抑肝散(ツムラ54番):ヨクカンサンの効果、適応症

抑肝散(よくかんさん)は、神経の高ぶりやイライラ、不眠などを鎮める効果をもつ漢方薬です。古くから使用されてきた歴史ある処方で、現代では高齢者の認知症に伴う興奮症状の緩和にも用いられています。本記事では、抑肝散(ツムラ54番)の効果や適応症、他の漢方薬との使い分け、副作用、含まれる生薬の意味、そして豆知識まで幅広く解説します。

目次

抑肝散(54)の効果・適応症

抑肝散は主に神経の過敏状態をしずめ、精神を安定させる漢方薬です。古くは小児のひきつけ(痙攣)や夜泣き、癇癪(かんしゃく)など「肝の気が昂ぶった状態」に用いられてきました。現代の適応症としては、神経症(不安神経症)、不眠症、イライラしやすい状態、小児の夜泣きや疳症(かんのむし)などが挙げられます。実際、抑肝散は「神経が高ぶりやすく怒りっぽい虚弱体質」の方によく用いられ、心身を落ち着かせる効果があります。

また、近年の研究や臨床では、認知症の周辺症状(BPSD)に対する効果が注目されています。BPSDとは認知症の方にみられる幻覚・妄想、不安や興奮、攻撃的行動、徘徊などの症状のことで、抑肝散を服用することでこれらが和らぐ場合があります。実際に抑肝散はアルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症の周辺症状の改善に有用であるとの報告があり、日本では認知症患者さんの怒りっぽさや幻覚に対して処方される機会が増えています。

そのほか、発達障害(自閉スペクトラム症など)のお子さんの癇癪やイライラ、更年期や産後の精神不安定(いわゆる「血の道症」)への応用も報告されています。ただし、西洋薬のように即座に効くわけではなく、効果が現れるまでに数週間~1~2か月ほど継続服用が必要です。以上のように、抑肝散は子どもから高齢者まで幅広い年代の「神経の高ぶり」に対処できる漢方薬といえます。

抑肝散が有効な主な疾患・症状

抑肝散が実際によく用いられる具体的な疾患や症状を挙げてみましょう。

  • 認知症の周辺症状(BPSD):アルツハイマー病など認知症による幻覚、妄想、興奮や攻撃性、不眠などの症状の緩和に用いられます。抑肝散を数週間以上続けることで、介護が困難になるような怒りっぽさや落ち着きのなさが改善した例があります。もちろん認知症そのものを治す薬ではありませんが、周辺症状を和らげることでご本人や介護者の負担軽減につながります。
  • 小児の夜泣き・疳症:赤ちゃんや幼児が夜中に理由もなく激しく泣く「夜泣き」や、癇癪を起こしやすい「疳の虫」の症状にも昔から用いられてきました。抑肝散は子どもにも比較的使いやすく、神経の過敏さを鎮めて睡眠リズムを整える手助けをします。古典には「母子同服」(母親も子どもと一緒に抑肝散を飲む)と記されており、親子双方の神経を落ち着かせるというユニークな使われ方も紹介されています。
  • 不眠症・神経症:ストレスや不安からくる不眠、神経の高ぶりによるイライラ感などに対しても抑肝散は処方されます。心身が緊張して寝付けないようなケースで、抑肝散を服用すると徐々に気持ちが落ち着き、睡眠の質が改善することがあります。比較的穏やかな作用のため、睡眠薬に抵抗がある場合の代替や、睡眠薬の効果を補助する目的で使われることもあります。
  • その他の精神神経症状:近年では、発達障害(ASD/ADHD)のお子さんの攻撃性や多動、不安の軽減に抑肝散が用いられるケースや、うつ病患者さんの焦燥感の緩和に役立てようという試みもあります。ただし効果には個人差があり、これらの症状に対して必ず効くわけではありません。専門医の判断のもとで使われる補助的な位置づけです。

同様の症状に使われる漢方薬との使い分け

抑肝散と同じように「イライラや不眠、神経の高ぶり」を対象とする漢方薬は他にも複数あります。患者さんの体質(証)や症状に応じて、以下のような処方が使い分けられます。

柴胡加竜骨牡蛎湯(12)

柴胡加竜骨牡蛎湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)は、柴胡や竜骨・牡蛎などを含む処方で、抑肝散と同様に神経を鎮める効果があります。ただし体力中等度からやや充実した方向けで、不安・不眠に加えて動悸や便秘傾向、胸腹部の張りなど身体症状もある場合によく用いられます。抑肝散が効かないような比較的頑健で興奮症状の強い方には、この柴胡加竜骨牡蛎湯が選択されることがあります。

桂枝加竜骨牡蛎湯(26)

桂枝加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)は、桂枝湯(45)という虚弱体質向けの基本処方に竜骨と牡蛎(いずれも精神安定作用のある生薬)を加えた処方です。体力虚弱で疲れやすいが神経が高ぶって眠れないような場合に適しています。抑肝散と比べると体力のない高齢者や病後の衰弱した方の不眠・動悸・精神不安に使われる傾向があります。

甘麦大棗湯(72)

甘麦大棗湯(かんばくだいそうとう)は、甘草・小麦・大棗のみからなるシンプルな処方です。不安や抑うつによる情緒不安定で涙もろくヒステリー的な症状(古くは「臓躁(ぞうそう)」と呼ばれた状態)に用いられます。処方内容が滋養強壮に近く穏やかなため、非常に虚弱な女性や子どもでも服用しやすいのが特徴です。抑肝散がやや負担に感じられるほど体力がないケースでは、甘麦大棗湯が代わりに選ばれることがあります。

酸棗仁湯(103)

酸棗仁湯(さんそうにんとう)は、酸棗仁(サネブトナツメの種)を主薬とした不眠症の漢方薬です。眠れないことが主症状で、心身の消耗(血虚)による不眠や不安に用いられます。身体が疲れているのに神経が冴えて眠れない場合や、寝汗・動悸を伴うような場合に適しています。抑肝散が合わない体力がない方の不眠では、酸棗仁湯が選択されることがあります。

抑肝散加陳皮半夏(107)

抑肝散加陳皮半夏(よくかんさんかちんぴはんげ)は、その名のとおり抑肝散に陳皮(ちんぴ)と半夏(はんげ)を加えた処方です。基本的な適応は抑肝散と似ていますが、胃腸が弱く吐き気や痰が絡むような症状を伴う場合に向いています。より慢性経過の成人に使いやすいよう改良された処方で、神経症や不眠で胃もたれ・食欲不振など消化器症状もある場合はこちらが処方されることがあります。

副作用や証が合わない場合の症状

漢方薬である抑肝散にも、副作用や相性の問題が起こることがあります。一般的な副作用としては、発疹などのアレルギー症状、食欲不振・胃の不快感・吐き気といった消化器症状、倦怠感などが報告されています。こうした症状がひどい場合は服用を中止し、医師に相談してください。

抑肝散に含まれる甘草の影響で、偽アルドステロン症(むくみ、血圧上昇、低カリウム血症など)が起こる可能性があります。重症化すると筋力低下や筋肉痛・痙攣、さらには心不全や不整脈、横紋筋融解症に至ることもあるため注意が必要です。また、極めてまれですが間質性肺炎(咳や息切れが続く肺の副作用)や重篤な肝機能障害が起きるケースも報告されています。

一方、漢方の概念で「証」が合わない場合、期待した効果が得られないばかりか、かえって不調を感じることがあります。抑肝散の適する証ではない人が服用すると、胃腸の弱りや倦怠感の悪化などが起こりやすいです。効果が感じられず体調が優れないときは、無理に続けず主治医に相談し処方を見直してもらいましょう。

併用禁忌・併用注意の薬剤

抑肝散は比較的安全な漢方薬ですが、他の薬剤との組み合わせには注意が必要な場合があります。

  • 利尿薬やステロイド剤を服用中の方は注意が必要です。これらの薬剤も低カリウム血症を引き起こす可能性があり、抑肝散と一緒に使うと偽アルドステロン症による電解質異常のリスクが高まります。心不全治療薬(強心配糖体など)を使用中の場合も、低カリウムによる不整脈の危険性が増すため要注意です.
  • ワルファリン等の抗凝固薬との併用では、抑肝散に含まれる当帰や川芎が血行を促す作用を持つため、薬効に影響を与える可能性があります。出血や凝固指標に変化がないか医師が慎重に経過をみる必要があります。
  • 複数の漢方薬を併用する場合にも注意しましょう。抑肝散以外の漢方薬にも甘草が含まれていると、甘草の重複によって偽アルドステロン症のリスクが高まります。ご自身で市販薬などを併用する際は、成分に重複がないか薬剤師に確認してください。

含まれている生薬の組み合わせと理由

抑肝散は7種類の生薬から成り立っています。それぞれが協調して作用し、神経の高ぶりを鎮める処方が構成されています。

  • 釣藤鈎(ちょうとうこう):カギ状のつる(カギカズラ)です。神経の興奮を抑える「平肝熄風(へいかんそくふう)」作用があり、イライラや痙攣を鎮めます。抑肝散の主役生薬で、「肝の気」を抑える役割を担います。
  • 柴胡(さいこ):ミシマサイコの根。ストレスで停滞しがちな「肝気」を発散させる作用があります。不安や胸のつかえ感を取り、精神を安定させます。少量配合され、釣藤鈎とともに肝の高ぶりを抑える助けをします。
  • 当帰(とうき):トウキの根。血を補い巡らせる働きがあり、古来より女性の不調に使われてきた生薬です。抑肝散では、血の不足からくるイライラや不安を和らげ、栄養補給的な役割も果たします。
  • 川芎(せんきゅう):センキュウ(川芎)の根茎。こちらも血行を良くし、頭痛やめまいを改善する生薬です。当帰とセットで配合されることが多く、血流改善により脳や神経の働きを整える効果を期待します。
  • 蒼朮(そうじゅつ):ホソバオケラの根茎。消化機能を高め、体内の湿気を取り除く作用があります(利水作用)。胃腸の調子を整えることで心身の安定を図ります。本来の処方では白朮(びゃくじゅつ)を使いますが、日本では同様の作用を持つ蒼朮で代用することがあります。
  • 茯苓(ぶくりょう):マツホドという菌核。利水作用で余分な水分を排出し、胃腸を健やかにします。また心を落ち着かせる作用もあるとされ、不眠や動悸に使われる生薬です。蒼朮とともに水はけを良くし、精神安定に繋げます。
  • 甘草(かんぞう):甘味のある生薬で、調和薬とも呼ばれます。筋肉の緊張を緩める作用や炎症を抑える作用があり、他の生薬の働きを丸くまとめます。抑肝散では量は少なめですが、全体のバランスをとりつつ鎮静効果を補強しています。

これら7つの生薬が組み合わさることで、「肝」を鎮めつつ「血」を補い、「気」を整え、「胃腸」を守りながら全体を調和するよう工夫されています。例えば、釣藤鈎と柴胡で神経の昂りを抑え、当帰と川芎で血の不足を補い、蒼朮と茯苓で消化機能を支えつつ余分な水分を除き、甘草で全体を調整するというバランスです。
単一の生薬では得られない複合的な効果を、この組み合わせによって実現しているのが抑肝散の特徴です。

抑肝散にまつわる豆知識

歴史的な由来:抑肝散は中国明代の医師・薛己(せっき)が16世紀に著した小児科の古典『保嬰撮要』で初めて記載された処方です。当時は主に小児の驚風(けいれん発作)に用いられました。興味深いことに、この古典には先述の「母子同服」(子どもの癇癪治療に母親も一緒に服用する)の記載があり、親子の精神状態を一体と捉える今でいう家族療法的な発想がうかがえます。

処方名の意味:名前にある「抑肝」とは、東洋医学でいう「肝(かん)の高ぶり」を抑えるという意味です。肝は精神活動や自律神経に関与するとされ、怒りやすい・神経質といった症状は「肝気の昂ぶり」と解釈されます。抑肝散は文字通り「肝の昂ぶりを抑える散剤」というわけです。実際の肝臓の病気を治す薬ではないので、名前だけ聞いて「肝臓を抑える?大丈夫?」と心配される方もいますが、そのような作用ではありませんので安心してください。

味・香り:抑肝散は、生薬特有の香ばしい香りとほのかな甘み・苦味をもつお薬です。甘草や大棗由来の甘さと、柴胡や釣藤鈎のやや苦い風味が混ざった味で、比較的服用しやすい部類に入ります。煎じ薬ではやや苦味を感じますが, エキス顆粒剤(ツムラ等)では飲みやすく調整されています。

現代での利用状況:抑肝散は現在、高齢者の精神症状緩和薬として脚光を浴び、漢方製剤の中でも処方頻度が高いものの一つです。ツムラ製剤の売上ランキングでは常に上位を占め、認知症ケアの現場ではほぼ定番ともいえる存在になっています。また、市販薬としても「アロパノール」(全薬工業)や「スリーピンα」(薬王製薬)といった名前で抑肝散配合薬が販売されており、不眠やイライラに悩む一般の方が手に取れる製品もあります。

まとめ

当クリニックでは患者様の症状や体質(証)をじっくりと伺い、一人ひとりに合った漢方薬をご提案しています。証の判断・漢方薬の選択に悩む場合は長崎クリニック浜町漢方外来までぜひご相談ください。

  • URLをコピーしました!
目次