茯苓飲の効果、適応症
茯苓飲(ぶくりょういん)は、胃の不調や余分な水分の停滞を改善するために用いられる漢方薬です。中等度から虚弱な体力の方で、吐き気や胸やけ、胃の膨満感(胃もたれ)があり、さらに尿量の減少を伴う場合に適するとされています。胃腸の働きを助けながら体内の余分な水分(いわゆる「水滞(すいたい)」や「痰飲(たんいん)」と呼ばれる状態)を取り除き、胃のむかつきや膨満感を和らげる効果があります。
実際の適応症としては、慢性的な胃炎や神経性胃炎(ストレス性の胃の不調)、胃腸虚弱による消化不良、胸やけなどが挙げられます。例えば「食後にすぐ胃がもたれる」「ストレスで胃がムカムカし、ゲップが出る」「胃が張って苦しいが尿があまり出ない」といった症状に対して、茯苓飲が効果を発揮することがあります。
このように、茯苓飲は胃腸が弱く水分代謝が滞りがちな方のための処方です。胃に水分や粘液が停滞すると、吐き気や膨満感だけでなく、むくみやめまいなど全身的な不調にもつながります。茯苓飲は消化機能(脾胃(ひい))を整え、水分循環を改善することで、これらの症状を総合的に緩和すると考えられています。古くから胃の「水毒(すいどく)」を取る薬方として知られており、現在では機能性ディスペプシア(いわゆる胃の機能性の不調)などにも応用されることがあります。
よくある疾患への効果
胃炎・胃もたれ(慢性的な胃の不調)
胃炎は胃粘膜の慢性的な炎症で、胃もたれや食欲不振、吐き気などが続く状態です。茯苓飲は特に胃が重苦しく張った感じがあり、食後に胃内容物がなかなか下に降りていかないようなタイプの慢性胃炎に適しています。胃の働きを助け、停滞した水分を捌くことで、胃の膨満感やムカムカする感じを和らげる効果が期待できます。
実際に、長引く胃炎で胃酸の逆流というよりは胃の動きの悪さが主な原因になっている患者さんに茯苓飲が処方され、胃もたれの軽減に役立ったケースがあります。
神経性胃炎・ストレス性胃腸症
精神的なストレスや不安からくる胃の不調(神経性胃炎や機能性ディスペプシア)にも、茯苓飲が用いられることがあります。緊張すると胃がキリキリ痛むというよりは、気分が塞いで胃が重く感じ、ゲップや胸やけが出るタイプの症状に適しています。ストレスによる自律神経の乱れで胃の動きが低下し、水分代謝も滞ることで起こる胃の膨満感を、茯苓飲が改善してくれます。
例えば、プレッシャーのかかる場面で胃が膨れて食欲がなくなり、吐き気もするような方に、この処方が奏功する場合があります。心身の緊張を和らげる直接の作用はありませんが、胃腸を整えることで結果的にストレスによる胃症状を緩和すると考えられています。
胸やけ・軽度の逆流
胃酸の逆流による胸やけにも、体質によっては茯苓飲が用いられることがあります。逆流性食道炎のように強い酸による炎症がある場合には適しませんが、胃の機能低下と水分滞留が関与する軽度の胸やけであれば、茯苓飲で改善が期待できます。例えば、胃下垂ぎみで胃酸はむしろ薄く、水っぽい液がこみ上げてくるような胸やけには、この処方がマッチすることがあります。茯苓飲は胃の内容物の停滞を解消してやることで、胃液の逆流を起こりにくくし、胸のムカムカ感を和らげます。ただし、のどが焼けるような強い酸味の逆流が主症状の場合は、茯苓飲ではなく他の胃酸を抑える漢方薬(例:半夏瀉心湯(14)や黄連湯(120)など)が検討されます。
同様の症状に使われる漢方薬との使い分け
胃のもたれや胸やけ、胃炎症状に対しては、茯苓飲以外にもいくつか漢方薬が用いられます。症状や体質(証)に合わせて処方を選び分けることが大切です。ここでは、茯苓飲と比較されることの多い処方をいくつかご紹介します。
六君子湯(43)
六君子湯(43)(りっくんしとう)は、胃腸を元気づける代表的な漢方薬です。茯苓飲と同様に人参(ニンジン)や茯苓(ブクリョウ)、陳皮(チンピ)、生姜(ショウキョウ)などを含みますが、六君子湯には半夏(ハンゲ)や甘草(カンゾウ)も加えられています。そのため胃を温めつつ気(エネルギー)を補い、痰湿を除く力がバランス良く働き、食欲不振や胃の膨満感に広く用いられます。茯苓飲に比べて全身のだるさや食欲低下が強い場合(気力・体力の低下が目立つ場合)には六君子湯の方が適しています。
一方で、むくみや尿量減少など水滞の症状がはっきりある場合には、茯苓飲の方がより効果的と考えられます。
半夏厚朴湯(16)
半夏厚朴湯(16)(はんげこうぼくとう)は、喉の違和感(梅核気:梅の種が喉に引っかかったような感じ)やストレスによる胸のつかえに用いられる処方です。半夏厚朴湯には茯苓飲と共通する生薬として茯苓と生姜が含まれていますが、その他に半夏(ハンゲ)や厚朴(コウボク)、蘇葉(ソヨウ)を配合します。精神的な緊張で喉や胸が詰まるように感じ、吐き気やめまいを伴う場合には半夏厚朴湯の方が適しています。
茯苓飲が主に胃の水滞を除いて胃腸をスッキリさせるのに対し、半夏厚朴湯は気の巡りを良くして痰を散らすことで、喉の違和感や神経性の胃もたれを和らげます。ストレスによる胃の不調で、喉のつかえ感が強いケースでは茯苓飲より半夏厚朴湯が選ばれることになります。
平胃散(79)
平胃散(79)(へいいさん)は、胃に停滞した飲食物や湿気を取り除くための処方です。蒼朮(ソウジュツ)や厚朴(コウボク)、陳皮(チンピ)などの芳香性健胃薬が中心で、胃の膨満感や食欲低下、軟便など飲み過ぎ食べ過ぎや湿気による消化不良によく用いられます。茯苓飲との違いは、平胃散には人参や茯苓といった補気・利水の生薬が含まれない点です。
そのため、比較的体力があり胃もたれの原因が食滞や湿邪にある人には平胃散が向きますが、体力が落ちて胃腸も弱くなっている人にはやや刺激が強すぎることがあります。そういった虚弱なタイプでは、平胃散より茯苓飲の方が胃に優しく、むくみや水滞も解消しつつ胃もたれを改善できる利点があります。
安中散(5)
安中散(5)(あんちゅうさん)は、胃を温めて痛みや胃酸過多を抑える漢方薬です。桂枝(ケイシ)や延胡索(エンゴサク)、牡蛎(ボレイ)などが含まれ、冷えによる胃痛や慢性的な胃酸過多に用いられます。茯苓飲とは作用の方向性が異なり、安中散は文字通り「中(胃腸)を安んじる」処方で、胃粘膜を保護しつつ冷えをとることでシクシクとした痛みやむかつきを和らげます。胃が冷えて痛み、胃酸過多で時に胸やけがあるような人には安中散が適しています。
一方、茯苓飲は冷えよりも水分停滞による膨満感や吐き気に焦点を当てているため、胃の冷えがそれほど強くないケースで用いられます。症状としては似た「胃の不快感」でも、冷えが強いか、水滞が強いかで安中散と茯苓飲を使い分けます。
副作用や証が合わない場合の症状
漢方薬全般に言えることですが、茯苓飲は比較的副作用の少ない処方です。主な副作用としては発疹・かゆみなどの皮膚症状や、まれに胃部不快感・下痢など胃腸の症状が報告されています。服用後にこれらの症状が現れた場合は、一時的に中止し医師に相談してください。
重篤な副作用は茯苓飲ではほとんど報告されていません。ただし、非常にまれに肝機能障害(だるさ、黄疸など)や間質性肺炎(せきや息切れ、発熱)が漢方薬服用に伴って起こることがあります。茯苓飲に特有のリスクではありませんが、もしこのような症状が急に出現した場合は、すぐに服用を中止して専門医の診察を受けてください。
また、証(しょう)が合わない場合には効果が得られないばかりか症状が悪化する可能性もあります。例えば、体の陰液が不足した陰虚(いんきょ)でのぼせや乾燥傾向が強い方に茯苓飲を用いると、かえって喉の渇きや胃の灼けつく感じが増してしまうことがあります。胃に潤いが足りずカラカラに乾いたタイプの胸やけには適さない処方といえます。このような場合には、潤いを補い熱を冷ます別の漢方薬(例:麦門冬湯(29)や黄連解毒湯(15)など)への切り替えが検討されます。逆に、茯苓飲の証に合致すれば西洋薬では改善しづらい慢性的な胃もたれ・胸やけが和らぐこともあり、専門家の判断のもと適切に使うことが大切です。
併用禁忌・併用注意な薬剤
茯苓飲には麻黄や附子、甘草といった作用の強い生薬が含まれていません。そのため絶対に併用してはいけないお薬は比較的少ないとされています。しかし、他の薬剤と併用する際にはいくつか注意が必要です。
利尿剤を服用している方が茯苓飲を併用する場合、双方の利水作用が重複して脱水や電解質異常を招くおそれがあります。特に強力な利尿薬をお使いの場合は、茯苓飲開始後の体調変化(めまいや筋力低下など)に注意し、必要に応じて医師に報告してください。
抗凝血薬(ワルファリンなど)を服用中の方は、茯苓飲の併用により薬効に影響が及ぶ可能性があります。茯苓飲に含まれる人参は血液凝固系に干渉するとの指摘もあり、ワルファリンの効果を弱める可能性があります。併用が必要な場合は、定期的に血液検査を行うなどして凝固能の変化に注意しましょう。
そのほか、他の漢方薬やサプリメントとの併用にも注意が必要です。茯苓飲と似た作用を持つ生薬(蒼朮や茯苓など)を含む漢方薬を同時に服用すると、生薬量が重複して副作用のリスクが高まることがあります。またサプリメント類でも、利尿作用のあるハーブや胃腸薬との組み合わせには注意が必要です。複数の漢方薬や健康食品を利用する際は、自己判断での併用を避け、必ず医師・薬剤師に現在服用中のものを伝えてください。
含まれている生薬の組み合わせ、なぜその生薬が選ばれているか
茯苓飲は6種類の生薬を組み合わせて構成されています。各生薬がそれぞれ役割を持ち、全体として胃腸を整え水を巡らせる作用を発揮します。ここでは茯苓飲に含まれる生薬と、その役割について解説します。
茯苓(ブクリョウ)
茯苓はマツの根に寄生するキノコ(菌核)で、余分な水分を排出する利水作用と、胃腸を元気にする健脾作用を持つ生薬です。茯苓飲の名前にもなっている主薬であり、胃に停滞した水分(痰飲)をさばき、むくみや吐き気を改善します。また、茯苓には心身を安定させる鎮静作用もあるとされ、不安やめまいの緩和にも役立つと言われます。茯苓飲では中心的な役割を担い、他の生薬と協力して水分循環を促進します。
蒼朮(ソウジュツ)
蒼朮は胃腸の湿気を飛ばし、消化を助ける芳香性健胃剤です。強力な燥湿作用を持ち、体内の余分な水分を乾かして胃の機能低下を改善します。蒼朮が加わることで、茯苓飲は胃の重だるさや食欲不振、胃もたれに対して一層しっかりと作用します。加えて、身体を温めて冷えを追い出す効果もあるため、胃が冷えて動きが鈍くなっている場合にも有効です。茯苓飲では蒼朮が脾(消化機能)を健運させ、水滞を除く重要な役割を果たしています。
人参(ニンジン)
人参は体力を補い胃腸の働きを高める補気剤です。高麗人参(オタネニンジン)の根を用い、消化吸収を助けることで全身のエネルギーを増強します。茯苓飲では、蒼朮や茯苓が水分をさばく一方で、人参が弱った胃腸にエネルギーを与えて支えます。これにより、利水によって胃が空っぽになりすぎたり、力が抜けてしまったりしないようバランスを取っています。つまり、人参は「胃のエンジンを強化する」役割を果たし、処方全体の効果を底上げしています。
生姜(ショウキョウ)
生姜は身体を温めて胃の機能を助け、嘔吐を鎮める作用を持つ生薬です。生のショウガを乾燥させて用い、漢方では胃を温め冷えを除くことで吐き気を抑える働きが知られています。茯苓飲において生姜は、胃内の停滞を散らし、他の生薬の吸収を高める薬交通達作用(やっこうつうたつ:処方内の調和を取る働き)も担っています。生姜の温め作用により胃腸の血流が良くなり、人参や茯苓の効果が発揮されやすくなります。結果として、吐き気や胃の冷えを伴う胃もたれに対し、茯苓飲の即効性を高めてくれる重要な生薬です。
陳皮(チンピ)
陳皮はミカンの皮を乾燥させた生薬で、胃の気の巡りを良くし胃もたれやゲップを改善する作用があります。柑橘の香り成分が胃腸を刺激して消化液の分泌を促し、またガスを散らすことで膨満感を和らげます。茯苓飲では、陳皮が「滞った気を下ろす」役割を果たしています。これにより、胃の中の動きをスムーズにし、食べ物の消化・移動を助けます。同時に、陳皮の芳香により全体の風味が良くなることで服用しやすくなるというメリットもあります。茯苓飲の中では縁の下の力持ち的な存在で、主薬たちの働きをサポートします。
枳実(キジツ)
枳実はダイダイ(橙)の幼果(未熟なミカンの実)で、胃腸の停滞を打破する力のある生薬です。硬い未熟果実を乾燥させたもので、胃腸の筋肉を適度に刺激して蠕動(ぜんどう)運動を促進する作用があります。そのため、食べ物や水分が滞留して胃が張っている状態を解消するのに有効です。茯苓飲では、枳実が胃の膨満感や便秘傾向を改善する方向に働きます。特に「気逆(きぎゃく)」といって胃の内容物が上向きに停滞している場合に、それを下向きに巡らせる手助けをします。枳実の配合によって、茯苓飲はお腹の張りをしっかりと取り除く処方となっているのです。
以上のように、茯苓飲は利水の茯苓、燥湿の蒼朮、補気の人参、温胃の生姜、理気の陳皮、破気の枳実という6つの生薬が組み合わさることで、胃腸の働きを整えつつ水分代謝を改善する独特の効果を発揮します。各生薬の個性が互いに補い合い、「胃にもたれた水分を捌いて、胃を元気にする」という処方全体の目的を達成しているのです。
茯苓飲にまつわる豆知識
名前の由来
「茯苓飲」という名前は、その主要成分である茯苓(ぶくりょう)に由来します。処方名に「飲(いん)」と付くのは、漢方では飲み薬(湯液)であることを示すとともに、しばしば痰飲(たんいん)という水分停滞の症候に対する処方であることを意味しています。つまり茯苓飲は「茯苓を主体とした水滞を除くための飲剤」というストレートな命名になっています。シンプルな名前ゆえに、同じ茯苓を使う他の処方(例:茯苓甘草湯や茯苓四逆湯など)と混同されることもありますが、「茯苓飲」は6種の生薬から成る独立した処方です。
茯苓という生薬について
処方名にもなっている茯苓は、漢方で古くから重宝されてきた生薬です。実はキノコの一種で、マツ科の木の根に寄生してできる白い塊状の菌核を乾燥させたものです。利尿作用に優れ、副作用が少ないことから、数多くの漢方処方に配合されています。中国では茯苓餅(ぶくりょうもち)という菓子にも茯苓が利用されており、滋養強壮や健胃を期待したお菓子として王室にも献上された記録があります。ほんのり甘い最中(もなか)の皮のようなお菓子に茯苓が練り込まれ、名物として親しまれています。漢方薬として服用する際の茯苓飲は多少苦味がありますが、茯苓自体には強いクセがなく、他の生薬との調和もしやすいため飲みやすい処方に仕上がっています。
古典と現代での位置づけ
茯苓飲は中国の明代の医書などに記載がある古い処方で、昔から「痰湿を除き胃気を調える方剤」として用いられてきました。しかし、近年の日本の漢方医学書や臨床で登場する機会はそれほど多くありません。同じような胃の症状には六君子湯など他のメジャーな処方が使われることが多いためです。とはいえ、患者さんの症状や証にピタリと合致すれば茯苓飲は非常に有用です。実際に、長年治らなかった胃もたれ・食欲不振が茯苓飲の服用で改善したという報告もあります。
現代では機能性ディスペプシア(検査で異常がないのに胃の不調が続く病態)の一部にも応用されており、再評価されつつある処方です。古典から現代まで受け継がれてきた知恵が詰まった茯苓飲は、患者様の状態によっては西洋医学的な胃腸薬に代わる選択肢となり得るのです。
まとめ
茯苓飲(ツムラ69番)は、胃の機能を整え余分な水分を除くことで、吐き気や胃もたれ、胸やけなどの症状を和らげる漢方処方です。胃腸が弱く水分代謝が滞りがちな体質に適しており、上手く用いれば西洋薬では改善しにくい慢性的な胃の不快感に対して効果を発揮します。ただし患者様の体質(証)や症状に合わせて適切な処方を選ぶことが重要です。
当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。
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