柴陥湯の効果・適応症
柴陥湯(さいかんとう)(ツムラ73番)は、「小柴胡湯(9)」に「黄連」と「栝楼仁」を加えた処方です。激しい咳が出て痰(たん)が切れにくく、咳をすると胸や脇腹が痛むような症状に効果があります。気管支の炎症をしずめ、胸部の詰まりを改善する働きがあり、漢方の理論では少陽の部分(体の中間部位)の調整と痰熱を除く作用を持つとされています。適応となるのは体力中等度以上の比較的しっかりした体質の方で、発作的な強い咳や胸の苦しさを訴える場合です。胸やみぞおちのあたりに圧迫感や張り(痞え)があり、食欲不振や口の中の苦みを伴うこともあります。
よくある疾患への効果
柴陥湯は主に呼吸器の症状に用いられ、次のような疾患で証が合う場合に処方されます。
- 気管支炎(急性・慢性):激しい咳込みや粘りのある痰を伴う気管支炎に効果的です。炎症を鎮め、痰を出しやすくすることで咳を和らげます。
- 気管支喘息:咳が中心で痰がからみ、発作時に胸や背中の痛みを感じるタイプの喘息に用いられます。ただし、ゼーゼーとした喘鳴が強い場合は別の処方を検討します。
- 肋膜炎:咳や深呼吸で肋骨周辺が痛むような胸膜の炎症(肋膜炎)に用いることがあります。胸痛を和らげ、炎症による胸の圧迫感を改善します。
- かぜ後の長引く咳:風邪自体は治ったのに咳だけが何週間も残り、痰が切れず胸が苦しいといった“しつこい咳”に適しています。特に、風邪の後半に食欲低下や胸脇の違和感を伴うようなケースに有効です。
これらの疾患以外でも、たとえば肺炎のあとに咳と胸の違和感が残る場合や、感染後咳嗽(感染症の治癒後に続く咳)などで柴陥湯が用いられることがあります。いずれも症状だけでなく患者さんの体質や証に合わせて使われる点が重要です。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
激しい咳や痰、胸の症状に対しては柴陥湯以外にもさまざまな漢方薬があります。それぞれ得意とする証や症状が異なるため、以下のように使い分けられます。
- 小柴胡湯(9):柴陥湯のベースとなった処方です。胸脇苦満(きょうきょうくまん:胸からみぞおちにかけて張った感じ)や微熱、食欲不振など少陽病の症状に用いられますが、柴陥湯ほど咳や痰、胸痛が強くない場合に使われます。長引く風邪の中頃から後期にかけて広く使われる処方です。
- 小青竜湯(19):水っぽいサラサラした痰や鼻水を伴う咳に用いる処方です。寒冷な環境やアレルギーで出るようなクシャミ・鼻水・咳に適し、気管支喘息でも冷えやアレルギー体質の咳に使います。粘液が多く熱をもった痰の柴陥湯とは異なり、水分代謝異常による湿った咳に向いています。
- 麻杏甘石湯(55):気管支炎や肺炎で高熱を伴い、ゼーゼーと喘鳴を伴う咳に使われる処方です。麻黄や石膏が含まれ、肺の熱を冷まし気管支を拡げる作用が強いのが特徴です。激しい咳と熱がある急性期には麻杏甘石湯を、胸の苦しさや胸痛が主な場合には柴陥湯を選ぶ、といった使い分けになります。
- 麦門冬湯(29):乾いた咳や痰が少なく喉の渇きがあるような咳に用いられます。体力があまりない虚弱な方や、からぜきで喉がイガイガするようなケースに適しています。柴陥湯が比較的体力があり痰が粘る実証向きなのに対し、麦門冬湯は潤いを与えることで肺を癒す処方で、空咳や慢性の乾性咳嗽に向いています。
- 清肺湯(90):文字通り肺を清める処方で、黄色~淡黄色の粘稠痰を多く伴う咳に使われます。慢性気管支炎や喫煙によるしつこい咳など、痰の量が多く絡みつく場合によく用いられます。柴陥湯と同様に痰を切れやすくしますが、清肺湯は胸痛や胸部の張りがない場合、また体力中等度程度での慢性的な咳に向いています。
副作用や証が合わない場合の症状
漢方薬も体質に合わなかったり不適切な使い方をすると副作用が起こることがあります。柴陥湯の主な副作用と、証が合わない場合に現れる可能性のある症状について解説します。
重大な副作用: 極めてまれですが、間質性肺炎のような重篤な副作用が報告されています。これは小柴胡湯系の処方で注意されている副作用で、息切れや空咳の悪化、発熱などが見られた場合はすぐに服用を中止し、医療機関を受診してください。また、肝機能障害(だるさ、黄疸など)も起こる可能性があります。特にインターフェロン製剤との併用で間質性肺炎のリスクが高まるため注意が必要です(詳細は後述)。
その他の副作用: 比較的起こりやすい副作用としては、胃の不快感・食欲減退や下痢など消化器症状、発疹・かゆみなどのアレルギー症状が挙げられます。生薬の「半夏」や「黄連」など苦味の強い成分が胃粘膜を刺激し、まれに吐き気を催すことがあります。また、「甘草」によって血圧上昇やむくみ(浮腫)、低カリウム血症(筋力低下や手足のしびれ)をきたすことがありますが、通常の用量では滅多に起こりません。長期間服用する場合や高齢者では念のため定期的に血液検査を行うこともあります。
証が合わない場合: 柴陥湯は実証寄りの薬剤であるため、体力がなく冷えが強い方、痰がほとんど出ない乾いた咳の方などには合わないことがあります。証に合わない場合、期待する効果が得られないばかりか、胃腸の不調(食欲低下や下痢)、倦怠感などが生じることもあります。患者さんご自身では判断が難しい部分もありますので、「咳に効くから」と自己判断で長期間飲み続けるのは避け、症状に変化があれば医師に相談しましょう。
併用禁忌・併用注意な薬剤
漢方薬だからといって他の薬との相互作用がないわけではありません。柴陥湯を服用中または服用予定の場合、以下のような薬剤との併用には注意が必要です。
- インターフェロン製剤(禁忌):インターフェロンを使った治療(例:C型肝炎の治療)を受けている場合は柴陥湯を併用できません。小柴胡湯を含む処方とインターフェロンの併用で重篤な間質性肺炎が多数報告された経緯があり、柴陥湯も同様に併用禁忌とされています。
- 利尿剤:フロセミドなどの利尿薬を服用中の方は併用に注意が必要です。柴陥湯中の甘草の影響で低カリウム状態になりやすく、利尿剤の副作用(電解質異常や不整脈など)を増強させる可能性があります。
- 副腎皮質ステロイド:プレドニゾロンなどのステロイド薬も、甘草との併用で血液中のカリウムが低下しやすくなります。短期間であれば問題になることは少ないですが、長期併用時は医師の管理下で経過を見ます。
- 他の漢方薬:同じ生薬を含む漢方薬を複数併用すると、生薬量が過剰になる恐れがあります。特に甘草含有処方(例:甘草瀉心湯など)を複数併用すると偽アルドステロン症のリスクが上がります。また、小柴胡湯ベースの処方(大柴胡湯など)と同時に飲むと作用が重複し副作用リスクが増す可能性があります。漢方薬同士であっても自己判断での併用は避け、専門家に相談してください。
含まれている生薬の組み合わせ
柴陥湯は9種類の生薬から成り立っています。それぞれの生薬が役割を持ち、組み合わせによって咳・痰・胸痛に総合的な効果を発揮します。なぜその生薬が選ばれているのか、主なものを解説します。
- 柴胡(さいこ):小柴胡湯の主薬で、体の中間にある「少陽」の病態を調整します。胸や脇腹の張り感を和らげ、炎症を鎮める効果があります。
- 黄芩(おうごん):柴胡とともに少陽の熱を冷まし、炎症を抑えます。抗炎症作用が強く、気管支の腫れや痛みにも有効です。
- 半夏(はんげ):痰をさばき(去痰作用)、胃の気の逆上(吐き気)を鎮めます。胸のつかえを取り、咳による喉の不快感を改善します。
- 生姜(しょうきょう):半夏とともに胃腸を整え、薬の吸収を助けます。体を温める作用もあり、冷え込みによる咳悪化を予防します。
- 人参(にんじん):いわゆる高麗人参で、気力・体力を補います。激しい咳が続くとエネルギーを消耗するため、人参で体力の消耗を補いながら回復を促します。
- 大棗(たいそう):ナツメの実で、胃腸を守り他の生薬の刺激を和らげます。甘味があり、全体のバランスをとる調和薬として働きます。
- 甘草(かんぞう):甘みのある生薬で、鎮痛・鎮咳・消炎作用があります。他の生薬同士の調和をとり、咳の辛さをやわらげる働きがあります。
- 黄連(おうれん):非常に苦い生薬で、強力な清熱作用があります。胸部の熱を冷まし、胸焼けや胃のもたれ感があれば改善します。また抗菌作用も持ち、感染による炎症に有用です。
- 栝楼仁(かろにん):ユウガオ(瓠瓜)の種子で、肺を潤しつつ痰を切れやすくします。種子に含まれる油分が痰を軟らかくし、胸の詰まった感じを改善します。
これらの生薬の組み合わせにより、柴陥湯は「和解少陽」(少陽を調える)と「清熱化痰」(熱を冷まし痰を除く)という二つの作用を併せ持っています。すなわち、風邪がこじれて体の奥にこもった熱を発散させながら、肺や気管支に溜まった熱と痰を取り除くようデザインされているのです。
柴陥湯にまつわる豆知識
漢方初心者の方や医療従事者にも興味を持っていただけるよう、柴陥湯に関するトリビアをいくつかご紹介します。
- 名前の由来と歴史:柴陥湯という名前は、「小柴胡湯」と「小陥胸湯」という2つの処方名から一字ずつ取って組み合わせたものです。いずれも中国漢代の古典『傷寒論』に記載された処方ですが、この2つを組み合わせる形で使用するようになったのは日本独自の経験に基づきます。江戸時代以降、日本の漢方医たちは患者の症状に合わせて処方を組み合わせる工夫を行っており、柴陥湯もそのように生まれた処方と言われています。激しい咳と胸痛を伴う胸部疾患(当時は胸膜炎や肺結核の咳など)の治療に古くから使われてきました。
- 薬剤の味:柴陥湯を煎じた液はかなり苦い味がします。これは黄連や黄芩といった非常に苦味の強い生薬が含まれるためです。昔から「良薬は口に苦し」という言葉がありますが、柴陥湯はまさにその典型と言えるでしょう。ただし、大棗や甘草が配合されているおかげで多少の甘みも感じられ、苦い中にもほのかな飲みやすさを残しています。甘草は世界的にも甘味料として知られ、欧米のグミやキャンディ(リコリス菓子)にも使われる生薬です。
- 生薬に関する豆知識:柴陥湯に入っている栝楼仁(かろにん)は、ウリ科の植物であるカロウリ(ユウガオやカラスウリなどに近いウリ科植物)の種子です。種には油分が多く含まれ、これが痰を潤して出しやすくする効果につながります。また、柴胡という生薬は英名を「Bupleurum root(ブプレウルムルート)」と言い、日本ではミシマサイコという植物の根です。柴胡は多くの漢方処方に含まれる重要な薬で、ストレスによる肋間神経の痛みや胸脇苦満を和らげる作用があることから、「胸脇苦満の妙薬」とも称されています。
まとめ
柴陥湯(73)は、激しい咳と痰、そして咳に伴う胸痛や胸部のつかえ感を改善する漢方薬です。小柴胡湯に黄連・栝楼仁を加えた処方であり、体力がある程度あり胸に熱と痰がこもったタイプの症状に適しています。気管支炎や喘息、風邪後の咳など様々な呼吸器の不調で活用されますが、その効果を十分に発揮するには証に合った適切な使用が大切です。副作用にも注意しつつ、辛い咳や胸の痛みに漢方という選択肢があることを知っていただければ幸いです。
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。