら血行を促進し、月経痛を和らげる作用があります。芍薬は血を補って筋肉のこわばりを緩め(鎮痙作用)、生理痛や腹痛を和らげます。川芎は血の巡りを良くし、頭痛や月経痛の原因となる瘀血を散らす働きがあります。阿膠(アキョウ)はロバの皮から作られたゼラチン質で、強力に補血・止血し、乾燥を潤す生薬です。これらの生薬によって不足していた血が補われ、子宮をはじめ全身に栄養が行き渡るようになります。血が充足すると体は温まりやすくなるため、冷え症そのものの改善にもつながります。
- 体を温め冷えを除く生薬(桂皮・呉茱萸・生姜)
桂皮(けいひ)はシナモンの樹皮で、血行を促しつつ体を芯から温める作用に優れます。呉茱萸(ごしゅゆ)はミカン科の果実で強い温め作用を持ち、特に下腹部の冷えや下痢傾向を改善します。生姜(しょうきょう)は体を温め発汗を促すとともに、胃腸を整える働きがあります。温経湯ではこれらの生薬が冷えによる痛みや機能低下を改善します。下腹部を温めて子宮の血行を良くし、生理痛を和らげたり月経を起こしやすくしたりします。また、冷えによる胃腸機能の低下(食欲不振や下痢)を是正し、全身の新陳代謝を高める効果もあります。桂皮・呉茱萸・生姜の組み合わせにより、「冷えを追い出し血を巡らせる」という温経湯の根幹が支えられています。
- 潤いを補う生薬(麦門冬)
麦門冬(ばくもんどう)はユリ科ジャノヒゲの根で、体の陰液(いんえき:潤い)を補う作用があります。喉や皮膚の乾燥を潤し、乾いた咳などを鎮める生薬ですが、温経湯では唇や皮膚の乾燥、ほてり感といった「血の不足による乾燥症状」を和らげる目的で配合されています。温める生薬が多い処方では、体内の潤いが消耗し過ぎないようバランスを取ることが重要です。麦門冬の潤す力のおかげで、温経湯は温めつつも喉の渇きやほてりを悪化させにくい処方となっています。実際、陰虚の方に温経湯を使ってものぼせがひどくならないよう配慮された古方の知恵と言えるでしょう。
- 血の滞りを除く生薬(牡丹皮)
牡丹皮(ぼたんぴ)はボタンの根皮で、血を巡らせつつ余分な熱を冷ます作用があります。婦人科では桂枝茯苓丸など瘀血を散らす処方によく含まれる生薬です。温経湯では、当帰・川芎など補血剤だけでは捌ききれない古い血の滞り(瘀血)を解消する役割を担います。牡丹皮自体に清熱作用(炎症やほてりを冷ます作用)もあるため、温経湯の対象となる「虚熱(体力低下に伴うほてり)」を適度に鎮める効果も期待できます。これにより、温める生薬が入っていながらものぼせの副作用を出にくくしているのです。まとめると牡丹皮は、温経湯において「瘀血を取り、熱をさまし、血流をスムーズにする」裏方として重要な生薬です。
- 気を補い胃腸を整える生薬(人参・甘草・半夏)
人参(にんじん)は高麗人参とも呼ばれるウコギ科の生薬で、気(き:エネルギー)を補い五臓の働きを高める代表的な補剤です。温経湯では、血を補う当帰や阿膠の効果を底支えし、全身の代謝を上げるために使われています。甘草(かんぞう)は調和の要薬で、他の生薬の効能を調節し、胃腸への負担を和らげ、さらに解毒作用もあります。半夏(はんげ)はカラスビシャクの塊茎で、痰湿を取り除き嘔気を鎮める作用があり、温経湯では胃腸の機能を整え生薬の消化吸収を助ける目的で配合されています。特に、温経湯には阿膠のような粘性の高い生薬や、呉茱萸のような刺激の強い生薬が含まれるため、半夏と生姜でそれらの副作用(吐き気など)を抑えていると考えられます。人参・甘草・半夏の組み合わせにより、温経湯は虚弱な方でも胃もたれしにくく、エネルギーを補いながら作用する処方となっています。
以上のように、温経湯は補気・補血・温陽・活血・滋陰といった複数の作用をバランス良く備えた処方です。血を増やし巡らせることで冷えを改善し、体を温めながら潤いも補給するため、冷えによる婦人科症状を総合的にケアできるよう工夫されています。それぞれの生薬が互いの長所を引き出し短所を補い合うことで、単独の生薬では得られない高い効果と安全性を両立している点は、漢方処方ならではの特徴と言えるでしょう。
温経湯にまつわる豆知識
- 名前の由来:「温経湯(うんけいとう)」という名前は、文字通り**「経脈(けいみゃく)を温める湯」**に由来します。この「経(けい)」とは経絡(けいらく)という体内エネルギーの通り道を指しますが、女性の場合は月経(生理)の意味も掛け合わせてあります。つまり「体の通り道と月経を温め整えるお薬」という意味が込められているのです。子宮や下腹部の冷えを取り、月経を順調にする処方であることを名前が表しています。
- 歴史と出典:温経湯は中国の古典医学書『金匱要略(きんきようりゃく)』に収載されている処方です。3世紀頃の医聖・張仲景(ちょうちゅうけい)が著したもので、婦人科を含む様々な病の治療法が記載されています。原典では、50歳前後の婦人が流産の後遺症で下痢や発熱、下腹部の緊張・乾燥に悩まされているケースに対し、温経湯を用いて治療した記録があります。また「婦人少腹冷えて久しく胎を宿さず(子宮が冷えて長らく妊娠できない)」場合や「月経不順、経血が多すぎたり来なかったりする」場合の治療薬としても記されています。時代を経て日本に伝来し、江戸時代の漢方医も子宮の虚寒(きょかん:子宮が冷えて弱っている状態)による諸症状に温経湯を盛んに用いました。現在でも医療用エキス製剤のツムラ106番として処方されており、古典から現代まで約1800年ものあいだ婦人科領域で使用され続けている処方です。
- 他の処方との関係:温経湯の組成は、実は複数の漢方方剤の要素を組み合わせたような構造をしています。例えば、当帰・川芎・芍薬・阿膠は「四物湯」に通じる補血剤の組み合わせで、牡丹皮・桂皮・呉茱萸は「桂枝茯苓丸」や「当帰四逆加呉茱萸生姜湯」に通じる温経散寒・活血剤の組み合わせです。さらに麦門冬は「麦門冬湯」に見られる滋陰剤です。このように、古来有名な処方のエッセンスを取り入れ、一つの処方に融合させている点が温経湯の特徴です。とはいえ、単なる足し算ではなく巧みな調整がされています。古い注釈書には「下腹部に癥塊(しこり)がある場合は桂枝茯苓丸を、さらに症状が重い場合は桃核承気湯を用いるべし」という記載があり、温経湯はあくまで**「虚証寄りで瘀血は中程度以下」のケースに適する処方**であることが示唆されています。この柔軟な発想は漢方の奥深い点であり、症例に応じて処方を組み合わせ応用する好例と言えるでしょう。
- 生薬にまつわる豆知識:温経湯に含まれる生薬には興味深いエピソードが多くあります。中でも阿膠(あきょう)は、古来より婦人の妙薬として珍重されてきました。阿膠はロバ由来の生薬ですが、ロバは妊娠期間が人間より長く(約14〜15か月)胎児を保持する力が強い動物と考えられていました。そのため「阿膠を服用すると女性の体が丈夫になり、胎を守れるようになる」と信じられたのです。中国の歴史ドラマでは、皇后や妃が皇子を授かるために阿膠を献上されるシーンが登場することもあります。また、呉茱萸(ごしゅゆ)は大変辛烈な生薬で、多量に服用すると頭痛や眩暈を起こすことがあります。しかし温経湯ではバランスよく配合され、副作用なくその温め効果を発揮できるよう工夫されています(生姜・甘草・半夏が呉茱萸の刺激を緩和しています)。このように、生薬それぞれの特性を熟知した上で組み合わせている点に、漢方処方の知恵が感じられます。
- 温経湯の現代での位置づけ:現在の漢方治療において、温経湯は婦人科漢方の中堅処方といった位置付けです。当帰芍薬散や桂枝茯苓丸ほどメジャーではないものの、体質に合えば非常に有用です。特に西洋医学で原因が特定しづらい冷え症や不定愁訴に対し、温経湯が奏効するケースがあります。一方で、温経湯は体力中等度以下の方向きとされるため、処方経験の浅い医師の中には使用を敬遠する方もいるようです。しかし実際には、基本さえ押さえれば決して難しい処方ではなく、むしろ更年期から若年女性まで幅広く使える処方です。患者様自身も、温経湯の狙い(冷えを取り血を増やすこと)を理解することで治療に前向きに取り組みやすくなるでしょう。
まとめ
温経湯は、体内の冷えと血行不良によって生じる婦人科系の症状に適した漢方薬です。身体を内側から温めながら不足した血や潤いを補い、経絡の巡りを良くすることで、月経不順や生理痛、不妊症、更年期障害などの改善が期待できます。比較的副作用の少ない処方とされていますが、長期服用時や他の医薬品との併用時には注意が必要です。また、証(しょう)=体質に合わない場合は効果が出にくいため、専門家による証の見立てが重要になります。
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。